49.『アレク』

 

 ここレゼノーヴァ公国における『教会』とは、フェレシーラの所属する聖伐教団の管轄下にある施設を指している。

 神殿従士という役職にある彼女だが、道すがら聞いた話ではどうも『教会』と『神殿』は別々に置かれているものらしい。


 魔人を打ち払い世の平穏を守ることを旨とする教義を世に広める、神官と司祭が集うのが『教会』であり。

 その教義を実践する為の、神殿従士の鍛錬の場となっているのが『神殿』というわけだ。


 公都レゼノーヴァにある総本山などは作りが異なるらしいが、基本的には別の建物を構えて役割分担をしているらしい。

 

 そうした彼らの活動に関する、事務的な手続き……

 魔物討伐の依頼と報告だとか。

 租税徴収に関わる国内の調査報告だとか。

 そういった仕事を担うのが、教会の役割となっているとの話だ。

 

 なのでフェレシーラの言うように、まずは――

 

「うわっ!?」


 どんっ!

 

 フェレシーラの後を追い大通りを曲がりかけたところで、

 

「おっと――」


 俺は突然、フードを目深に被った痩身そうしんの男とぶつかってしまっていた。

 

「わりぃな兄ちゃん。先を急いでたもんでよ」 


 こちらより背の高い――と言っても、170㎝に満たない程度の――男が、一応の詫びの言葉と共にその場を立ち去ろうとする。

 

「ちょっと、待ってくれ」 

 

 その右腕を俺は掴んでいた。

 

「あ? おいおい……なんだってんだよいきなり。こっちは急いでるって言ってんだろ? 悪かったのは認めるから、その手を」

「認めるのは、そっちじゃないだろ」

「――」


 妙に早口となったそれを強めに遮ると、男が狐のように目を細めてきた。


「は? なに言ってんのかわかんねえな。お前、見たところこの町の人間じゃないな? 妙な言いがかりつけようってんなら」

「財布」

 

 その一言で、再びそいつの動きが止まる。

 チラリと視線を横に移すと、腕組みをしたフェレシーラが視界に入ってきた。

 

 それを確認して、もう一度口を開く。

 右腕に籠めた力を強めながら、俺は男を問い詰めた。

 

「今、あんた……俺の財布盗っただろ。そのポケットに滑り込ませたの、返してくれよ」 

「――ハッ! なんのことだかサッパリだな! ガキが、一丁前に因縁付けてくる気かよ!」

 

 腕を掴み離さないこちらに対して、男が肩をいからせて怒声をあげる。

 あげながら、そいつは右足を素早く横に滑らせて――

 

 ざしっ! 

 

 男が路肩に蹴飛ばそうとした革製の小物入れ……

 即ち俺の財布が、道に敷かれた目の粗い煉瓦を踏みつける音と共に、ブーツの爪先に行く手を遮られてた。

 

「はい。そこまで、そこまで」 

 

 パン、パン!

 

 周囲を行き交う人々が、輪を作って足を止める最中。

 一人の男が、手拍子と共にその中心へと進み出てきた。

 

 背の高さは、こちらよりも明らかに高い……180㎝はあるだろうか。

 前髪以外を短めに切り整えた金髪の、目鼻立ちの整った色白の男性だ。

 その男性が、フードの男の左手を無造作に掴みあげた。

 

「な、なんだテメエは……横からしゃしゃり出てきやがって、なにもんだ!?」 

「俺が誰だかなんて些細なことは、今はどうでもいい話だろう?」


 青筋を立ててのがなり声に、金髪の男性が涼しい顔で切り返す。

 

 清潔感のある白っぽい布地シャツに、綿製の青いズボン。

 歳は二十代前半、といったところだろうか。

 一見した分には、少し裕福そうな町人といった風の装いだが……

 その下にある肉体は、服の上からでも見て取れるほどに鍛え込まれている。


 そうした容貌といい、証拠隠滅を謀って蹴り飛ばされた財布を見逃さなかった眼力といい。

 明らかに只者ではない雰囲気を、その男は纏っていた。

 

 よくよく見てみると瞳はうっすらと紫がかっており、それがより一層と彼の印象を深めている。

 

