「……ごめん」

「いいよ〜。それにしてもよく泣いたね〜。私のお葬式でも泣かなかったくせに」

「うるさい」

「んふふ、ごめんね」

 気恥ずかしい……。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。

「……ねえ、質問、してもいい?」

「いいよ〜」

 美咲は可笑しそうに笑いながら立ち上がる。参道に落ちている石を蹴りながらぶらぶらと境内を歩き始めるから、僕も立ち上がって後ろに続く。

「なんで、僕は美咲が死んだこと忘れてたの?」

「んー、ここは私の都合でなんでも変えられるから! かな。なおくん、最初から私が死んでたこと覚えてたら、会った瞬間さっきみたいに号泣したでしょ? それじゃあきっとまともに話もできないと思って」

「美咲は……僕と話をしたかったの?」

「そりゃあね! 泣かれるなんてごめんだもん」

 美咲はおどけて笑う。な、泣いちゃってごめん……。

「じゃ、じゃあ、なんでここの階段を上ったら思い出したの?」

 声が上ずる。なんだか今の僕子供っぽい。こんなんじゃ、美咲に笑われちゃうのに……。

「そういう場所って私が設定したから?」

 うーんと少し悩んでから、こてんと首を傾げた美咲は言う。

「美咲がわざわざそんなとこ作ったの?」

 美咲のことを思い出したら僕は泣いちゃうってわかってたのに。

 言外の僕の思いに気がついたのか、美咲は不満そうに目を細める。

「だから止めたじゃん。なおくんったら私と一目も会ってないのに、さっさと階段上ろうとするんだから。それに……笑顔で別れたかったから、何度も聞いたよ、ほんとに行くのって」

 いや、それは、その通りなんだけど、そうじゃなくて……。

「……私だってね。こんなところなんて作りたくなかったよ」

 階段を、町の方を見る美咲の背中は物寂しげに見える。

「でも、出口は作らなくちゃいけないの。それが決まりだから。それに……」

 美咲は僕を見ると苦笑するように笑う。

「きっと私が望んだんだと思うの。だってじゃなきゃあんなに、ここに来たいだなんてなおくんが言わないと思うの」

 なんで、どうして、聞きたいけれど、聞けない言葉は飲みこむ。もし、私は死んだから、だなんて言われたら。もし、死んだらもう会えないものでしょ、だなんて言われたら。……ねえ、美咲……。

