死んでも俺は

本田千秋

プロローグ

 そこは県内では有名な心霊スポットだった。

 郊外の安い土地に建てられたその総合病院はすでに役割を失って久しく、莫大な費用から放置された結果、雨風に壁面は荒み、窓は一部破損、無駄に広く人の気配からも遠ざかれば、時間と活力を持て余した若者達にとって格好の遊び場となった。

 しかしそれも駅前の土地開発が進み、彼らの関心がそちらに移行するまでだった。新たな娯楽と利便性の悪さから次第に存在も忘れられる。残ったのは生い茂る駐車場と、スプレーアートに荒んだ建物だけ。

 そんな廃病院——旧K総合病院にまた人が戻るのは、動画サイトに投降された一本の映像によってだった。

 心霊系を称する彼らによって撮影されたその動画は、ほとんど無名だった彼らを有名人に押し上げるに余りある臨場感と真実味があった。撤去されずに放置された医療道具、先程まで営業していたかのようなナースステーションの事務用品、人の熱すらも感じさせそうな病室はまさに心霊スポットと称するに相応しい生々しさだった。

 そしてなによりもその動画を話題にしたのは、撮影中に発生した怪現象である。

 院内の捜索中はなにも起きず、ただ不気味なだけだった撮影の総括を病院前で彼らがしていると、ガラス張りの玄関奥、誰もいないはずのフロントからコール音が響いたのだ。起こるはずがないと高をくくっていた彼らは恐怖から転がるように逃げ出した。しかし偶然に撮れていた恐怖に歪む表情が真実味を与え、視聴者の高評価を得る。

 無名だったこともあり、より過激にと病院名も地名も紹介していた。後にコンプライアンスから削除されたそれだが、一度話題になったものがネットから消えることはなかった。

 そうして名の知れた廃病院には、元の役割からは程遠い健康な者達がやってくるようになる。彼らの動画を検証したいまた別の撮影者、動画サイトによって収入が激減したオカルト雑誌の記者、そして本物こそをと肝試しに訪れる若者達。

 似たような怪現象が撮影され、マニアが好きそうな記事が雑誌に載り、そして肝試しにやってきた若者が死んだなどと囁かれるまでになる。

 だがやはりそれも一過性のものにすぎなかった。

 暴かれ消費されたホラーは神秘と恐怖を失う。一世を風靡したホラー映画が時代と共にコメディ映画へと変貌するように、その廃病院は本物がいるかもしれない未知の心霊スポットから、娯楽としての有名な肝試しスポットへと変わる。

 社会の結末としては、嘘か真かその廃病院は有名なただの暇つぶしの一つに戻った。

 ——彼らには関係のない話ではあるが。

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