第6話 信念と最期

陽が沈みゆく頃、アユタヤの王宮の一室で、山田長政は静かに座っていた。彼の目は遠くを見つめ、その表情には深い思慮の色が浮かんでいた。そこに、長年の部下である鈴木三郎が入ってきた。

「長政どの、こんばんは。お召しになったと伺いまして」

長政は振り返り、微笑んだ。「おう、三郎か。よう来てくれた。座れや」

鈴木は長政の前に座り、主の様子をうかがった。長政の顔には、いつもの毅然とした表情の下に、何か深い思いが隠されているようだった。

「三郎よ、おめえはわしと何年つきおうてくれた?」長政が静かに尋ねた。

「はい、もう15年になりますかな。駿河を出てからずっとお仕えしております」

長政はゆっくりと頷いた。「そうか、もうそんなに経ったか...。おめえは、わしの戦いぶりを一番よう知っとるな」

「はい、長政どのの勇猛果敢な戦いぶりは、アユタヤ中に轟いております。敵も味方も、長政どのの名を聞けば震え上がるほどでごわす」

長政は苦笑した。「そりゃあな、わしゃあ常に全力で戦ってきた。でよ、三郎。おめえに聞きてえことがあるだ」

「はい、なんなりと」

「わしの人生は、戦いそのものだったと思うだが、おめえはどう思う?」

鈴木は少し考え込んでから答えた。「はい、まさにそう思います。長政どのは、常に自分を鍛え、向上させ、そして外の世界に挑戦し続けてきました。それはまさに、人生を戦いとして生きてこられたということではないでしょうか」

長政はゆっくりと頷いた。「そうだな。わしゃあ、いつも自分との戦いだったと思うだ。弱い自分に負けねえよう、常に強くあろうとしてきた」

「長政どのの信念は、我々部下にとっても大きな励みでした。どんな困難にも立ち向かう勇気を、長政どのから学びました」

長政は窓の外を見やった。夕焼けに染まる空が、彼の目に映った。「でよ、三郎。わしゃあ最近、よう考えるようになったんだ。人間の限界ちゅうもんをな」

鈴木は驚いた様子で長政を見つめた。「限界、ですか?」

「そうだ。どれだけ強うなろうとも、いずれ人は死ぬ運命にある。わしゃあ、そのことをようやく理解し始めたんだ」

長政の言葉に、鈴木は言葉を失った。常に不敵に笑い、どんな困難にも立ち向かってきた主が、自らの限界を口にするとは思ってもみなかった。

「長政どの...」

「?」長政は苦笑した。「わしだって、年には勝てねえ。体のあちこちが、昔のようにゃあいかなくなってきびっくりしたかたんだ」

鈴木は必死に言葉を探した。「しかし、長政どのはまだまだお若いです。これからも...」

長政は手を上げて、鈴木の言葉を遮った。「わかっとる。わしゃあまだ死ぬつもりはねえ。でよ、いつかは来る最期のために、今からできることがあると思うんだ」

「できること、ですか?」

「そうだ。わしゃあ、自分の人生を振り返り、これまでの経験や学びを次の世代に伝えていきてえんだ。おめえたちに、わしの思いを語っていきてえ」

鈴木の目に涙が浮かんだ。「長政どの...」

長政は優しく微笑んだ。「泣くんじゃねえ。わしゃあまだまだ生きる。でよ、いつかは必ず来る別れのために、今からできることをしていきてえんだ」

鈴木は涙をぬぐいながら頷いた。「はい、長政どの。私たちはしっかりと、お言葉を胸に刻んでまいります」

長政は立ち上がり、窓際に歩み寄った。夕日が沈みゆく空を見つめながら、彼は静かに語り始めた。

「わしの人生は、常に挑戦の連続だった。駿河の寒村に生まれ、まっとうな暮らしもできねえような貧しい家に育った。でよ、わしゃあそんな環境に甘んじる気はなかった」

長政の目は、遠い過去を見つめているようだった。

「わしゃあ、いつも自分を鍛えた。体も心も。そして、チャンスがあれば必ず掴んだ。日本を出て、アユタヤに来たのもそうだ。ここで、わしゃあ自分の力を存分に発揮できた」

鈴木は静かに聞き入っていた。長政の言葉の一つ一つが、重みを持って心に響いた。

「でよ、わしゃあ今、思うんだ。人生とは、ただ強くあることだけじゃねえってな」

「どういう意味でしょうか?」鈴木が尋ねた。

長政はゆっくりと振り返り、鈴木を見つめた。「強さは大事だ。でよ、それ以上に大切なのは、その強さをどう使うかってことだ。わしゃあ、アユタヤのために戦ってきた。この国の人々のために」

鈴木は深く頷いた。「長政どのの行いは、アユタヤの人々に多大な恩恵をもたらしました」

「そうかもしれねえ。でよ、わしゃあまだまだ足りねえと思うんだ。もっと、この国のために、人々のために、できることがあるはずだ」

長政の目には、新たな決意の色が浮かんでいた。

「三郎よ、わしゃあこれからも戦い続ける。でよ、その戦いは、ただ敵を倒すためだけじゃねえ。人々の幸せのための戦いだ。わかるか?」

鈴木は強く頷いた。「はい、長政どの。私たちも、その志を継いでまいります」

長政は満足げに微笑んだ。「そうだ。おめえたちに、わしの思いを託す。わしの最期の日が来ても、おめえたちがわしの意志を継いでくれりゃあ、わしゃあ安心して逝ける」

翌日の朝、長政は早くから起き出していた。彼は自室の窓から昇る朝日を眺めながら、深い呼吸を繰り返していた。そこに、再び鈴木が現れた。

「長政どの、お早うございます」

「おう、三郎か。相変わらず早起きだな」

鈴木は長政の横顔を見つめた。「長政どの、昨日のお話の続きを...」

長政はゆっくりと頷いた。「ああ、そうだな。わしゃあ、今日からいくつかのことを始めるつもりだ」

「どのようなことでしょうか?」

長政は鈴木に向き直り、真剣な表情で語り始めた。「まずは、わしの経験と知識を文字に残すことだ。戦略や外交術、はたまた日本とアユタヤの違いについてもな。後世の者たちの役に立つかもしれん」

