69.曲がる角には猫来たる


「くそ……! くそ、くそ、クソッ! なんだってんだ、ここは! この、最っ低な場所は!」

「ピィー!」 

 

 怒りの叫びをあげるホムラを背にのせて、俺は只管に走る。

 

 もう、どこに出ようと構わない。

 思い切り走り廻って、己の脚で教会に辿り着けばいいのだ。

 誰がこんな、むかっ腹の立つ連中しかいない場所に留まってやるものか。

 

 フェレシーラの顔が見たかった。

 あいつの顔を見れば、嫌なことなんて全て吹き飛ぶ気がした。

 だが俺は、彼女を一人置き去りにしてきた。

 傷付き倒れた、弱りきったあいつをだ。


 あんなにフェレシーラがつらそうにしている姿は見たことがなかった。 

 今思えば、そんな彼女を放り出して何故走り出していたのか。

 どうしてそんな真似を仕出かしたのか、自分でも理解不能だった。

 衝動的に己の頭を殴りつけたくなるが、それは後から幾らでも出来ることだ。

 

 多分、怒られるだろう。

 きっと叱られるだろう。

 絶対に、呆れられるだろう。

 

 それでも、一刻も早く彼女に会いたかった。

 その為には走り続ける必要があった。

 それ以外のことを考えるのは、すべて無駄だとしか思えなかった。

 

 走れ走れ。

 チンタラするな。

 もっと必死に腕を振って、死ぬ気になって脚を回せ。

 

 加熱する意識に呼応して勢いに乗り始めた体を、俺は更に前へと倒して加速させる。

 スピードを増していくほどに、視界はどんどんと狭まってゆく。

 前方には左に伸びる曲がり角と、人の気配。

 数は、またも二つ。何事かを話す声も聞こえてくる。


 嫌な予感しかしなかった。 

 今度こそ無視しろ。顔も合わせず、駆け抜けてしまえ。

 こんなにところで燻っている連中などに、捕まりはしない。

 大回りですり抜けろ。

 

 その判断こえに従い、地面を強く蹴りつける。

 曲がり角の路面は、丁度黒土から石畳への切り替わりを見せていた。

 円を描き左側へと走り込む。

 体の右側が、遠心力に引っ張られて外側へと滑ってゆき――

 

 その動きを見計らったように、曲がり角の先の気配が三つに増えた。

 

「ん、なぁ――!?」 

 

 ぶつかる。

 しかし、そういうわけにもいかない。


 既に衝突を予期出来ているこちらはともかく、相手がただでは済まない。

 通路の幅は三メートルほど。

 このまま走り抜けるには、壁際すれすれを進むより手はなさそうだった。


 両脚を踏んばり、踵を立てて石畳へとブレーキをかける。

 背中では「ピピッ!?」という甲高い悲鳴があがっていた。


 ほんとゴメン、ホムラ……!


 我ながら考えなしに走り出しすぎた。

 頭に血が昇りすぎだ。何やってんだ俺。

 

 曲がり角を超えると、すぐに人影が見えた。

 やはり三人だ。その全員がこちらに向かってきている。


 格好は皆バラバラだが、体付きが華奢なことは共通していた。

 当然、細かい容姿まで確認している暇などない。


 多少は壁を掠めても仕方なし。

 そんな覚悟で俺が人影を避けにかかった、その瞬間。


 琥珀色の瞳が、こちらを睨みつけてきた。

 

「おっと――」 


 ベージュの髪がヒュンと揺れて、こちらの行く手を遮る。

 驚く暇すら与えられずにベストの襟が掴まれる。

 下から上に勢いよく、力任せに胸倉が引き上げられる。


「うぐっ……!?」

「ほいっと。つーかまえたっ」 

 

 朗らかな声と共に、グルンと全身を振り回されながら。

 俺は襟首を締め上げられた状態で、一人の少女に捕縛されていた。

 

「残念だったねー、キミ。ひったくり狙いなら、アタシ以外にしとけばよかったのに。ちょおっとツイてなかったねー」

「ひ、ひったくりって……なん、の……はな……っ」 


 爪先立ちにされたまま、俺は抗弁する。

 声と体格からして、相手はおそらく若い女性だ。

 しかし、それ以上のことはわからない。

 

