第1話

ざわざわと騒がしい橋の上に、私は最悪の気分で立っていた。


コンサートホールに隣接する公園に繋がる歩道橋の上。


ホールでは今日、有名ミュージシャン″SUN CRUSH″通称サンクラのコンサートが行われるらしい。


綺麗に着飾った女の子たちが、みんな笑顔ではしゃいでいる。


私は相当浮いているんだろう。自分でもこの中にいては異質だという事がわかるほどに。

でもいいんだ。


どうせあの子達は、私のことなんて見えていない。きっと今はサンクラの事しか考えて

いないんだ。


大きなコンサート会場。続々と集まってくる人、人、人。


来ていないのかもしれない。来ていても会えないかもしれない。でも、私はここにいる。

確かめたい。その一心で。


私には中学からの親友と呼べる人がいた。その子は大のサンクラファンだ。


サンクラがテレビに出た翌日はいつも大騒ぎしていた。


サンクラの話をしていれば、あの子はいつも幸せそうに笑っていた。ほっぺたを桜色にして、瞳をうるませて。サンクラの事は正直興味もないし、よく知らなかったけれど、こんなにも人を幸せにできるサンクラは凄いなと思った事を覚えている。


ホールに隣接する公園に繋がる歩道橋の上、普段の服装とは全く違う、パーカーとジーンズというラフないでたちで、集まってくる人たちを注意深く見つめる。そう。探しているのはそのサンクラファンの友達だ。


いないなら、いないでいい。むしろ見つけたくはないのだから。


じりじりと太陽が肌を焼いていく。目深に被ったパーカーが暑いけれど、今はそんなのに構っていられないのだ。


私には3年付き合った彼氏がいた。何故過去形なのかというと、今日、つい五時間前に

別れ話をされたからだ。


今日 8月26日。私の誕生日に。


朝っぱらから携帯が鳴って、出てみたらいきなり別れ話を切り出された。


起き抜けの頭にはさっぱり理解が出来ないほど、突然の事だった。


なんで?


どうして?


と問いただしても、彼は無言。ごめんとも言ってはくれなかった。


今日は誕生日だし、最後でもいいから会いたいと伝えてみても、無理だと言われてしまった。


なぜかと聞けば、コンサートに行くから無理だと。


コンサート??

誰の??

誰と???