「……みんなの話、あれってほんと? 写真は?」

「ほんとだよ。嘘言ってどうするの」

 美咲はクスクスと笑う。

「だって……みんなと連絡したとか言うから……」

「まぁ確かにそこは嘘だね」

 僕に背を向けた美咲が、だけど、と話を続ける。

「私はゆーれーだからどこにでもじゆーに行ける。私、みんなのこと大好きだからね。ずーっとみんなのこと見てたよ」

 オレンジと青が混ざった空に、美咲はうんと両手を伸ばす。

「……そうなんだ」

 自分の口から飛び出た少し拗ねたような声。なんてガキっぽい。美咲はピタリと動きを止め、僕を振り返る。

「もちろんなおくんのこともね」

「……そっか」

 やっぱり美咲には勝てないな。落としていた目線を美咲に向けると、ふと彼女は僕を見るその優しい目を細める。

「さっきの約束、覚えてる?」

「正月に帰るって約束のこと?」

 美咲は頷く。

「約束、破ったら嫌だからね?」

 僕は目を逸らす。嫌だと言いたかった。この町には君が染みつきすぎているから。

 少しの間の後、僕は小さく頷いた。彼女が他の言葉を拒んでいる気がして、それしかできなかった。

「みんなによろしくね」

 和やかな声。彼女はきっと微笑んでる。

「……うん」

「ちゃんと寝て、ちゃんとご飯食べてね?」

「……うん」

「私ずっと見てるから。やってないと、化けて出るぞ〜?」

「……うん」

 美咲は口をつぐむと、ふっと笑う。どこか寂しそうに笑う。

「なおくんのこと好きだったよ」

「……うん。……うん?」

 あ、やっと私の目を見てくれた。と呑気に笑う美咲を見て、僕は目をぱちくり。

「……ご、ごめん。なんて?」

「だから、なおくんのこと好きだったよ」

 ぶわりと顔が火照るのを感じる。美咲はケラケラ笑う。

「なおくん顔真っ赤っか」

「美咲が悪い……」

「あれ、私がなおくんのこと好きって、なおくん知らなかったの? 知ってると思ってた」

「知るわけ…!」

 知るわけないと叫ぼうとして、途中でやめる。

 ただ考えてる余裕がなかっただけで、美咲が僕を好きだったことは知っていたかもしれないと思ったから。

「僕も……好きだったよ」

「知ってる」

「……あっ、そう」

 あっけらかんと言いのける美咲から、僕は目を逸らす。結構頑張って言ったのに…!

 シーンとその場が静まり返る。僕らの間を湿った風が通り抜ける。

 んふ、ふふ、と耐えきれずに漏れ出した笑い声。僕は美咲を睨む。

「ごめん、ごめん、なおくんがかわいかったからつい。ごめんね」

 ……ひどいと思うんだ。僕は真剣だったのに。

「でもね、なおくん。もうこれっきりにしなきゃダメだよ」

「な、なんで…?」

 思わず口をついて出てきてしまった疑問の言葉に、しまったと思った。

「私を思ってくれてても、何にもならないからだよ」

 ひどいことを突きつけてくる彼女の目は至って真剣で、僕は何も言い返せない。

「もうどう頑張っても、私はなおくんの夢を叶えてあげられない。だから、私のことなんて忘れて、夢なんて忘れて、幸せに生きるんだよ」

「…っやだ」

 ダメ元で抗う僕に、美咲はそのまん丸い目をもっと丸くして、パチパチと瞬かせる。その表情に少し怒りが込み上げてくる。そんなに僕が君のことを忘れるのを拒否するのが予想外だった?

「いやだよ。なんで、美咲のことを忘れなくちゃ幸せに生きられないんだよ」

「だって……」

「そもそも! 美咲の言う僕の夢って何?」

 美咲は少し目を泳がせると俯いたまま呟く。

「私の病気が治って、ずっと私となおくんとで一緒にいる、こと……」

 ……懐かしい夢。そんな夢、美咲に話したことあったっけ。

「確かにもう叶わないね」

「そうでしょ?」

「でも忘れなくちゃいけないこと?」

 僕は美咲に笑いかける。

「僕はね、覚えていたいよ。そう願ってしまうくらい、美咲が好きだったこと。……美咲はわかってない。僕がどれほど美咲のことが好きだったか、わかってないよ」

 夏の終わりを告げて、ひぐらしが鳴く。

 この夢の終わりを告げる、目覚ましの音が聞こえる。

 周りが容赦なく白み出す。

 そう、こうやって、また一日が始まる。美咲のいない一日が始まる。

「確かに、もう叶えられないことだよ。だけど……どうか美咲のこと覚えていさせて。どうか、僕に君とのこと、全部大事にさせて」

 僕はまだ美咲の死を吹っ切れてはいない。けど、忘れることが吹っ切れることだとは思いたくないから。

「ねえ美咲、好きだよ」

 僕は美咲の黒曜石のような目を見つめて言った。

「……ばーか」

 そう言って苦笑する美咲に、僕は「知ってる」って笑顔を返した。


 耳慣れた目覚ましの音がする。そっと目を開けると見慣れたアパートの天井が目に飛び込んできた。僕は体を起こす。

 布団に伸びる太陽の光。薄く開けていた窓から風が吹いてきて、カーテンを揺らしながら鳥の囀りを運んでくる。

 ツーと頬を落ちてきた何かに、僕は顔に手を当てた。

「……あれ、なんで泣いてるんだろ」

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