第三章 new employee 第四話 ”声”

 「コンセント入れたら、ここのスイッチ押して床を軽くかけるだけでいいから……大丈夫?」


 「あ、なるほど。了解です!」


 美里は掃除機を受け取り、掃除を始める。部屋中に掃除機の音が響く。

 係長は篠原さんのベッドに上がり、しばらく美里の動きを見つめる。美里は一生懸命な表情で、机と棚の間やマットの下なども掃除している。

 しばらく見つめ美里の掃除に納得すると係長は、篠原さんの耳元で大きな声で話かけた。


 「では、おしもの方見させて頂きます。掛け布団を外していってよろしいでしょうか?」


 篠原さんは目を閉じてゆっくりうなずく。

 係長が掛け布団に、前足をつけた瞬間ーー。

 突然、金属が落ちたような大きな音がした。

 係長は息が止まりしっぽが大きくなる。


 おそるおそる後ろを見ると、掃除に夢中だった美里のおしりが飾ってあったアジア系の装飾品に当たったらしく、美里の背後の床に細かい装飾品がいくつも落ちてバラバラになっていた。

 

 美里の瞳が細かく動く。明らかに動揺している。

 係長の脳裏に焦げた電子レンジが浮かび、制止しようと口を開けた。

 だが慌てた美里は掃除機のスイッチを切らず、吸い込み口を床に向けたまま振り返る。

 掃除機は、変な音を出しながら装飾品を吸い込んだ。


 「・・・・はぅ!」


 美里の、息を吸い気味での変な声が聞こえる。

 係長は震えながら体が固まった。連続する物音に篠原さんがゆっくりと体を起こした。


 「大丈夫? ケガはない?」


 「あ、あの、すみません。今出しますから!」


 パニックになって美里はスイッチも切らず、掃除機の本体を探り紙パックを強引に取り出す。

 もはや涙ぐんでいる。


 「ちょっと、まっ」


 係長が制止しようとするも間に合わず、紙袋を強引にちぎって開けてしまい、ホコリだらけの装飾品と溜まっていた塵やゴミが、爆音と共に部屋一杯に広がった。

 美里はホコリで、くしゃみをしだす。


 「す、すびばせっくしょん!」


 美里は鼻を抑えながら座りこんで謝る。

 係長もくしゃみをしながらベッドから降り、掃除機のコンセントを抜いた。

 口から火でも出そうな怒りの表情で近づいてくる係長に美里は思わず目をつむる。

 その時、美里の顔を見たベッド上の篠原さんが噴き出して笑った。


 「ふふふ、大丈夫よ? ケガはない?」


 美里は目を開けて篠原さんを見る。


 「はい」


 「ごめんなさいね。ウチの掃除機古いから、若い子には使い方わからなかったかもしれないわね」


 「いえ……」


 「猫さん」


 係長が振り返ると、篠原さんは首を横に振って微笑んだ。


 「ねーえ。まりこ。 まりこさーん」


 篠原さんの呼び声に部屋まで案内をしてくれたエスニックワンピースの妹さんが扉を開けて顔をだした。


 「何事なの?」


 「悪いわね、まりちゃん。ちょっと掃除機が壊れていたの。ほうきとチリトリと雑巾、お嬢さんにタオルを持ってきてくださる?」


 妹は部屋を人回し見て頷く。


 「わかったわ」


 係長は妹さんに会釈をして「よろしくお願いします」と言う。

 妹はもう一度頷くと、すぐにまた出ていった。


 「さあ、猫さん。わたしの方も笑ったらすこし漏れちゃった。お願いできる?」


 「は、はい」


 係長はちらっと美里を見て、すぐにベッドに向かう。

 横になって目を閉じると、篠原さんは小さな声で言う。


 「十八なんてそんなところよ。頑張ってねお嬢さん。ウチの息子もそうだった。なーんにも知らずに社会に出たわ。そんなに怒らないであげてね。猫さん」


 「は、はぁ」


 係長は掛け布団をはぎながら歯切れの悪い返事をした。美里はホコリだらけの装飾品の一つを制服で磨きながら小さな声で「はい」と返事をした。


◆◇◆◇◆


 再び海岸線を“介護のねこや”のプリントがしてある自動運転車は走っていた。

 冬の砂浜を数人の観光客が歩いている。


 係長は時間を気にしながら遅れているスケジュールの調整のため、次の利用者に電話をかけていた。


 「……すみません。ですので今日は別の者が15時に向かいます。はい。私は明日に……よろしくお願いします」


 電話をする係長をそわそわしながら美里はじっと見つめる。係長は美里と目線を合わせない。


 「あの、見つめられると電話しにくいんだけど」


 耳のピアス型@スピーカで係長は不機嫌そうに電話を切った。


 「ご、ごめんなさい。ウチの掃除機ってロボット一体型だから基本全自動でその……」


