その2

風が湿り気を帯び始めたほかに何か特筆するようなこともなく時は進み…六月は来た。

そして迎えた週末。俺はオヤジの伝手で紹介して貰った深夜バイトを終え、すっかり夜が明けた帰り道を歩いていた。


空には薄いながらも雲が一面に広がり、隙間からぼんやりと光が覗いている。

雨を予感させるほどではないけれど、季節の変わり目なのだと分かる。


学校から帰ったらオヤジからの仕事(あれを仕事と言えるのかは謎だが…)をこなし、そして深夜のバイトへ向かい…そして朝に帰る。

深夜バイトの数を減らしたおかげでこのフルコースは週一になったが、やはりこの生活は疲れがたまった。


「ふぅ…」


事務所に着いた。玄関に荷物を下ろし、一息つく。

迎えてくれた廊下は暗く、続く我がねぐらからは淀んだ空気が流れてくる。

まるで洞穴のような場所だが、それでも安息の地であることには変わりない。

靴を脱ぎ、廊下に上がって…そうして俺は、六月に入ってから初めての休日を迎えた。


『——おーい! 開けやがれ!』


迎えたのに…。


「はぁ…」


ドンドンと、近所迷惑も顧みずに扉が打ち鳴らされていた。


「んだよ…吉矢…こんな朝っぱらから…」


「ハル! 今日休みだろ」


仕方なしに扉を開ければ、そこには一人の大男が立ちはだかり一気に狭苦しくなった。


「…ああ。休み…だったはずなんだけどな」


「んじゃあ、外行こうぜ外っ。暇だからよぉ」


「……」


「おら、籠ってないで行くぞイン!」


インだとかハルだとか、好き勝手呼んでくれるな…せめて統一しろよ…。


「こちとらバイト終わりなんだが……おい」


話も聞かずドスドスと階段を下りていく吉矢の背を見送った。

そのまま立ち止まっていると少しして、階下から声が響く。


「置いてっちまうぞー!」


丸一日起きていて、活動する元気なんてあるわけがない。

眠気を通り越し変な浮遊感を感じるほどで、この体が自分の物なのかも怪しい。


「…はいはい」


それが所以か、気付けば俺は…のたりと階段を下りている。

一階折り返すと踊り場にこちらを見上げる吉矢がいた。


「そうだ、あそこに新しくできた飯屋行ったことあっか? おすすめだぞ」


「ないけど…そんな美味いのか」


「んや不味いッ! でもあそこの豚肉、臭すぎて逆に癖になんだよな~」


「しょうもねー…」


事務所のあるビルを出たら、朝の冷たさを持った空気が身を包む。

昼に近づけばそのうち熱を持っていくのだろう…でも、今の気温はかなり心地良かった。


「やっぱ朝って良いよなぁ! なんか始まったって感じするぜ~」


「そっか…」


白白と明けた朝の街をぶらぶらと歩く。

休日の朝。過ごしやすい気候も一助か、意外に人通りは多い。

俺は行く先も分からぬまま、流れる雲のような吉矢に合わせる。


「そいやよ、さっき思い出したんだよ。お前への用件」


「…何の話だ?」


「ゴールデンウィークぐらいに言いたいことがあってお前を探してただろ、オレ。んで駅で見つけたんだが、その言いたいことをど忘れしちまってさ。アレ、さっき思い出した」


「…あー」


そんなことあったな。

あの後、結構ドタバタしてたから忘れてたが…。


「あ、おい! 焼き鳥屋あんぞっ」


そう言ってやにわに走り出す吉矢。


「…用件は何なんだよ」


溜め息を吐いて、道脇に寄りつつ帰りを待つ。

数分もせずに、肉のついた焼き串をもった吉矢が戻ってくる。


「あいよ」


「…おう」


いくつか串を持った手をこちらに差し出してくるので、そのうちの一本だけ受け取った。


「…で、お前の用件はなんだったんだよ」


焼き鳥を頬張りながら歩き出した吉矢を追う。


