第8編 始発の電車に飛び乗って
1 電動ドリル
電動ドリルを手に持って、スイッチを引くと、甲高い音が響く。
取り付けられて金属の螺旋が残像によって、一本の線へと変わっていく。
木の板に押し当てられると、悲鳴が上がる。
それは穴を開けられる木のものか、穴を開けるドリルのものか、
ずっと気になっていたが、ついに分からないまま、穴が貫通した。
そっと触れるとほのかに熱を持っていた。
それが怒りなのか、悲しみなのか、それとも恥じらいなのか。
それも分からない。
2 たゆたう
体に力を感じない。
空気に乗りかかり、流れるまま空間を流れていく。
初めは腰掛けていて、だんだんと寝そべっていく。
羽毛に包まれたような心地よさを感じながら、いつの間にかうとうとしてしまう。
気が付くと、体はいつもの重さになっていて、一人空を見上げている。
それでもまだ心はあの空気と風の中をたゆたっている。
3 始発の電車に飛び乗って
朝早く目が覚めた。たったそれだけの理由で始発の電車に飛び乗った。
思った以上に人の姿があって、驚いた。
いつも見慣れた風景なのに、少しだけ違ってみる。
何時も降りている駅をそのまま素通りすると、新しい世界が広がっていく。
少しだけ見慣れないものが次々と視界に入ってくる。
ただそうしているだけで心の中にいろいろなものが詰まっていく。
今はただ詰め込むだけ。
それを広げて整理する日を待ち遠しく思いながら。
4 バールのようなもの
ホームセンターを巡って、それらしいものを探している。
しかし、バールはあってもバールのようなものは見当たらない。
店員に聞いてみた方がいいのか、と思ったが、
憚られて聞かずじまい。
本当は分かっているのだ。
バールのようなものがどんなものか。
それはバールだ。あるいはバールではないのだ。
それを見たものが表現するからこそなのだ。
5 サボテン
砂漠にそそり立つサボテンをイメージしている。
緑色で、棘がある。
憧れていたわけではないが、心は惹かれていたと思う。
だから小さなサボテンを買った。
これを育てていけば、もしかすると、あのサボテンになるのだろう。
しかし、たとえどれだけ大きくなったとしても、
伸びていったとしても、
望んだサボテンの姿はない。
コンクリートの砂地を縫うように伸びる、奇怪なサボテンがあるだけだ。
6 超新星
はるか天の果てで一際煌めく光があるとすれば、それは星を生む光なのだろう。
燃え尽きたはずの星が、最後に輝く、その神々しさと、雄々しさは何にも代えがたいものなのだろう。
もし、それをこの目で見ることができたのなら、どんな感想を持つだろうか。
おそらくは未来永劫分からない疑問を胸に、夜空を見上げる。
7 パンク
慌てないことだ。まずはブレーキ、そうして路肩へと移動する。ハザードも忘れないように。
最近の車はスペアの代わりに応急キットを収納している事が多い。
使い方が分からないのなら、きっとマニュアルがあるはずだからそれを探せばいい。
あるいはきっとそのものにヒントがあるのかもしれない。
空気の抜けたタイヤはぐにゃりを押し潰れていて、手の施しようがない。
あれだけ張っていた勢いはどこにもない。
使い慣れない道具を持って、未知の経験を積み重なると、自分はもっと大きくなれる。
でも、そうしている時間で自分はもっと大きくなれるのではないのか、と。
パンクさえしなければ。
8 秒針
絶えず動きを止めない秒針。
急いでいるわけではない。
それが秒針にとっての普通。
長針を追い抜いて、自分だけの自分を表わしている。
9 雨音
ザーっと音がする。
雨が降り始めたのだろうか。
シャーっと音が響く。
雨はまだずっと続いている。
たまにリズミカルな雨粒が壁を伝って、
耳の中へと乗り込んで来る。
音と音とが響き合うと、心はすっかり晴れているのに、それはあんなにも薄暗い。
10 アルミニウム
銀色に光る。
拍子抜けするほど軽い。
ちょっとした力でも曲がってしまう。
それでも金属だ。
こんなにも頼りないのに、
こんなにも弱弱しく思えるのに、
磨き上げると、その光沢が鏡のように世界を映し出す。
吸い込まれるような気分になる。
鏡面に映るのは自分だろうか、それとも自分が映されているのか。
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