善意を退ける言葉

 それからというもの、刑務所は次々と潰されていった。財源の確保のため、これまで刑務所にいた者たちは、次々と死刑を執行されていった。本来、対象が犯罪者であっても、ここまで人権を軽んじた政策がまかり通ることは極めて異常である。しかし今の地球は楽園主義で回っている。民意が全てを支配する世の中において、財源のためであれば犯罪者など容易く見放せるのだ。


 この状況に反対する者は、人権活動家だけではない。いかなる犯罪者にも、家族や友人などの身内がいる。当然、財源のためだけに死刑にされた者と親しかったことは、怒りの声をあげるには十分な理由となるだろう。


 あの討論から一週間後、一郎いちろうは何気なく街中を練り歩いていた。彼は片手に紙袋を携えており、見るからに休日を謳歌している。そんな彼の目に飛び込んできたのは、プラカードを掲げたデモ隊である。

「人殺し! その手が汚れていないだけで、世間は人殺しだ!」

「命だぞ! 人命だぞ!」

「人権を取り戻せ! 犯罪者にも人権を!」

 彼らの主張は、至極真っ当なものだろう。さりとて「善良な市民」の多くは、社会問題にあまり関心を持たないものだ。庶民からしてみれば、このデモ隊の叫び声もノイズ以上の何物でもないだろう。この現状に一端の責任を持つはずの一郎でさえ、そのデモに興味を抱かない。彼は近くのショーウィンドウに目を遣り、アンティークなからくり時計に見入るばかりだ。


 デモ隊員の一人が、一郎の存在に気づく。

「アンタのせいだぞ! 川代かわしろ! アンタが妙な扇動をするから!」

 その怒りは、至極当然のものだった。事実、多数の犯罪者が、罪状の重さにかかわらず、一律に死刑にされたのだ。それは紛れもなく、一郎の発言が影響してのことである。それでも一郎は反省しない。彼は、自らの過ちを省みない。そればかりか、この男は眼前の「死者の遺族」を嘲るような微笑みを浮かべるばかりだ。

「俺思うんだよね。あなたたちが犯罪者を庇うのは自由だし、俺も別にその権利は尊重するんだけどさぁ。今の世界って楽園主義で成り立ってるんだよね。だからやかましいデモとかやってたらさぁ、あなたたち、民意によって排除されるんじゃないの?」

 その言い分はもっともだが、彼がそれを何も悪びれなく言い放った事実は、彼自身の性根の悪さの顕れと言えるだろう。彼の態度に、デモ隊員は激昂する。

「誰のせいでこうなったと思ってる! お前のせいだ! お前が、多くの命を殺したんだ!」

 無論、怒号をあげられたくらいでは、川代一郎という男は退かない。

「話聞いてる? 今この場で騒いでも、失われた命は戻らないし、あなたたちが市民を敵に回すだけだよね。こう言っちゃうと元も子もないと思うんだけどさぁ、楽園システムが実装されて以来、言論の自由に伴う責任ってかなり重大なものになっちゃったと思うんだよね」

 そう語った彼に、もはや後悔や罪悪感の色はまるでなかった。この男は本心から、他者の命を「どうでもいい」と感じているのだろう。

「川代ォ!」

「償え! 贖え!」

「お前だけは許さねぇ!」

 デモ隊員たちは、口々に怒りを露わにした。彼らは至って真剣だが、それも一郎からすれば一笑に付するものでしかない。

「でも、あなたたちもベーシックインカムを受け取っているよね? 自分が与っている恩恵を差し置いて、そのしわ寄せを責めるのは、いくらなんでも無責任なんじゃないの? 俺は人々のために仕組みを変えたけど、あなたたちは何か成し遂げたの?」

 相も変わらず、彼は多弁な男だ。彼の質問に対する回答が浮かばず、デモ隊員たちは唇を噛みしめるばかりだ。

「話はこれだけ? 俺、もう行って良い?」

 そう訊ねた彼は、依然として相手を嘲るような微笑を浮かべていた。

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