「ん…、前、クラブいっただろ。あんとき、お前が入場料払わなかったから、臼野が立て替えたってこと言いたくてな。お前爆睡してたし、気付いてなかったろ」


入場料なんてあったのか……普通あるか。あの時はそこまで気が回ってなかったな。


「わかった。今度臼野に会ったら返しとくよ」


「いや、それは別に良いってよ。無理矢理お前を連れてったからうんたらかんたらって」


「じゃあ、どうしてわざわざ俺を探してたんだよ…」


探してまで言うことか? 顔合わせた時で良いだろ…。


「まあつまりは、オレに感謝しろってことを言いたくてな!」


「なんでお前にすんだよ。臼野に感謝するわ…」


「んだと! 爆睡したまま起きねぇお前に色々してやったんだぞ! 担いでクラブの皆に紹介したり、咲坂と臼野と一緒に胴上げしたりな!!」


寝てる人で遊ぶなよバカ…。


「それに眠りこけてたお前を事務所に運んだのもオレだぞ!」


「はいはい、どうもどうも」


それからは本当にどうでもいい…昔と何も変わらないような会話が続いていく。

そして雲が少し晴れて雲間が広がり始めたころ、俺たちは繁華街からは離れ、橋の上を歩いていた。


橋を渡り切ったらそこは見慣れた景色。

子供の頃、何度も歩いた土手道。何度も遊んだ河川敷…。

遠くなってしまった記憶…それと何も変わらない光景は、しかし疲労のせいか現実味を欠いて見える。


「ほらよ」


「あ…?」


土手道を歩いていると、いきなり汚れた竹串を数本渡された。


「ごみ。じゃま」


「なめてんのか…」


とはいえ、こいつふとした拍子にポイ捨てとかしそうだからな…。

ちょうどその辺に落ちていた酒の缶に竹串を挿して持ち運ぶことにする。


「…ふー。食ったらちと疲れたな。休んでこうぜ」


途中、吉矢は土手道を降りて、河川敷とを繋ぐ斜面の中腹に腰を下ろした。

自由気ままな奴に合わせて、俺も少し離れたところに座る。

深夜に雨でも降ったのだろうか。土堤の斜面に茂る草はわずかに湿っている気がしたが、吉矢に気にする素振りはない。


「昔、よくここで水切りしたよなぁ。お前すげぇ雑魚だった」


「うるせぇな、良いだろ別に…下手でも。というかお前がやり込みすぎなんだよ」


「だははっ、お前もめっちゃ練習してたのに全然上達しなかったじゃねぇか。結局オレの王座は脅かされなかったな~」


「ちょくちょく仁に負けてただろお前…」


まあアイツが水切りに参加すること自体珍しかったから、それはそう多くなかったけど…。


「それはノーカンだノーカン! あくまでオレとお前の世界ランキングでの話だ!」


「世界せっまいなぁ…」


吉矢が喉を鳴らす。何がそんなに面白いのか。


「そうだ。久しぶりにあの公園いってみっか?」


あの公園というのは、子供の頃たまり場にしていた公園のことだろう。

この川の上流に向かって少し歩いたところに、それはある。

確かにあそこにはベンチがあるしここで座り込むよりかは良い。だけど…


「いや、もうちょっとここで休もう…」


遠くはないとはいえ少し歩かないといけないのが億劫だった。

それに上流の方には…あの倉庫があるから。


「…そういえば、この前その公園で、溝口に会ったぞ」


公園の話に思い出す。

暴走族に追いかけられ公園へ逃げ込んだ時…アイツに助けて貰ったんだったな…。


「溝口? 誰それ?」


「小学生の時の、二個上の上級生だよ…。ほら、会長…宇宿をイジメていた…」


「んー…おー」


分かってねぇなコイツ…。


「あと最近…藤にも会った」


「ああ藤か! アイツにはオレも会ったぞ。再会は確か戸田と喧嘩した時だったかな~」


喧嘩した…? しかも戸田って…


「戸田って…ドラジットの?」


「そーそー」


「あの戸田と喧嘩…? 何やってんだお前…」


実態がアレな集団とはいえ、一応半グレだぞ。ただ事じゃ済まないだろ…。