「で、だ。これ、今キミが蹴飛ばしたよね? 察するに、そこの少年の懐から拝借したようだけど。それについて、釈明はあるかい?」 

「ぐ……クソッ! この! テメエら、腕ぇ離しやがれっ!」 

「ああ。すまない少年。そっちの手、離してもらえないかな?」 

 

 腕に力を籠めて藻掻きだした盗人をまるでどこ吹く風といった様子であしらいながら、彼はこちらに向けてに願い出てきた。


 その要望を受けて、俺は盗人の右腕を離す。

 束の間の自由を得た盗人の手が、サッと腰元へと動かされてゆく。


 ナイフか、それに準ずる凶器を求める手の動き――

 半ば反射的に、俺が痩身の男の手の甲を蹴り上げようとした、その瞬間。

 

 ばちっ!

 

「ぴぎっ!?」 

 

 紫電一閃。


 青紫の閃光が眼前で瞬き、盗人が豚の様な悲鳴をあげて仰け反っていた。

 そしてそのまま意識を失い、膝から崩れ落ちる。

 

 事態はそれで、あっけなく収束を迎えていた。

 

「はい、終わりっと。協力、感謝するよ少年。これは返しておくけど。咄嗟とはいえ、踏みつけてすまなかったね」

「あ、いや――い、いえ、こちらこそ助けていただき、ありがとうございます……!」 

 

 きっちりと汚れをはたき落とされて戻ってきた財布を受け取りながら、俺は慌てて礼の言葉を口にする。

 そうしながらも、意識は彼のゴツゴツとした右手に釘付けになっていた。

 

 この人……いま、なにやった?


 彼が魔術で雷を放ち、盗人を痺れさせたということ。

 それ自体は、俺にもわかる。

 そしてそれが呪文の詠唱を介さぬ思念法により、無詠唱で術法式を実行されたということ。

 そこまでは、理解も出来る。

 

 しかし、そこから先がまるで理解できなかった。


 己の内より発したアトマを、雷に変えて触れた相手に放つ。

 魔術を扱う者であっても、これだけを耳にすれば至極簡単で容易な行為に思えるだろう。

 

 だがそれが……『間近に無数に存在する、周囲の人々を一切巻き込まずに』となれば。

 大抵の魔術士にとっては、途端に匙を投げてしまうレベルの難題となる。

 それぐらい、雷の魔術は制御が難しいのだ。

 

 地面を伝播しても周囲に伝わらぬ程度の微細な出力であれば、大の男一人を即座に昏倒させる威力は到底望めず。

 逆にそれを可能とするだけアトマを用いて効果を増大させれば、当然、周囲にも少なくない被害を撒き散らす。

 

『雷の魔術も派手で好きなんだけど。炎を扱うほうが、色々と楽なのよねぇ……』


 地面に転がる盗人の姿を前に、そんなぼやき声が脳裏に思い返されてくる。


 ……あのときは確か、「めんごめんご、フラムくん」とかいう謎の謝罪の言葉と共に回復術をかけてもらい、からくも重傷を逃れたが……

 それ以来、俺の中でには雷の魔術に対する若干の苦手意識が植え付けられてしまっている。

 

 上手く使えたらカッコいいだろうって意見には、全面的に同意だけどさ。

 

「ん? どうしたんだい、少年。急にぼーっとして。もしかして、魔術を見るのは初めてで驚いたのかい?」 

「あ――だ、大丈夫です……そういうわけでは……!」

「そうか。それはよかった。保護者のかたも来てくれたみたいだし、一安心だ」

「保護者って……あ」

 

 その指摘に首を巡らせると、いつの間にやら隣にフェレシーラが立っていた。

 

「ありがとうございます。連れが盗難に遭いかけてところを、助けていただいたようで」 

「いえいえ……これはどうも、と」

 

 フレンの手綱を手にしたまま、フェレシーラが両手を揃えてペコリと頭をさげる。

 それを見て、金髪の男が目線を上から下に動かしてから、お返しのお辞儀を見せてきた。

 

 特に、どうということはないやり取りだが……

 気のせいか、一瞬、フェレシーラの胸元を見ていた気もする。

 

 そう思っていると、今度はその視線がこちらへと向けられてきた。

 