鈴木は感銘を受けた様子で頷いた。「素晴らしい考えです。長政どのの知恵は、多くの人々の助けになるでしょう」

「それだけじゃねえ」長政は続けた。「わしゃあ、もっと積極的にアユタヤの若者たちを教育していきてえんだ。戦いの技術だけじゃなく、人としての在り方もな」

「どのような教えをお伝えになるおつもりですか?」

長政は少し考え込んでから答えた。「そりゃあ、強くあることの大切さは教える。でよ、それ以上に大事なのは、その強さをどう使うかってことだ。人のために、国のために、どう生きるべきか。そういったことをな」

鈴木は深く感動した様子で言った。「長政どの、そのようなお考えこそ、まさに長政どのの生き様そのものではないでしょうか」

長政は苦笑した。「おだてるんじゃねえ。わしゃあ、まだまだ未熟者よ。でよ、だからこそ、残された時間で少しでも多くのことを伝えていきてえんだ」

その時、部屋の外から声が聞こえた。「長政殿、お呼びでしょうか」

長政は声の主を認めると、「おう、入れ」と答えた。

入ってきたのは、アユタヤの若い武官だった。彼は恭しく頭を下げると、流暢な日本語で話し始めた。

「長政殿、本日の訓練の準備が整いました。隊の者たちが待機しております」

長政は満足げに頷いた。「よし、すぐに行く。今日は特別な訓練を行うぞ」

若い武官は興味深そうに尋ねた。「特別な訓練とは?」

「今日からは、単なる戦闘技術だけじゃなく、戦いの本質について教えていくつもりだ。なんのために戦うのか、どう生きるべきか、そういったことをな」

武官の目が輝いた。「はい!ぜひ学ばせていただきたいです」

長政は立ち上がり、鈴木と武官を見渡した。「さあ、行くぞ。わしゃあ、最後の一息まで、この国と人々のために尽くすつもりだ」

三人は部屋を出て、訓練場へと向かった。その道中、長政は周囲の風景を心に刻むように見つめていた。アユタヤの街並み、人々の暮らし、すべてが彼の目には愛おしく映った。

訓練場に到着すると、多くの兵士たちが長政を待ち受けていた。彼らの目には、尊敬と期待の色が浮かんでいた。

長政は彼らの前に立ち、声高らかに語り始めた。

「諸君、今日からの訓練は今までとは違う。単に強くなるだけでなく、その強さをどう使うかを学んでもらう」

兵士たちは驚きの表情を浮かべながらも、真剣に耳を傾けていた。

「わしゃあ、諸君に問いたい。なんのために戦う?なんのために強くなる?それは、自分のためか?名誉のためか?」

長政は一人一人の顔を見つめながら続けた。

「いいや、違う。我々が戦い、強くなるのは、この国と人々を守るためだ。弱き者を助け、正義を貫くためだ」

兵士たちの目が輝きを増していくのが分かった。

「だからこそ、諸君。強さと共に、慈悲の心も持て。敵を倒すだけでなく、敵をも理解しようと努めよ。そうすることで、真の平和をもたらすことができるのだ」

長政の言葉は、兵士たちの心に深く刻まれていった。彼らの中には、感動のあまり目を潤ませる者もいた。

訓練は、長政の新しい教えのもと、これまでにない熱気に包まれて進められた。技術だけでなく、心のあり方にも焦点を当てた指導に、兵士たちは新たな目標を見出していった。

日が暮れる頃、長政は疲れた様子で自室に戻った。しかし、その目には満足の色が浮かんでいた。

「長政どの、今日の訓練はいかがでしたか?」鈴木が尋ねた。

長政は深いため息をつきながら答えた。「ああ、良かったと思う。あの若者たちの目の輝きを見てみろ。わしゃあ、希望を感じたぞ」

「はい、皆、長政どのの言葉に深く感銘を受けておりました」

長政はゆっくりと窓際に歩み寄り、沈みゆく夕日を見つめた。「わしゃあ、これからもこうして諸君を導いていく。そして、いつか最期の時が来たら...」

鈴木は息を呑んだ。「長政どの...」

長政は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。「心配するな。わしゃあまだまだ死ぬつもりはねえ。でよ、いつかその時が来たら、安心して逝けると思うんだ。わしの思いを、おめえたちが確実に引き継いでくれると信じとるからな」

鈴木は深く頭を下げた。「必ずや、長政どのの志を継いでまいります」

長政は満足げに頷いた。「ああ、頼むぞ。わしゃあ、生涯戦い続ける。でよ、その戦いは、より良い世界を作るための戦いだ。おめえたちと共にな」

その夜、長政は静かに星空を見上げながら、自分の人生を振り返った。彼の心には、まだやり残したことへの焦りもあったが、同時に深い満足感も湧いていた。彼は、自分の人生が「戦い」そのものであったことを誇りに思い、そしてその戦いが、単なる武力の行使ではなく、人々の幸せのための戦いであったことを確信していた。

長政は静かにつぶやいた。「わしゃあ、最後まで戦い抜く。そして、わしの思いを次の世代に託す。それこそが、わしの生きる道なんだ」

夜空に輝く星々は、まるで長政の決意を祝福するかのように、一層輝きを増したように見えた。

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海を越える夢 ―山田長政列伝 中村卍天水 @lunashade

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