「まあ喧嘩つっても、歩いてるとこにいきなりタックルかましたんだけどさ」


「反社よりやべぇ奴…」


「だってアイツの周りいつも取り巻きがいて近づきにくかったからよぉ。仕方ねぇよな!」


こんな巨体に不意打ちされたら逃げるのも難しいだろう…つい同情してしまう。


「あれで戸田の奴もオレの実力がよくわかったみたいだからな! 会員証もくれたし、仲間に誘ってきたぐらいだし、万事解決!」


「仲間に…」


いきなりタックル仕掛けられたというのに、仲間に誘ったのか…。

いや、そんなことよりも…


「お前まさか…ドラジットに入ったのか?」


「いんや? 何すんのかもよくわかんねーし、止めといた」


なんだ…。


「そっか、それが良いだろうな…」


「まあ、今でもちょくちょく誘ってくるけどな。仲間になる気はねーけど、ちょっとした手助けぐらいはしてやっても良いかもしらん」


「止めとけよ…ああいった手合いと関わっても良いことなんか…」


「えー、つってもなぁ。オレを求める声があんなら馳せ参じるが男ってもんだろ?」


「お前なぁ…」


強く諭そうと思って…やめた。

まあ、いざとなったら吉矢の取り巻きをしている咲坂と臼野が止めてくれるだろう。

あの二人も真面目な人間といった感じではないから、ちょっと不安が残るが…。


…しかし藤と言い、戸田の好みはどうなってんだ。

かえって組織ぶっ壊しそうな奴ばっか仲間に誘って…


「——あーっ、吉矢っ!」


突如、少し離れたところから声が響いた。


「…?」


年の程はかなり若い気がする。

だから、吉矢を慕う子供でも通りかかったのかと土手道の方を見てみた。


「…え…」


案の定、土手道の先にはこちらを指さす人影があった。

十代前半…たぶん、小学生か中学生ぐらい。その年頃に違和感はない。けれど…


「ん? お、ルイ坊じゃねぇか」


「坊って…女の子だろ…」


吉矢を慕う子供は凡そ不良少年なのだと見当をつけていたから、その性別にちょっと違和感を覚えた。

昔の後輩とかか…?


「しゅうすけーっ、吉矢広がいるぞー」


その子は自身の後方に向かって声を張り上げる。少女には誰か連れがいるようだ。

土手道に沿って伸びる斜面に隠され、ここからじゃ角度的に見えないが…。


「愁介、遅えよー」


立ち上がる吉矢に、その子が背後を振り返りながら歩み寄ってくる。

やがて、斜面の草に遮られ限られた視角の中にもう一人の人物が映った。


「——っ!?」


女の子に続いたのは、蒼い顔。

眉間にしわを寄せ、晴れ間から覗く白い陽光に耐え忍ぶかのような面持ちで一人の男が歩いて来る。


あれほど肝を冷やした経験はそうそうない。だから、その顔を忘れるわけがなかった。


半グレ集団、ドラジットの——戸田。

どうして奴がこんなところに…


「そうだルイ坊、丁度いい! この前言ったオレの水切りテクをみせてやる!」


「水切りって、ガキだなー吉矢広は」


「お、なんだ怖気づいたか?」


「んだと? やったらァ」


女の子の手前、この驚きを大っぴらにはしなかったが、先日のことを思うと警戒せざるを得ない。

しかし吉矢は至って自然体だし、一人で逃げるわけにもいかずに、俺は戸田がこちらにやってくるのを静観することしか出来なかった。


「イン君、に…吉矢…奇遇、だね…」


そうして、土手道に立った戸田が俺たちを見下ろしながら言う。

何か狙いがあるんじゃないかとその顔を窺ってみたけれど、それはただ沈鬱な表情にしか見えなかった。


「インって?」


「この無気力な根暗のことだ!」


少女の言葉に反応して、俺の肩に手を置いてくる吉矢。うぜぇ…。

うぜえが…そんなことより、戸田はただの通りかかっただけ…なのか…?


