58.乱れはじめた均衡《バランス》
簡素な寝台の前に立ち、両手両足に意識を集中させる。
一瞬、ぐらりと体が揺れた。
「ピ……ピピ!?」
足元にいたホムラが、小さな翼をバサバサとさせ始める。
「あ、危ないぞホムラ……! ちょっと離れてろって……!」
「ピィ……!」
体の平衡感覚が失われてゆく中、石床の上でチョロチョロとしていたホムラの姿がわずかに上下して見えて――
「ぐ、ぐぬぬ……!」
どすん。
結果、俺は重い音を立てて床の上に着地していた。
「くっそ、また駄目か……これ、想像以上にムズイな。やっぱ手甲頼りだと細かい制御までは……いや、もっぺん、もう一遍だ。次は高さには拘らずに、と……」
ふわっ……とすんっ。
今度は然したる揺れもなかったかと思えば、すぐに終了。
「くっそっー。安定性を取ると、今度は効果時間が短すぎるか。これじゃ普通に跳ねたほうが何倍もマシだろ……ええと、じゃあ次は足元ギリギリに範囲と出力を絞って……」
――ぐんっ!
「おおっ!?」
両足の裏にやってきた強烈な浮力に、思わず声があがる。
そうして俺の両脚が、不可視の力にグングンと押し上げられ――
「おぉ……お? ちょ、あし、とまらな――あだっ!?」
それと入れ替わるようにして、俺の上半身は後ろにひっくり返っていた。
「いってぇ……今度は、上下のバランスが問題になるのかよ……!」
咄嗟に頭を庇ったことで背中にやってきたのは、硬く冷たい石畳の感触。
それに顔を顰めていると、扉の軋む音が聞こえてきた。
「……なにやってるのよ、貴方」
部屋の入口からやってきた声に向けて首を逸らせると、白い法衣の裾が視界に飛び込んできた。
声の主は、フェレシーラだった。
普段は動きやすい
というか何気に初だな、こいつが武具の類をまったく身に付けていないのって。
「なにって、不定術法式の練習だよ。ここって足元怖いとこ多いだろ? だから今日は万が一に備えて『浮遊』の再現を重点的にやっておこうかなって」
「ああ、それであんなに急いでご飯食べてたのね。頑張るのもいいけど、程々にしておきなさいよ? どうせすぐに頭痛くなっちゃうんだから」
「たしかに……次は回復術も試してみるかな。頭痛を治しながら練習出来たら、効率もあがりそうだし」
「努力と無茶を勘違いしない。頭痛は治してあげるから、代わりにそこでその日の練習はお終いにして。わかった? わかったら、返事」
「へーい」
フェレシーラの忠告には、生返事で返しつつも。
俺は床に転がったまま、霊銀盤の仕込まれた手甲を外しにかかっていた。
「それにしても、不定術法式ってのは扱いが難しいな。そこまで難易度の高い術法を再現しようとしてるわけじゃないのに……なんていうか、材料が全然揃い切ってない状態で、一軒家を建ててみろって言われてるような感じというか……」
「イマイチな例えね。要は、『あちらを立てればこちらが立たず』ってことでしょ?」
「イメージの問題だよ、イメージの。シンプルに個室だけを立てろってのなら、出来なくもなさそうだけどさ」
一揃いに纏めた手甲を寝台の上へと放り投げると、フェレシーラの真っ白なブーツが横をとおり過ぎていった。
「部屋を複数にわけて、そこに役割をそれぞれもたせて、サイズも大きくしてってなると……頭痛くなるな。あ、もちろん気持ち的な意味でだぞ?」
「言いたいことはわかるけど。『浮遊』の魔術なら、『複数の対象を』『素早く』『高い位置に』浮かせるって感じよね? それってちょっと……言っちゃ悪いけど、最初から高望みが過ぎるんじゃないかしら」
言いながら彼女は、駆け寄ってきたホムラを膝に抱えて椅子へと腰かける。
それを横目に、俺は床上に手を衝き、足を胸元へと引きつけた。
「ま、今まで参考にしてきた相手が相手だから。ついつい完璧を目指しちゃうんでしょうけどね」
「いやー、おっしゃるとおりで――っと!」
その指摘に答えを返しざま、脚を振り上げ、振り下ろす。
両腕がグンと頭部を押し上げて、ブリッジの体勢を経て前方へと跳ね上げる。
すとん、っと。
浮遊のそれとは比べものにならぬほどの速度とスムーズさでもって。
俺は一足先に着地を済ませていた両脚を支えに、その場に身を跳ね起こし終えていた。
「ふぅ。これぐらい何も考えずに手甲も使えたら、苦労しないんだけどなー」
「……今の動きの、一体どこに苦労がないのかは全くわからないけど。焦ってあのときみたいに魔術を使うのは駄目だからね。我ながら、しつこいようだけど」
「ん。わかってる。無理矢理に術法式を呼び出すのは控えておくよ。流石に命と天秤に掛けるようなことになったら、わからないけど……」
その返答に対しては、フェレシーラは何も言ってこなかった。
暫しの間、部屋の中に沈黙が訪れる。
少し遠くでは、早々と酒宴に興じる人々の歓声。
時折それが鎮まると、入れ替わるようにして水路より微かなせせらぎの音が届いてきた。
「ここに来ると、無性に体を洗いたくなっちゃうのよね」
「……なんだよ、急に。水浴びなら昼のあいだにしておいただろ」
唐突に切り替わった話題に、俺はなんとかついてゆく。
このミストピアに到着する少し前、俺たちは貪竜湖に繋がる河のほとりで、水浴びを済ませていた。
勿論それは、万が一にでも馬車ごとフレンを盗まれぬように、交代で見張りを立てて行われたものだったが……
「そう言われてもねー。今日は町中、思いっきり霧に囲まれてるから。いつも以上にベタベタしちゃうのよねー」
「あー、それは確かにあるか。でもまあ、この宿には風呂はないんだろ? どうしても入りたいってことなら、公衆浴場に行くしかないんじゃ……」
「それは駄目。嫌。入るなら神殿のお風呂がいいもの。あそこなら個室もあるし、お湯も毎回入れ替え出来るし」
え。
なにこの人、いきなりわがまま言い出して。
一体、なにがどうした……
「う、うーん。じゃあ、今から行って沸かしてもらうか? まだこの時間なら、神殿の人たちだって寝ついてないだろうし」
「……やっぱり、いい」
ええ……
今度はそっぽ向いて不貞腐れ始めたし。
こいつがこんな表情するなんて、珍しいな。
なんか身につけてる法衣に着られてる感じがしてくるぞ。
ちょっとこのまま、何を言い出すか見ていたい気もするけど……
流石にこの反応は彼女らしくない。
恐る恐る、俺は椅子の上の神殿従士さまへと声をかけることにした。
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