女神になれ
クリヲネ
01
「ねえ英司が泣かないでよ」
吐いた息が白くなりそうな白い病室で同じくらい青白い顔の彼女が首を傾げて笑ってみせる。ただそういう彼女の目にも涙が浮かんでいる。
「ごめん……」
項垂れる事も出来ず、彼女を見つめるが彼女の姿は水草のように揺れて焦点も定まらない。それでも彼女の一挙手一投足を見逃さないように目に焼き付けようと乱暴に手で拭い、また見つめる。
「そろそろ誕生日でしょ? プレゼントね、もう買っちゃったの。早いけどあげとくね?」
彼女がベッドから手を出して包みを渡す。動きと同時に彼女のものではない清潔な匂いが鼻を刺した。包みを両手で支えるように受け取るとひんやり冷たい。
「中身はね、指輪だよ。重いかな、重いよね。でも受け取って」
照れくさそうに笑いながら、しかし目だけは真剣に意思を伝えている。
「ありがとう。でも俺の誕生日はまだ「受け取って……お願い」……」
言いようのない感情が胸を襲う。衝動に身を任せ、しかし柔らかく彼女の体を抱く。彼女の優しい匂いが鼻をくすぐり、腕で華奢な肩を感じる。少し遅れて彼女の腕も背中に回される。長いようで短いような時間が二人を通り過ぎ、伺うような間があって体が離れる。
「またね」彼女が手を握って俺に囁く。
「うん、またね」
手を握り返して、そうして俺はベッドを離れ、天井を見上げて目を乾かし、意を決してドアを開ける。病室の外には泣いている彼女の両親がいた。一礼を交わし、迷宮のように歪んで見える廊下を一歩一歩踏みしめて歩いた。
*****
聞き慣れた音楽で目を覚ます。もう何度目かの夢から覚める。もう一度最後に振り向けば良かった。振り返ったどんな顔をしていただろうか、笑っただろうか、泣いていただろうか、手を振っただろうか。きっと全て正解で、でも正解には程遠い。起きてすぐはいつもこうだ、答えもない問いが回り続ける。
夢は経験した過去だ。中学で出会って、付き合っていた桜未怜の俺が見た最期の姿だ。持病だったらしい、入院していよいよというところで知らされた。あれから春が過ぎ、今夏が俺の上で留まっている。
顔を洗って、朝食を食べ、制服を着る。最後にあの日彼女がくれた指輪をネックレスにしたものを首に掛ける。彼女への想いに区切りが付いたタイミングで指に嵌めようと決めた。
「行ってきます」
台所で作業している母親に向けて、声を張り上げて家を出る。通い慣れた道を歩く。歩いている間も彼女の鈴のような声が蘇る。
「ねー英司?」「ねーねー」
こんな風に呼んでくれた。そしていつも色んな話をしてくれた。どんな話も楽しく、そして嬉しかった。そして耳を癒した。こんなに彼女の存在を感じるということは案外近くまで来てくれているのかも知れない。そう思うと不思議と体が軽くなり、足元をアスファルトが足早に通り過ぎた。
*****
「おはよー英……」
学校につくと未怜と四人で仲が良かった、四季と椎奈がいた。しかし椎奈はあいさつの途中で口を開けたまま静止し、四季も片手を上げたまま動かない。
「おはよう、どうしたんだよ。二人とも」
あまりに綺麗に静止しているので笑いながら聞く。椎奈は動かないが涙すら目に浮かんでいる。四季も耳が赤くなっている。
「おい……なんだよ?」
「……英司泣くなよ、後ろ見ろ」四季が体を震わせ指を差して言う。
「は? ……ッ!!」
後ろを振り向くとそこには未怜がいた。ボブくらいに切りそろえた黒髪、困ったように笑う顔、制服の皺まであの頃のままだ。夢にまで見た未怜が目の前にいる、これも夢なんじゃないかという思いが胸をかすめた。夢でもいい、頰はつねらないでおこう。
「よっ」
片手を上げて、白い喉が動いて言葉が発され俺の鼓膜を震わせた。。すぐに周りの景色と歪んでよく見えなくなる。手で乱暴に擦り、もう一度見る。間違いない、未怜だ。
「泣いてんじゃねーよ」
言いながら四季も泣き笑いしている。椎奈は泣きながら未怜に抱き着こうとした、だがその手は未怜を通り抜けて虚空を抱きしめた。
「未怜……」呆然と立ちすくんで、辛うじて椎奈は口を開いた。
「なんか私、幽霊になっちゃったみたいなんだよね……英司、椎奈、四季くん、久しぶり……だよね? 会いたかった」
悲しげに笑いながら言う彼女はよく見ると確かに足が地面についていない。音が戻ってくる。クラスメイトの怪訝そうな表情も見える。他の人には見えてないのかも知れない。声を潜める。
「俺もだよ、未怜……なんで? 幽霊?」
聞きたいことは山程あったが、口をついて出たのはこんな言葉だけだった。
「私が話しかけても英司反応しなかった癖にー」唇を尖らせ未怜が応える。
「あ、ごめん。気のせいかと思って」
「いいよ、別に。んー幽霊として戻ってきたのは何か理由があったんだけど……あれ? 何だったかな? ……とにかく京都に行けってことだけ覚えてるんだけど」
「そっか……」
京都には中学校の修学旅行で行った。その頃から仲は良かったが付き合ってはいなかったし、班も違った。特に彼女の口からそこが思い出の場所だと聞いた記憶もない。京都ですべきことがあるのだろうか。
「丁度いいんじゃね? 行こーぜ、明日から夏休みだし」
四季が明るく言い放つ。そうだったのか、あまり意識はしていなかったが担任がそんな事を言っていた気がする。まだ気持ちの整理はつかないが、幽霊として出るだけの未練か目的があるんだろう。それを叶えてやることが大切だと思う。
「ただその前に未怜、家に帰ろう。小父さんと小母さんの顔見てないだろ」
「ああ…でも私が見えてなさそうだったら何も言わないでね。心配されたくないから」
「じゃ授業は早退…だな?」
四季が唇の端を持ち上げ言う。涙の跡のせいで泣いているように見えた。
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