そのまま女の子と話し始めた吉矢の隣で、俺は戸田の動向に注意を払っていた。

土手道で俯く奴の白い顔はやはり能面のように変化がない。何を考えているのか、まるで読み取れない。


「…っ」


そこで唐突に、その眼がこちらを射抜く。視線に気づかれたんだ。

戸田は薄目のまま、しかし確実に俺を見据え…その口を動かした。


「あんし…て…い…」


…聞こえねぇ。


なにやら喋ってるみたいだけど、声が小さすぎて聞こえない。

さっきは何とか聞こえる声量だったんだから、もうちょい頑張れよ。


「…」


しょうがないから俺も土手道に上がった。

そうして戸田と並んだことで、ようやく言葉が聞き取れるようになる。


「…そんなに、警戒しなくて、いいよ…ただ、散歩していた、だけ…だから…」


戸田は俯いた状態のまま、そう呟いた。


ただの散歩、か…

この言葉を信用していいものなのか…。


「…」


逡巡するが、少しして…信じることに決めた。あの少女はたぶん、戸田の娘かなにかだろう。

俺たちに用があって来たのならわざわざ娘を連れてくるというのも変な話だ。少なくとも、乱暴な真似をする気がないのは分かる。


呑み込んだ俺の様子を見て、戸田は続ける。


「…あの件、は…終わったんだ…だからもう、僕は君に…用がない…」


「終わった…?」


あの件ってのはつまり…あの腕時計と、その持ち主に関するあれこれだよな…。

不本意とはいえ、自分が巻き込まれた事件がどのような結末を迎えたのか少し興味を引かれてしまう。

でも、これ以上立ち入るわけにもいかないので、口を噤んでいると…


「彼…見つかった、んだ…だから、もう、おしまい…」


「そう、なのか」


…思い返せば思い返すほど、あれはよくわからない事件だった。


ただの落とし物があんな大事になったこと。耳にした落とし主の振る舞いや、真尋の異様な執着も…。

巻き込まれただけだから当然かもしれないが、俺には結局何も分からないまま、あれは終わってしまったようだ。


「その…」


「…?」


事件の詳細を訊きたくなる。けれど、こんな終わった事件に首を突っ込んだところで百害あって一利なしだ。だから、自分の興味を振り払う為にも他の話題を出した。


「…アンタ、娘がいたんだな」


「娘に、見える…? 僕…まだ、三十二…なんだけど…」


吉矢と談笑している少女を見る。

あの子は中学生ぐらいっぽいし、別にそこまで不自然ってほどでもない…だろう、たぶん。

多少早めとは思うけど…


「じゃあ違うのか?」


「う、ん…娘じゃない…。少し、面倒を…みているだけ…」


…そうなのか。

まあ、あの年頃の子が父親と二人で出かけるって珍しいもんな。

ん…あれ? 娘じゃないってことは…もしや…


「は、犯罪じゃないよね…?」


答えによっちゃ今すぐ交番駆け込むぞ。


「ばか…そんなんじゃ、ないよ…」


戸田は困ったような笑みを浮かべる。

苦笑に過ぎないにしろ、それでも笑ったりするんだなとなんか驚いた。


「んじゃ、やるかー吉矢」


「おうよっ、格の違いを教えてやろう…!」


そこで、吉矢と女の子が流れる川の方へ向かいだした。その歩み始め、吉矢はこちらを振り返る。