「ところで君。どうやら珍しい生き物も連れてるみたいだけど……ここは公国の管理が行き届いてない場所も多い様だから、気をつけておきなよ」

「あ、はい……気をつけます」


 言われて俺は背中側が静かであったことに気づき、ナップザックに意識を向ける。

 

 そこには丸まって小さくなり、「クゥクゥ」と可愛らしい寝息を立てるホムラがいた。 

 どうやら喉元を撫でてやった後、そのまま寝付いてしまったらしい。

 これだけ騒がしい場所で熟睡出来るとは、大物感があるというか、何というか…… 

 

「ちょっとアレク! こんなところで、なに油売ってるの!」 


 そんな風に感心していると、通りの向かい側から一人の女性が姿を現してきた。

 

 ベージュ色のボブカットで、身長は150㎝ほど。

 動きやすそうな布のシャツとショートパンツといった装いの、快活そうな女性だ。

 

 年齢は二十才いくかいかないか、といった感じだが……

 その頭頂部からはネコ科のそれを思わせる、大きな耳が飛び出している。

 

 獣人族。 

 中央大陸南部の国、ラ・ギオを棲家とする種族。

 その突然の登場に、俺は思わず「猫は鳥を狙いそう」との勝手な印象から後退りした。

 

 いや、ホムラは鳥じゃないけどさ。

 注意しておくように言われたばかりだし、一応はさ。

 

「おっと、エピニオか。姿が見えないから、随分と探したよ」

「それはこっちのセリフ! 集合時間になっても来ないから、皆カンカンだよ!」 

「うん? もうそんな時間だったか……っと、そんなに引っ張るなって。それじゃあ、少年。俺はこれ・・を詰所の衛兵さんに突き出してくるから、ここらで失礼させてもらうよ。縁があれば、またな」 


 そう言うと金髪の男は片手をあげ、「ニカッ」と爽やかな笑みをみせてきた。

 そして昏倒していた盗人の体を軽々と肩に抱え上げると、通りの向こうへと消えてゆく。

 

「ちょ、詰所って……アンタ、また余計なお節介焼いてたの!?」

「たしかに。君の言うとおりに、余計だったみたいだよ」


 そんな会話と共に、男の背中が遠ざかってゆく。


 再び動き出した雑踏の中、俺は呆気にとられてそれを見送ることしか出来なかった。

 あまりのスマートさに、重ねて礼を言う機会すら逃してしまった形だ。

 

「アレクっていうのか、あの人……」

「こっちでは聞かない名前ね」

 

 無意識に洩らした呟きに、フェレシーラが応えてきた。

 既に彼女はフレンの手綱を手に、歩みを再開しようとしている。

 

 何ていうか……爽やかさを絵に描いたような人だったな。

 なんか前歯光ってたし。


「格好からは、ちょっとわかんなかったけど……あのアレクって人、もしかしてやり手の冒険者とかなのかな」

「さあ、どうかしら。身のこなしといい、魔術の扱いといい……只者じゃないのは確かだけど。それよりも貴方、よく財布を盗まれたことに気づいたわね」

「? よく気付いたって……そりゃ懐に入れてたものを盗られたら、普通すぐにわかるだろ」

「普通、ねえ。私からしたら、貴方のほうが余程よくわからないわ。子供っぽいのか大人っぽいのか……ま、大事な路銀を奪われなくて何よりよ」

 

 そう言うとフェレシーラは、教会へと向けて歩きだした。

 それに倣い、俺も道を進んでゆく。

 今度は出来るだけ人と鉢合わせぬよう、彼女の後を追う形で。

 

 騒動の間中、フェレシーラは動いて来なかったが……

 荒事への対応もお手のものな彼女のことだ。

 俺と盗人とのやり取りが大事になりそうなら、すぐに助け船を出してくれただろう。

 

 しかし……それにしたって、保護者扱いはないよなぁ。

 歳もたった二つしか離れてないんだから、せめて弟ぐらいにしておいて欲しい。


「まあ、それだけ人からは頼りなく見えてるってことか。うん……頑張らないとな」 

「なにブツブツ言ってるの。それよりも、もうすぐ教会よ」

「へーい」


 それからも、ちょくちょく彼女と会話を交えながら。

 俺は人垣の向こうに見えてきた、十字の尖塔へと意識を移していった。

 

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