28.浅からぬ傷


「――いたっ!」 


 叫ぶと同時に、体が前へと進み出る。

 滝壺の根本には、一頭のグリフォンがいた。

 限界まで翼を広げて威嚇の姿勢を取るそいつは、しかし先刻目にした雄のグリフォンよりも二回りほど小さく、鬣も見当たらない。

 

 明らかに雌とわかるグリフォン。

 それを二匹の影人が、前後から挟みうちにしている。

 

 遠目から見ても、グリフォンの体は傷ついており、そして弱々しかった。

 最早彼女に、反撃に及ぶだけの力は残されていなかったのだろう。

 掲げられた翼が力なく垂れさがり、頭頂部がゆっくりと落ちていった。

 

 影人どもが色めき立つ気配が、こちらまで伝わってきた。

 陽に灼けた浅黒い肌が動き出す。

 標的へと向けてジリジリと近づき始めたそいつらの貌に張り付いていたのは、歓喜の表情だった。


「お――」 


 影人の腕が振り上げられる。

 赤黒く薄汚れた鉤爪が、合わせて四つ振りかぶられる。

 瞬間、俺の足元で砂利土が爆ぜ飛んだ。


「おまえらぁっ!」 


 怒声を浴びせられた影人が辺りを見回す。

 ごう、と耳元で風鳴りの音があり、景色の輪郭全てが見る間に歪んでゆく。 

 刹那の間に標的へと迫る、その最中。

 俺の右膝は矢を番えるようにして、胸元にまで引き絞られていた。

 

 そこに獣が二匹、振り向いてくる。


「どけよッ!!」 


 手前にいた獣の鳩尾目掛けて、俺は渾身の足刀を叩き込む。

 

 全体重と加速の勢いを乗せきった一撃に、影人の体が宙に浮き、滝壺へと向けて吹き飛ぶ。


 蹴撃の反動で勢いを殺し、地に足を揃える。

 止めを刺すべく懐の短剣を右手で抜き放つと、残るもう一匹が飛び掛かってきた。

 

 乱杭歯を剥き出しにしての、力任せの突進。 

 鈍重で単調に過ぎたその攻撃を、俺は斜め後ろに下がり回避する。

 

 遅い。

 そして鈍い。

 グリフォンとの交戦で体力を消耗していたとしても、あまりにお粗末な動きだった。

 この分では、飢えた野犬のほうが余程危険だろう。

 

 獲物を見失いよろめく獣の背に前蹴りをくれてやると、そいつはあっけなく地面に転がった。

 仲良くも、二匹揃っての大転倒だ。

 薄汚い化け物どもに無慈悲な追い打ちをくれてやる、絶好の機会だった。

 だというのに、俺は連中の無様な姿を前に立ち尽くしてしまっていた。

 

 腹が立っていた。

 こんな奴らにと思うと、腹が立って仕方がなかった。

 群れて、弱ったヤツを狙わねば碌に闘うことも出来ない数頼みの化け物が、自分と同じ顔をしているという事実に、腹が立って仕方がなかった。

 

 侮蔑の視線を切って横をみると、こちらより十数歩ほど離れた位置でグリフォンが「ピィ、ピィ」という、警戒の声をあげていた。

 

 彼女に向けて、敵ではないと口にしてみせたところで意味はないだろう。 

 だから俺は、現状で恐らく最も意味のある行動を取ることにした。


「わるかった、驚かせて……すぐ終わるから、そこで待っててくれ」 


 言って俺は、短剣を二度、ブーツの踵で頭を押さえつけた獣どもへと突き込んだ。

 肉を裂く手ごたえがあり、無防備な喉笛がぱっくりと裂ける。

 

 地面へと噴き出した鮮血が、周囲の岩肌を赤く染めていった。

 返り血なぞ喰らってやるつもりは毛ほどもなかったので、そうしていた。

 

 ほどなくして、二匹の獣はピクリとも動かなくなった。


「――ふぅ」


 それを確認して、俺は深々と息を吐き下ろす。

 滝壺から舞い上がる飛沫のお蔭だろうか。

 あの鼻を刺す鉄臭さは、微塵も感じられなかった。

 全力疾走を続けていたせいもあり、呼吸はまだ乱れていたが、さして気分も悪くもない。

 

 そんなものだろうと、俺は思う。

 

 自分は単に、害獣を二匹、処分しただけだ。

 その程度のことで胸糞悪くなってやる義理など、何処にもない。

 勝手に人の面をして暴れまわるけだもの相手に、元より同情の余地など存在しない。


 しかし何故だろうか。

 奇妙なほどに頭が重く、思考がまとまらなかった。

 自分が次になにをするべきかが、まったく浮かんでこない。

 ただ、これ以上一人でここにいても、意味がないように思えた。

 