「おいハルっ! お前の成長も見てやるよ!」


「や、俺はいい…ここで待ってるよ」


流石に水切りで遊ぶような体力はないし…そもそもちょっと恥ずかしい。

だから俺は戸田の隣に並び立ったまま、二人の背中を見送る。


「…」


ちらりと横を窺えば、戸田は遠い目をして川辺に向かう二人を見ていた。

離れてしまうのが寂しいのだろうか。それとも、その活発な姿に微笑ましさを感じているのだろうか。

どことなく哀しそうなのに、嬉しそうにも見える表情で少女の背を見送っている。

娘ではないと言っていたけれど、その姿は離れていく子供を見守る親のように感じた。


「…やっぱり、親子に見えるけどな」


「ぇ…そんな、老けてる、かな…」


「年齢とか関係なしにさ…。別に血が繋がってなくても、親子は成り立つ…だろ。たぶん…」


俺も曖昧にしか言えないけれど…。


「そう、かも……いや、そうだね…」


何故だか、一層沈痛な表情になった。


「…そうだ…あの子は、元気に…している、かな」


「あの子?」


「彼女…は、大野…真尋…と、言った…かな」


「ああ…うん、元気だと思う」


「…そっ、か…」


連絡したわけでもないので正直知らんけど…ま、元気だろう。

別れ際の様子を思い返すと、よりそう思う。


そして、戸田と会話を終えると沈黙が続いた。でも、少しして…


「日が、出てきた、ね…」


「…そうだな」


「嫌、だな…ぁ、」


ぽつりと呟くみたいな言葉に、一応の返事をする。

見上げれば、雲に覆われていた空には亀裂が入り、太陽が完全に現れていた。

川の流れに光がちらつく。緑は鮮やかで、吉矢たちのいる川辺が輝いて見える。


一方、俺たちの方ではまたもや沈黙が流れていた。

その間、何かを考えるような元気もないので、俺は水切りをする二人を眺める。

何も思うことなしに、ただ見守っていた。


「…ほどほど、にね…」


「ん…?」


「…君、未成年…でしょ…」


いきなり何の話だと思ったが、戸田の視線がさっき拾った酒の缶に向かっていることに気付く。


「あ、いやこれは拾っただけで…」


「…そ…、なんだ…」


正直、違法薬物の卸売業が何言ってんだと思う。でもなんとなく言わないでおいた。

会話はすぐに終わる。何度目か分からない…けれど、ひときわ長い沈黙のあと…


「さっき、君は…言ったよね…血の繋がりが…なくても、親子は、成り立つ…って…」


突然、先ほどの…俺の上辺だけの言葉を掘り返された。


「? ああ、言ったけど…」


「確か、に…血が繋がって、いるのが…何だという、のだろう…ね。

多くの人は、言わずもがな…自身の遺伝子を、残す…ことに、意味を見出そうと…するけれど…」


何か、思うところがあるのだろうか。

その言葉はさっきまでの会話より重く、不平を漏らすような響きがある。


「でも反面…父と子の、関係は…社会的、な契約だと…言う人も、いる…

 一体…人は先天性と…先験性に、何を…見ているの、だろう、か…」


戸田は苦しそうに息を吸った。


「…少なくとも、外から、は…操り人形…のようだ…」


な、何が言いたいんだ…?

