見せかけの超人、月の超人
@buchichibu
その1
残春の候、いよいよ薫風漂う折となりました。
美しかった桜の花弁は散り、枝には若葉が芽吹いております。
その瑞々しい緑、薫る風とともに夏の兆しを運び、私の心にも新緑が萌ゆるような思いです。
はい。いま私の目の先に伸びるこの道は、学び舎へと続くものでした。
言わば慣れ親しんだ道ですがしかし、本日は覚えなく、路に春光が照り映えております。
昨日の夜雨でしょうか。降り染み、零れ差す朝日に路は水光を放っていて、その光の影にはくすんだ花弁がわずか数枚ほど…春の終わりを告げるように浮んでおります。
桜の開花が遅れた本年。もう少しばかり早ければ、花の浮橋が架かったのでしょうね…。
さて…。この季節、決まって過ぐる日をつい昨日のことのように思い返します。
それは、貴女と出会った時のことです。
貴女と出会い、そして過ごした日々のことを…今も、鮮明に思い返します。
察するに、当時の若輩な私は、随分と貴女を煩わせたことでしょう…。
しかし、貴女と語りあったひびは何ものにも代えがたい、私の…
…いえ。
私から貴女にお話ししたいことがあったのですが、手前勝手ながらそれはまたの機会に…。
◇
——はい。皆さま、おはようございます。
四月末日、友引。本日はお日柄もよく、空も青々と澄み渡っております。
雨上がりの爽涼な空気のなか燦燦と降り注ぐ陽光に、まるで包み込まれるような暖かさを感じます。
しかし朝夕、未だ冷え込む日も少なくありません。皆さま風邪など召されませぬよう、お気を付けてお過ごしください。
さて。軽く挨拶も済んだところで、僭越ながら自己紹介などさせて頂きたい所存でございます。
わたくし、姓を
職業については、高等学校にてほどほどに勉学へ精を出しております。
いえいえ、もちろん勉学を軽んじてなどおりません。しかし若い身空ゆえ、身を投じるべき事柄は事欠かず、後回しになってしまうことも少なからずです(あと単に、机に向かうのは不愉快と感じます)。
…ええはい。耳が痛い話です。
学生の本分は勉学。少年老い易く学成り難し、という言葉を私も聞いたことがあります。
ごもっともな指摘とお見受けします。
ですが思うのです。その言葉はもっと広く受け取るべきではないのかと。
若い時の苦労は買ってでもせよ、という言葉もありますでしょう。
この二つの金言を噛み砕けばこう解釈出来ます。
若い時の苦労は勉学と言える…と。
近いうちに私は、かつてないほどの難事を果たそうと目論んでいます。
若気の至り、恐らく上手くいかないでしょうが…、こういった挑戦こそが学生には求められているのではないでしょうか。
この通りですから、ここはひとつお目こぼし頂けると幸いです。
…おっと。そろそろ校門に差し掛かりますので、ここいらで少し失礼させて頂きます。
登校中ゆえ、歩きながらの挨拶となりましたが、御寛恕くださいませ。
◇
「みなさま、おはようございます」
教室の引き戸を開け広げ、心持穏やかに、顔をほころばせ御同輩たちと挨拶を交わします。
しかし、我が愛すべき御同輩は奥ゆかしき方々ですので、返されたのは声ではなく、眉をひそめた含みのある目線です。
私はそこに親愛の情を読み取り、心がとても暖かくなりました。
所謂、アイコンタクトというやつです。言葉より、多くを伝えるものもあるのですね。
郷にいっては郷に従え。アイコンタクトにはアイコンタクトで返すのが礼節と心得ますので、私は口を噤み、親愛の念を込めて彼らの無垢なる瞳を見つめますと、たちまち彼らは顔を伏せてしまいました。やはり、私の御同輩たちはとてもシャイなようです。
さて、思わず笑みがこぼれるような微笑ましい空気を持って、私は自分にあてがわれた席へと腰をおろします。
学生鞄から携帯電話を取り出して(スマホというやつです)、時間を見ればHRまで10分ほど。
まあ時間を見るだけなら教室備え付けのものに目を向ければよいのですが、いやはやこれも一種の現代病というやつでしょうか。手持ち無沙汰に陥ると、たびたびスマホで手すさびを図ってしまうのです。
「なあ、長井…さん」
目を通すべき所に目を通し終え、趣味のソシャゲに憂き身を窶しているところ、ふいに声を掛けられていることに気が付きました。
視線を上げれば、御同輩の一人。短く整えられた短髪に引き締まった目元。
たしか、どこぞの運動部(おそらくサッカーだったと記憶しています)で活躍していると噂の佐藤さんが立っていました。
「おはようございます佐藤さん。どうかなさいましたか」
「なんか、生徒会長が呼んでる…けど」
彼は親指で教室の入り口を指さします。
そちらに視線を向ければ、たしかにそこには我らが学園の生徒会長殿がおられました。