「ごめんな、こんなことぐらいしか出来なくて」


 彼女へと手を振り、俺はその場を離れにかかる。

 グリフォンは川砂の上へと蹲ったまま、動く気配をみせていなかった。

 こちらを敵ではないと、認識してくれたのだろうか。

 そうであれば、こんな無茶をした甲斐もあるというものだろう。


「あ、つぅ――」


 不意に、右側の頬に引き攣るような痛みが走った。

 反射的に手で押さえると、指の腹に生温かいぬめりが感じられた。

 どうやら影人の突進を避けた際に、鉤爪の先端が掠めていたらしい。

 だがそれも、手傷というほどには深くはなく、出血の量も差程多くはない。


「そっか……爪のリーチ、ちょっと見誤ってたか」


 ぼやきつつ、俺は右手を一振りして汚れを払い落とす。

 そしてそのまま、滝壺の近くで短剣を清めにかかる。

 もののついでに冷たい水で顔を洗うと、頭の動きも少しはマシになってくれた。


「ふぅ……フェレシーラに、どう言い訳するかな……」 


 考えるまでもなく、状況は悪かった。

 何せ俺は彼女の忠告をこの上ないほど完璧に無視して、独断専行に及んでしまったのだ。

 なので、今頃フェレシーラがどうしているかを考えるだけで、気が重い。

 

 怒り心頭でこちらを追いかけてきているなら、まだよいほうだろう。

 最悪、こちらに愛想を尽かして見放されてしまった可能性すらある。


「ま、あいつ律儀そうだからな。きっちりお叱りされた後に、ペア解消、って線が一番濃厚か」


 そんな予想を口に、元来た坂道へと向き直る。

 馬鹿なことをした。

 それ以外、自分の行動対する感想が浮かんでこない。

 だというのに、不思議なほどに後悔はなかった。

 

 無論、影人の件が完全に片付いたなどとは思ってはいない。

 村を出立してからここまでの間に、合わせて九匹も出くわしたのだ。

 そんな相手が今回の戦いで全滅したなどと、都合よく考えられるわけもない。 

 

 いや……そもそもおかしいだなんてことを言い出したら、限がないのもわかっていた。


「ほんと……何考えてるんだかな、あの人は」 


 それまで無意識に抑え込んでいたのだろう。

 気付けば俺は、見慣れた巨木を探し求めて視線を動かしていた。

 

 当然、それは『隠者の塔』の在処へと向けてだ。

 この地を迷いの森足らしめている、魔女の棲家だ。

 そこに住まう主の力を以てすれば、影人は元より、グリフォンを追い払うことすら容易いだろう。

 だがあの時、彼女は――


「フラム!」 


 思考の渦に入りかけたところに、坂下から声がやってきた。

 フェレシーラだ。

 見れば彼女は息を切らしながら、こちらへと駆け寄ってきていた。


「もう!」 


 声をかけるべきか躊躇っているところに、逆に飛んできたのは少女の声。


「本当に貴方って子は、もう! 心配したんだから!」

「う……ごめん、フェレシ」

「ごめんで済みますか、これが!」 

「……はい。ほんと、反省してます。注意されたばかりなのに、急に走り出したりして」

「反省って、口で言うだけなら――ちょっと、なに貴方わらってるの!?」 


 平謝りをするこちらへと、フェレシーラが詰め寄ってくる。

 当然その様子は、怒り心頭大変ご立腹といった感じだ。

 額に大粒の汗を浮かべた彼女に、俺は後退りしつつも、ついつい頬を緩ませてしまう。

 

 勝手なことをしておいて、酷い言い草だが……

 彼女に見捨てられなかったことが、嬉しかった。

 なので俺は、表情を引き締めてフェレシーラと向かい合い、大きく頭を下げた。


「ごめん、フェレシーラ。ここからは後衛に回るって決めてたのに、勝手なことして悪かった」


 彼女の靴の爪先以外、何も見えなくなるまで。

 頭を下げて微動だにしないまま、俺は言う。

 

 開き直るつもりはないが、余計な言い訳はしたくなかった。

 それきり、滝壺のあげる水音以外何も聞こえなくなる。


「……今度約束破ったら、ペア解消だからね」


 暫くしてやってきたその声に、俺は一瞬、返答を躊躇ってしまう。


「わかったら、いつまでも黙ってないで。返事は?」

「それは……そうならない様に、努力します」 


 言って顔を上げると、そこには腕組みをしたフェレシーラの姿があった。


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