 美里は苦いものを味わっているかのような、それでいて必死な表情だった。

 係長は軽くため息をつく。


 「いや、いいよ。人間だからっていきなり仕事をさせてみた私が悪かった」


 「え、それって」


 「もう見学に徹してくれ」


 係長はツンと鼻を高くあげて冷たい目つきで流れる車窓の景色を見た。


 「ちょっとっ!」


 「え」


 いきなりシートベルトを外し係長を抱きあげると、美里は自分の膝の上に乗せる。


 「ねぇ、くろ。その態度は良くないよ。わたしだって失敗して落ち込んでるんだから、そこは、『気にすることないよ、いきなり仕事ふってごめんにゃ♡』とか言えないの? まったくこの子は」


 美里は、係長を抱きしめて首元に顔をうずめる。


 「や、やめろ!ネコハラだって言ってるだろ!」


 「ちょっとだけ! 篠原さんばっかりずるい……」


 更に強く抱きしめる。


 「やめろー!」


 係長を持ち替え、今度はお腹のあたりに美里は顔をうずめた。


 「ふんが、ふんが」


 美里の『猫吸い』がはじまる。


 「やめてくれー!!」


◆◇◆◇◆


 車は海沿いの道から街中に戻っていった。

 廃校になった小学校の前を通り、細々とした道の住宅街に入る。

 平屋建ての小さな家の前に停まった。

 表札には『青柳』と書いてある。


 「まったく!」


 係長は怒ってに車を降りる。

 美里は首元や鼻先に噛まれた跡をつけつつも満足そうに車から降り、大きく深呼吸した。


 「はぁー。くろ成分充電完了。いやぁやっぱこれだね!」


 傷だらけだが、顔に潤いと艶が出ている美里。


 「ホントに、真剣に、絶対に通報してやる!」


 係長は、またバッグから折り畳みの脚立を取り出すが美里が先回りしてインターホンを押した。ニコッと係長に微笑みかけると係長は舌打ちをした。

 インターホンから声がする。


 「ヘルパー猫ちゃんね。どうぞー」


 係長は大きな声で「はーい、失礼いたしまーす」と返事をする。


 バッグの中からキーチェーンを取り出し『青柳』とシールが貼ってる鍵を取り出す。美里が受け取ろうとすると、プイっと鍵を隠して脚立を組み立て自分で鍵を開けた。

 

 玄関に入り、すぐ前の扉をまた開く。

 ベッドに体を起こした状態でテレビを見ている高齢の女性がこちらを見た。

 ベッド上で食事などが取れるオーバーテーブルが隣接してある。

 クローゼットの前には、観葉植物が大きな鉢や小さな鉢と沢山並んでいる。

 白のカーテンから漏れる光が、部屋を優しく包んでいた。


 「あら、珍しい。今日は人間もいるのね」


 「こんにちは、青柳さん。今日はインターンの学生さんが見学に来ています。同行させてかまいませんか?」


 美里は深く会釈をする。


 「六条坂美里です。よろしくお願いします」


 青柳さんは頭だけで会釈する。


 「よろしくね」


 係長はベッドの横にあるテーブルの上にあるファイルを開く。

 ファイルには食事の記録と排泄の記録がつけてある。


 「ではお食事の準備をしますね。すこしお待ちください」


 係長は隣の部屋のキッチンに向かう。

 美里も、もう一度、青柳さんに一礼すると係長の後についていく。


 「ここでは何をするの?」


 「ここは食事介助と排泄介助。それと今日は洗濯です」


 洗面所がキッチンから見える位置にあり洗濯機も見えていた。


 「くろ、あれウチと一緒のやつ。あれなら使えるかも」


 「さっき言ったでしょう。もう見学だけです」


 「えー」


 係長は美里にそれ以上構わず食事を用意する。

 鶏肉と野菜のムース、人参のムース、ごはんのムースをそれぞれ小皿に盛りつけ電子レンジで温める。


 「みんなムース食なんだね」


 「嚥下障害対策です。高齢になると気道と食道の切り替わる弁が弱くなりますから、肺に食べ物が入ってしまう場合があります。そうなると誤嚥性肺炎と言って危険な状態になります」


 「へー、すごい。専門家みたい」


 「みたいなんじゃなくて介護の専門家なんですよ」


 電子レンジが鳴ったのでトレーに温めた食事を載せていく。

 係長はトレーを持って青柳さんのいる寝室に向かう。

 その時、窓際の観葉植物が目に入り少し止まる。

 美里は止まった係長を見て不思議に思う。


 “いいな”


 “のどかわいた”


 “みず、みず”


 美里にも青柳さんにも全く見えていないが、係長には観葉植物の鉢の上に『白いモヤっとした何か』の声が聞こえていた。

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