ぽつぽつと。しかし、今迄からは及びつかない饒舌さで語りだすから面食らう。


「…それでも…その強い、陽射しに…僕たちは、抗えない…それは、きっと…そこに意味を、見出すからなの、だろう。たぶん、本当は…なんでも、いいんだ…」


息を切らせつつも、戸田は絞り出すように付け足す。


「クスリでも…承認でも…。生、でも…死で、も…」


「…」


本当に何が言いたいのか分からない。わからないのなら、返すべき言葉はないはずだ。

だけど、なんだか少し文句を言いたくなってしまった。


「よくわからないけどさ…薬物を捌いているような奴がそんなことを言ったって、自己弁護してるようにしか聞こえない…かもな」


見切り発車の文句は当然、歯切れが悪くなってしまう。

こんなことなら何も言わなければ良かった、と後悔していたら…


「…なるほど、その通り、だ…

でも、生きるため、だからね…どちら、も…」


生きるためって…


「糊口を凌ぐにしても、もうちょっとやり様があるだろ。

アンタが好き勝手やることで、あの子が迷惑を被るかもしれないんだぞ…」


反射的に返すと、戸田はまた微かな笑みを浮かべた。


「…君、は…大人…だね…」


「なんだそれ…」


基本、昔と変わらないだとか言われることが多いので、つい言葉の裏を読んでしまう。

たぶん、遠くで水切りしている二人と比べたら…という意味なのだろう。

結局、何一つ理解できないまま話が終わる。でも、これ以上言葉を交わす意味は無い気がした。


「…」


それ以上俺たちが話すような話題は…なくはなかったが、何も話さなかった。

親しさはなく、気まずさもなく、ただただ…同じ時間が流れていた。


小さくなった二人はいつの間にか水切りから水生生物調査へ移行し、川の石をひっくり返している。

そんな吉矢たちだったが、しかしそれにも飽きたのだろう…やがて、二人がこちらに戻ってくる。

そこで、俺は小さく息を吸った。


「その…一つ頼みがあるんだが…」


「…」


言葉はなく、戸田は視線だけ向けてくる。その視線に返した。


「…吉矢を、仲間に誘うのは止めてくれないか」


「ど、うして…?」


「それは…」


問われれば、頭の中にはもっともらしい理由がいくつか浮かび上がった。

それらをパズルのピースのように繋ぎ合わせ、理路整然と答えるべきだったろう。

けれど朦朧とする頭の中で繋がり合い、口を衝いて出たのは…


「アイツ、俺の友達なんだ。だから、止めてくれ…」


理由になっているのかも定かじゃない…どこまでも朧げな言葉だった。

こんなものが、力を持つわけがない。言ってすぐ後悔したけど…


「そっ、か…うん…わかっ、た…」


「…え…?」


まさか、同意を得る。


「…僕、から…誘うのは、やめることに、する…。でも、吉矢の方から…来たら、拒む…気は、ないよ…」


「あ、ああ…それでいいけど…」


半ば目を白黒させたまま、戸田の応えに頷いた。


「——っっし、格付け終了! 待たせたなーおまえらー」


「うぜー。そんな上手いわけでもないくせによー」


折に、ちょうど二人が戻って来た。


「しゅうすけー?」


「…ん…おか、えり…」


少女は戸田のもとに帰る。それを横目に俺は戸田から離れた。


「お、戸田の奴となに話してたんだ?」


「いや…大したことじゃない」


吉矢に関わることだから本人に伝えないのはあまり良くない気もするが…まあ、吉矢だからどうでもいいか…。


「そういやよぉ、川にホタルの幼虫いたぞ! この辺じゃ珍しくねぇ?」


「へぇ、そりゃすごいな……ん?」


そんなことを考えながら吉矢と話していると、ふと視線を感じた。

視線は戸田…じゃなくて、その傍らにいる少女からだった。


「な、なにか…?」


「…別に」


あれ、なんか俺にだけやたらそっけない…。

まあそれは別にいいんだけど……初対面だからだよね?


「ね、もう行こうぜ愁介」


「…ぁ…う、ん…」


逃げるように少女は戸田を引っ張る。


「なんだぁルイ坊の奴、へそ曲げちまったのか? ちょっとは手加減してやるべきだったかな。ぶはは」


「…じゃ、あ…僕たちは、もう…行くよ…」


「おう。んじゃあな~」


戸田は吉矢と言葉を交わし終えると、引かれる力に流されこちらに背を向ける。

そして最後に小さく別れの言葉を残した。


「…さよ、なら…吉矢…と、陽人…」


…陽人? 俺、戸田に名前教えたっけ…

あ、そうか。俺がそう呼ばれていたのを聞いてか…。


反社に名前を知られてしまったが…不思議なことにそこまで焦りはなかった。

住所を知られているので今更だとか、あの件は終わったという戸田の言とか、この楽観を形作るものは沢山ある。でも、たぶん一番は…


『よくわからない奴だったけど、もしかしたらそんなに悪い奴じゃないのかもしれない』


…そんな、我ながらお花畑な所感のせいなのだと思った。

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