現代魔女と踊る満月の宴

篠宮空穂

第一章 現代魔女も楽じゃない

第一話

 高瀬たかせ茉莉香まりか、24歳。職業、魔女。それが彼女の肩書だった。

 現代においてファンタジーとされるその存在は実のところ細々と生き残っており、彼女もまた、その一人として生きていた。

(とは言え、魔女じゃ食べていけないのよねぇ……)

 オフィスビルの一角。紺色の事務服を着こんだ茉莉香は椅子に座ったまま軽く背伸びをして、デスクに置いたコーヒーのマグカップを片手に窓の外を見る。

 大卒で中小企業になんとか滑り込み、仕事に追われる日々。実際のところ魔女の修行すら最近では思うようにできていない。つまるところ。

 高瀬茉莉香、24歳。職業、会社員。実質的な肩書きはこうなってしまうだろう。社会的な肩書と同じように。

 時間は16時を少し回ったところ。日没までまだ間はあるけれど、わずかに傾いた陽の光はオフィス内を柔らかい黄の光で満たしていた。

(良い天気。今日こそ早く帰れるといいけど)

 ここ最近は迫り来る納期に日々追われ、夜は帰宅すると同時にベッドに直行し、簡単な日々の鍛錬ですら出来ない日があるほどだった。

(このままだと等級落ちちゃう……かもしれない。やばいなぁ)

 内心そんな危機感を抱きつつぼんやりしていると窓際のデスクに陣取っている上司がさぼるなと言わんばかりにこちらを見ているのに気付き、慌ててディスプレイに向き直る。定時の鐘が鳴るまであと少し。

(これも生活のため)

 茉莉香はその日の作業を終わらせるべく、キーボードに指を走らせた。


 * * *


 結局退勤したのは21時を過ぎた頃になってしまった。

 定時の鐘が鳴りさあ帰ろうとPCをシャットダウンしかけたところで上司に呼ばれ、何かと思えば追加作業の指示。確実に残業だった。

「あの課長、もっと早くに言ってくれればいいのに!」

 帰り道で何度そう毒づいたことか。

 茉莉香の自宅は会社から電車で30分ほどの距離にある。そこそこ遅い時間であるのに車内は茉莉香と同じく会社帰りらしい人々でひしめいていて、電車が揺れる度に茉莉香は人につぶされそうになる。

 最寄り駅でなんとか電車を降り、そこから更に徒歩で15分。

 自宅マンションに帰り着いた時だった。

「……?あれ??」

 鍵が見当たらない。鍵はいつも鞄の内ポケットに入れている。しかしそれが見つからない。

「えっと、あれ??」

 がさごそと鞄の中を探るがどこにもない。

「ええ、どこかで落とした??」

 鞄の中を覗き込み、思わず声をもらす。

「どうしよう」

 夜空を仰いでため息をついたが、すぐにさっと周囲を見回した。人の気配はない。

「……これなら、大丈夫かな」

 そう言って、茉莉香は念のためにと人目に付かないマンションの裏手へと回りしゃがみこむ。地面に手を当て、ぽそぽそと呪文を唱える。「隠されたものを明らかにする」魔法。茉莉香はこれを「探し物魔法」と呼んでいた。

「地の声よ、答えを示して。……鍵は、どこ?」

 手のひらに一瞬熱が宿る。熱は光となって地面に移り、そしてしばらく迷うように茉莉香の周囲をうろうろとさ迷って。

「え、消えちゃった……??」

 ぽすんと、光は力尽きるようにその場で消えてしまった。念のため光の消えた場所を探してみるが当然鍵は見つからない。

「やだ、ちょっと嘘でしょ。……失敗だなんて!」

 『探し物魔法』は難易度で言えば中級にあたるが、駆け出しの新米魔女でもなければ滅多に失敗しない。そんな魔法を失敗してしまったことに、茉莉香はくらくらとめまいを覚える。

「こんな初歩的な魔法でミスするだなんて……そんな」

 つぶやいてしばらくその場に座り込んだままになっていたが、やがて思い出したように鞄を見る。

「そうだ、鍵……」

 もう一度鞄の中を手で探るがやはり鍵は出てこない。仕方ない、とその場に鞄の中をすべてぶちまけた。

 ちゃりん、と軽い音を立てて鍵は鞄から転がり落ちた。鍵はきちんと鞄に入っていた。

「結局あるんじゃない。……わたし、ほんとにやばいかもしれない!」

 暗いマンションの裏手に茉莉香の切実な声が響き渡る。

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