 なにせこちらはいま現在、呆れるほどに晴れ晴れとした青空しか視界に入ってきていない。

 とんでもない力でベストごと襟首を持ち上げられて、ろくに身動きが取れない状況だった。


「ほっほー。この状況でシラを切るなんてね。キミ、見かけによらずなかなかイイ神経――って、あれ? ありゃりゃ?」


 太々しさに満ちた陽気な声が、不意に途切れる。

 そこでようやく、俺の喉元から締め付けが消え失せた。

 同時に、体が上から下へと投げ出される。


「か――はッ」 

 

 突然やってきた解放感と、締め付けによるダメージ。

 それに全身を揺さぶられて、俺はあっけなく地面に崩れ落ちていた。


「ちょっと、エピニオ」


 肺が新鮮な空気を求めて必死に膨張と収縮を繰り返す、その頭上で。


「子供相手にやり過ぎよ。ひったくりを防ぐにしても、もう少しやりようってものがあるでしょう」

「え、なに? いまの、わるいのアタシ? いやいや、ないよレヒネ。それはさすがにない。プリエラだってそうおもうっしょ!」


 二つの声が、やりとりを始めていた。

 そのうちの片方……陽気なほうの声には、聞き覚えがあった。

 咳き込む俺の視線の先――煉瓦が敷き詰められた路上には、三対の女物の靴が見えていた。

 

 正面の一つは、靴紐のない迷彩色のワークシューズ。

 その左には、爪先の尖がったローヒールの黒い編み上げ靴。

 残す右側は、厚底の白いスニーカー。


「えっと……どこのどなたか存じ上げませんが。たてますか?」 


 そのうちの右側から、声がかけられてきた。

 白いローブの裾が進み出てきて、視界が鮮やかなピンク色の帯に遮られる。

 髪だ。

 ゆらゆらと動く、女性の髪。

 

 初めてみる色の髪だが……何故だかそれが不思議と親近感の湧く、明るい気持ちにさせてくる。

 その髪が目の前でぱらぱらと揺れて、こちらの肩を引き上げにかかってきた。

 どうやら、女性の一人が俺を助け起こそうとしてくれているらしい。

 

 脇下にやってきた感触からして、小柄だがふくよかな体つきをした女の子のようだ。

 それに抗さず身を預けて、俺は膝立ちの姿勢となる。

 

 するとそこに、呆れたような声が降り注いできた。 

 

「プリエラ……あなたはあなたで、警戒心がなさすぎよ。いきなり近づいて、ブスッ! って、やられたらどうするの」

「あ。そうですね。レヒネの言われるとおり、不用心でした。ごめんなさい、放しますね!」

「へ――ぐぶっ!?」 

 

 そんな丁寧な断りの直後、俺の体は支えを失い再び路面へと転がっていた。

 

 いってぇ、前のめりでおでこ打った……


 なんなんだ。なんだっていうんだ、こいつら。

 いきなり出てきてワイワイぎゃあぎゃあと、わけがわからないぞ……!

 

「うーん。なんだろこの子。アタシ、なーんか見覚えがある気がするんだよねー」

「見覚えって。あなたの記憶力に頼ったときって、ロクな目にあった憶えがないんだけど」

「そんなことありませんよ、レヒネ。この前は、テッポウダマさんとかいう人のお顔を覚えてくれていたおかげで、助かったじゃないですか」

「いやそれ、名前じゃないし……まあ、とにかくよ。いつまでもこんなところで立ち話なんかしてないで。早くギルドに向かいましょう」

「へーい。そんじゃーキミ、元気でねー。次は狙う相手、よーく選びなよー」 

 

 これ以上の追撃を警戒する俺の前で、靴が三つ、揃って踵を返してくれた。

 よし――どうやらこれで、

 

「ピィ!」 


 ……おい。


 いま頭の上で、人が顔を見合わせた図が浮かんだぞ。

 せっかく厄介な連中をスルー出来そうだったのに……


 どうしてくれるんだよ、ホムラ……! 


「ピィ! ピ! ピピィー!」 

「……え。やだなにこの子! でっかい雛鳥? あれ、でもなんか胴体とか、妙にガッシリしてない?」

「これは……おそらくだけど、グリフォンの雛ね。驚いた、こんな場所で幻獣種に出くわすなんて……」

「わー。おっきい鳥さんですねえ。背負い袋、すごく膨らんでて気になってましたけど……模様も綺麗ですね。グリフォンの赤ちゃんって、こんな色してるんですね。わたし、初めてみました」

 

 がやがや、ざわざわ、ぺちゃくちゃと。

 そこから俺は、かしましく騒ぐ三つの声に取り囲まれる羽目となっていた……





『君を探して 白羽根の聖女と封じの炎』

 

 三章 完



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