彼の姿を目にした女生徒の嬉しそうな声の中、彼は私を見て屈託のない爽やかな笑みを浮べます。
佐藤さんにお礼を言って、私は生徒会長のもとへ行きました。
「やあ、これはどうも生徒会長殿、お久しぶりです」
「はは、なんだよ久しぶりって、一昨日話したじゃないか」
朗らかに久闊を叙したつもりでしたが、我が脳の不出来ゆえ、見当はずれの不調法に終わります。
私の気のせいでなければ、彼の保たれていた爽やかな笑顔に、少し苦みが走ったように見えました。
「おや、それはどうも失礼しました……して、私になにか御用でも」
「いや、さ…今日は、生徒会に来れる…かな?」
いつも快闊にものを申す彼らしくない歯切れの悪さで、恐る恐ると訊かれます。
「…いえ、本日は可能かわかりません。しかし…近日中には必ず顔を出す所存であります」
「そうか…じゃあ、その時に」
一瞬、悲し気な面持ちを見せましたが、彼はすぐさま爽やかな笑顔を取り戻し、そう言葉を言い残すと帰っていきました。
私はその様子に罪悪感の類を抱かずにはいられませんでしたが、可能か分からない約束を交わすのも不都合な態度とわきまえますので、私なりに精一杯の誠意をもって答えたつもりです。
彼の背中を見送り、私は自分の席に戻ります。
その様子を御同輩たちが奇異の視線をもって眺めていましたが、それも当然のことと言えました。
かの生徒会長殿は校内でも評判の益荒男。私のような一般生徒とは身分が違う(スクールカーストというものです)というものでしょう。そんな彼が私を気にかけるというのは、とても異に映ったことと想像に難くありません。さりとて、これには単純な仕掛けがございます。
つい先日の事でした。二年生に進級して、二週間ほど経ったときの事です。
私はその時、脳をじくじくと蝕むような頭痛と眠気に襲われていたことを覚えています。
席で頬杖を突き、窓から遠くに見える遅咲きの桜を眺めながら、沈痛な面持ちでそれらと闘っていたところ、突然面識のない——しかし、どこかで見たような男子生徒に声をかけられたのです。
ええ、そうです。その方があの生徒会長殿でした。
突然声を掛けられたことに驚いている私に、彼は言いました。
『人手が足りないんだ。生徒会に入ってくれないか』と。
はい。正直、困惑しましたとも。彼の勇名は当時の私も耳にしていました。
そんな彼がなにゆえ私のような劣等生(あまり認めたくはないのですが)に声をかけるのかと、まったく解せぬ思いでした。
その思いをそのまま口にすると、彼からは思いも寄らぬ回答があったのです。
なんと彼曰く、私と彼は小学校が同じで、その砌には交流があったとのことでした。
まったく覚えのない真相に私は大いに戸惑いましたが、その後に彼が告げた彼自身の名前に、漸う合点がいきました。
小学生の時、いつも本を読んでいた同級の少年。私から声をかけては、時たま将棋などを共に嗜んだ記憶もあります。
男子三日会わざれば刮目してみよ、とはよく言ったものですね。
彼は四、五年会わぬうち(それは少なくとも私からしたらですが)に、それはそれは大層立派になっておられました。
ゆえにその時、私は思わず心を浮き立たせ、場違いにも彼の要請を二つ返事で承服してしまったのです。
それを聞いた彼は喜色に満ちていましたが、しかし、思い返せばあれは手ひどい失態と思います。
出来もせぬことを身の程を弁えず引き受けるという浅薄愚劣を絵にかいたような暴挙(挙句、それを反故にすることを考えると一入です)。
穴があったら入りたい思いですが、いやしかし、実に私らしい行動といえましょう。
皆さんとうにお判りでしょうが、私はそのような恥知らずの、見るにも耐えない人間なのでした。
はい。回顧より刻下へ意識を戻しますと、そこでは既に授業が始まっておりました。
そのうえ、内容を見るに、今なされているこれはどうやら二限目のようです。
周りを見れば皆、机の上に教科書等を開いては、真面目に教師の講釈を聞いています。
されどその中ぽつんと抜け落ちたかのように、私の机上はただ艶の剥がれたニスを晒しておりました。
なんとも、まさにこれが劣等生たる所以でしょう。
立つ瀬をなくした私はそそくさと受講の準備を整え、急いで板書に取り掛かりました。
ですが、それから十分ほど経ったころでしょうか。その作業の余りの過酷さに、私の体は吐き気を訴え始めます。
そして鐘の音が授業が終わりを告げたところで、持病の片頭痛が表れ次第、私はすぐさま退室させて頂く運びとなりました。
そのまま早退も考えます。
そういえば…今日は人と会う約束があるのでしたね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます