第6話 祝福の言葉


 私の家族は、私が寝坊している間にもうこちらを発ったということだった。

 それを聞いてほっとする。きっと父と母は私を非難するから。

 お姉様と妹にはそのうち手紙を送ろうと思う。


 ルーファス様は急ぎの仕事があるとかで、書斎にこもられている。こもる前に、体を休めるようにと私に言って。領主である義父のへの挨拶は明日の予定にしたからと。


 寝室の右隣の部屋で、私は今ソファに座っている。  

 エーメリーとキャシーは、いつでもお呼びくださいと下がっていった。

 暖炉に炎が揺れている。静かな午後。


 私の荷物はもう、整理され収められているみたい。

 チェスト、ドレッサー、小ぶりなデスク。どれも明るい色の繊細な装飾。それから天蓋付きベッド。

 この部屋は、本来の予定が変更になったから、急遽用意されたのかもしれない。

 それでも、私が過ごしやすいようにと、そんな気づかいを感じる。

 

 今、私はひとり。

 昨日から、数日前から、いろいろあった。本当に、いろいろあった。

 私の願いは、叶ってしまった。

 願いが叶った結果、こんなことになるとは思わなかったけれど。


 ふっと肩の力が抜けるのを感じた。

 私はここで、暮らしていくのね。




 翌朝、私室のベッドで目を開ければ、昨日より少し見慣れた部屋。ゆっくりと体を起こす。

「奥様、お目覚めですか?」

 どこかで聞いた台詞と思ったら、そーっと扉を開けたキャシーだった。

「おはよう。」

と声をかければ、キャシーがぴょこんとした動作で部屋に入ってくる。

「旦那様が、体調はどうかとお聞きになられています。それから朝食を一緒にと。」

「大丈夫と伝えてくれる?あと、支度を手伝ってね。」

「旦那様はくつろいだ格好で良いからと、言われていました。」

「……そう?」


 部屋着に着替え、そして案内されたのはルーファス様の書斎の隣。テーブルと椅子と、ひとりがけのソファがいくつかと、そして暖炉のある部屋。くつろぐための居間のような部屋。ルーファス様はもう椅子に座って、淡々とした表情で手紙を読まれている最中だった。

 それが、顔を上げて私を見る。目の雰囲気が柔らかくなった。口元に笑みが浮かぶ。

「おはよう、シェリル。」

「おはようございます、ルーファス様。」

 ……何か、私たち夫婦みたい。


 私が席に着けば、エーメリーとキャシーがテーブルに朝食を準備する。美味しそう。昨日よりもお腹がすいていると感じる。  

 朝食を食べながら、少しずつ会話をする。ルーファス様が質問して、私が答える。


「あなたに用意した私室はいかがですか?気に入らないものがあれば取り替えるので、いつでも言ってください。」

「はい、ありがとうございます。でも、十分過ごしやすい部屋にしていただいていますから、今は何もなくて。気になることができたら、お願いします。」


「昨日より、食がすすんでいるようですね。」

「はい、昨日も眠れたので、本当に良く眠れたので。胃の調子も良くなっているみたいで。」


「卵料理が好きですか?」

「はい、昨日のスクランブルエッグも今日の目玉焼きも。こんなに美味しいと思うのは久しぶりです。」

 それから焼きトマト、マッシュルーム、パンにジャム、どれも本当に。

 ルーファス様のほうにはソーセージもベーコンも添えてある。男の人ってこんなに食べるのね、当たり前なのかもしれないけれど。父や母と共に食事をしたのはもう大分前のこと。父がどれくらい食べていたかとか、よく思い出せない。


 エーメリーがにこやかにお茶の支度をしている。ルーファス様もどことなく満足そうに見える。

 私はほっとする。ほっとして。待って、ほっとして大丈夫?

 ……何か、大丈夫かもしれない。


 食後の紅茶が出された。私はミルクを入れる、私好みのたっぷりめに。


「シェリル、今日の予定ですが、午前中は僕と一緒に伯父上のところへ挨拶に行きます。その後、この館を見て回る時間にしたいのですが、いかがですか?仕事がひと段落ついたから、案内したいんです。

 それとも、もう知っている?」


 ルーファス様の質問に、カップを持つ手が止まった。

 実は、よく知らない。一度だけこちらに訪れて滞在したときは、鉄道と馬車の旅の間中、父と母から婚約者に気に入られるようになるためと称した小言を聞き続けて疲れ果て。到着すれば、婚約者は周りに取り繕うように私と関わるものの、二人だけの時はただ放置するような冷淡な対応で。それに、私もお願いしなかったけど、あの人もそんなことを言ってくれはしなかった。こんなふうに婚約者に蔑ろにされるような情けない娘だと、思われたくないけれど。


「……あの、知らないんです。」

「良かった。僕が案内する楽しみを、奪われなかったようですね。」


 まさか、こんな答えが返ってくるとは思わなくて。私はまた、ほっとして。思わずこう言ってしまった。

「あの、楽しみです。」

「とっておきの場所も案内しますよ。

 何より僕が、あなたと一緒にこの館を歩きたいんです。」


 ……なぜかしら、私たち初々しい新婚みたい。



 まず、お義父様にお会いするため、私室に戻り部屋着からデイドレスに着替える。ここはやっぱりちゃんとしないと。

 緊張する。結婚式のことを何と言われるか。

 一昨日は皆それどころではなくて、何も言われなかったけれど、今日はどうかしら。やっぱり、ちゃんと婚約者をつかまえておけ、そういう話になるかも。いえ、お義父様はそんなことは言われない方だと思うけれど。でも、どうかしら。


 ルーファス様と共にお義父様の私室に向かえば、よく来たという雰囲気で迎えられた。

 お義父様がソファに座る、私たちも向かいに座る。


 お義父様の低い声が、静かな部屋に響く。

「シェリル、まずは礼を言う。結果的にルーファスと結婚ということになったが、あなたが反対しなかったおかげで、率直にいってこちらは助かった。魔石の新規販路が必要でね。」

「いえ。」 

 そう言ったものの、それはこちらも、子爵家も同じ。お姉様と妹の持参金が必要だもの。それに、この領地では魔石が採取できるのね、今知ったけど。そのために新規販路が必要だったのなら、無事手に入って良かったわ。


 けれど、お義父様が眉を寄せ沈痛な面持ちになる。

「とはいえ、一昨日はさぞや驚かれたことと思う。」

「いえ。」

 そう言ったものの、言葉に詰まってしまった。確かに、驚きすぎた。あれほどの幸運が自分の身に起こり得るとは。


 お義父様が続ける。

「愚息の駆け落ちの知らせを聞いたときは、さぞや気落ちされたことだろう。申し訳ない。」

 それは違うので、むしろ逆。


「あなたからは非難されて当然と思っていたが。」

 するわけがない、むしろ逆。


「愚息が本当に申し訳なかった。」

 ……激しく、居たたまれない。


 もう、私の気持ちを話してしまおうかしら。

 いえ、待って。あの人と結婚しなくて済んで幸運極まりないなんて言ったら、お義父様の前で息子を貶すことになってしまう。

 かといって、ルーファス様で良かったなんていったら、一昨日まで婚約者だったあの人に対して不誠実な私になってしまう。ルーファス様に不誠実と思われるのは、イヤだわ。

 それに、気落ちしたフリができるほど、私は演技派ではないのよ。せいぜい、表情を隠すためうつむいて見せるくらい。

 でも、さすがに居たたまれないので、何か、せめて何か言わないと。


「お義父様、わたくしはそんなに悲観しておりません。ユースタス様とはご縁がなかった。そして、ルーファス様とはご縁があった、そういうことなのだと思います。」


 顔を上げてそう言う。言っているうちに、私は話しているとおりの気分になってきた。

 婚約者だったあの人とは縁がなかった。ルーファス様とは縁があった。

 縁があったルーファス様とは、今こうやって共に座っている。不思議だけれど、私はそれでいいような気がしている。


 お義父様の表情が晴れやかなものに変わる。なぜか、威厳のあるその眼差しに慈しむものが混ざっている。

「もう一度、この言葉を贈らせてもらおう。

 あなたのこの地での暮らしが、ルーファスと共にあることが、良いものになるよう心から願っている。」


 それは祝福の言葉。

 今、まるで結婚式を挙げているかのような、そんな気分になって。

 そっと隣を見れば、ルーファス様がじっと私を見つめていた。そこから伝わってくるものは、覚悟。

 私はやっぱり不思議な気持ちになる。


 婚約者だったあの人は駆け落ちして、私はこの方と、ルーファス様と結婚したのね。


 もしかして私は今、ちょっと笑っているのかしら。

 私を見ているルーファス様が、小さく笑い返してくれたから。


 

 

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