尋ねる前に電話は切られてしまった。それで終わったんだ。私たちの3年間が。


あぁ。


そうですか。

そうきますか。

調べますよ。

調べてやりますよ。


誕生日の朝からネットを駆使して、調べた結果、ヒットしたのが、このサンクラのコンサートだった。


サンクラのコンサートだとわかった瞬間。


今まで打ち消してきた猜疑心が、確信へ変わった。


サンクラファンのあの子と彼は、私が紹介した時から確かに気が合っている様子だった。


でも、あの子からは何も聞いていない。


そんなはずはないと、あの子を信じていたいと思っている。


でも心の警鐘は鳴りやまない。


いてもたってもいられなくなって、私は今ここにいる。

この歩道橋の上であの子と彼を探している。

何万人という人が集まってくる中で、たった二人を。ばかげているけれど、仕方ない。

今はこうするしか思いつかないのだから。


そして。


私の目は捉えてしまう。非情にも。

腕を絡めて歩く、おしゃれしたあの子と彼の姿を。楽しそうに笑って、時折、顔を寄せ合って言葉を交わす。


それは二人が橋の下を通過するほんの数分の事だった。でも私にはその光景が何べんも頭の中で反芻され、とてもとても長く感じていた。


やっぱりだ。わかっていた事とはいえ、実際に目にすると物凄い破壊力を持つ。


涙もでない。


動けない。


どの位そこにいたのか、そうしていたのか、

いつの間にか周りから人ごみが消え、ドームから唸る様な歓声が聞こえる。


どうやらコンサートが始まった様だ。


私はどこをどう歩いたのか、公園のベンチに腰かけていた。


ここへ来た目的は達成された。もう家に帰ればいい。帰って思いっきり泣けばいい。そしてケーキを食べればいい。だって今日は誕生日なんだから。


だけど、動けない。


だめだ。一歩も動けない。


ただ、じっとベンチに座っていた。ただ時間が過ぎるのを待っていた。こんな不幸な時間、早く過ぎてしまえ。こんなみじめな時間、早くなくなればいい。


ホールから歓声が漏れ聞こえてくる度に、二人の笑い合う楽しそうな顔が浮かんで、胸が痛んだ。


あぁ。


もう大嫌いだ。


サンクラなんて。


きっと私。これからTVでサンクラを見る度、嫌な気持ちになるんだろう。この惨めな気持ちを思い出すんだろう。八つ当たりだと分かっていても、サンクラが憎らしかった。


気づいたら、私の周りは人ごみになっていた。人の流れは駅まで続いている。コンサートが終わったらしい。どうやら私は相当の時間、ここに座っていたようだ。


周りの人はみんな、頬が上気していて幸せそうな顔をしている。


あの頃の、あの子みたいに。


二人は。あの二人は。


私がここでこうしている事なんて気づいていないだろう。気づいていても、私の事なんてどうでもいいのかもしれない。


私がここで泣いていたって、二人はきっと幸せそうに手を繋いで家に帰るんだ。


そんな事を思ったら。


今まで出てこなかった涙が一気に溢れ出る。我慢なんて出来なかったから、人目もはばからず嗚咽した。それでも人波は流れて行く。私の存在なんて誰も気にしていない。それはむしろ好都合だった。


泣いてやる。


泣いてやる。


号泣してやる。


そして泣きまくったら、ケーキを食べるんだ。


どの位泣いていたかわからない。

次第に人波は消え、ポツリポツリとまばらに残っていた人たちもいなくなった。


でもまだ涙は枯れない。誰もいない公園で一人泣いていた。きっともうすぐ誕生日が終わる。この最低で最悪だった誕生日が。


「あのさぁ。こんなとこに一人でいると危ないよ?」


そんな声がしたかと思うと、ドサッと隣に腰かけてきた男がいた。


黒いフードを目深にかぶり、口元には無精ひげ。ガタイのいいでかい男だ。

冷静に考えたら、超ピンチ。絶対に危ない。何をされるかわからない。逃げなくちゃいけない。


でも今は。


恐怖より悲しみの方が勝っていた。もうどうでも良かった。どうなっても。完全に心がマヒしている。


「もういいの。どうなっても。」


私は鼻を啜って、数時間ぶりに声を出した。私の相当な鼻声に、男は驚いた様子はない。


泣いていたのを知っていたのだろうか。

ずっとどこかで様子を伺っていたのかもしれない。そんなの絶対に危ない。でももうどうなったっていい。私は頭も心もおかしくなっていた。


すると男は意外な言葉を私にぶつけてくる。


「良かったら、話聞くけど。」


男の言葉はあたたかかった。その言葉が持つ意味も、男の吐き出した声のトーンも、全てがあたたかく感じた。


この際だ。


もうどうでも良くなっていた私は今までのいきさつ全部を吐き出してやった。


この不審な男に。


友人の事、彼氏の事、サンクラが大嫌いになった事、今日が誕生日だという事。


全部全部、めちゃくちゃに吐き出してやった。


途中、また涙が止まらなくなって言葉が途切れても、男はうんうんと聞いてくれた。


全部話終えて、私は自分の中が空っぽになったような気がしていた。

全てを聞き終わった男はすっと立ち上がり、暗闇に消えていく。


なんだよ。


それだけかよ。


私があまりに不幸で惨めだから、あきれて帰ったのかな。馬鹿にしてる。


不審者さえも、私を必要としてないんだ。私はベンチの上で体育座りをして、膝に顔をうずめた。はぁっと息を吐いてみる。

さっきよりは全てを吐き出した分、楽になっている自分に気づく。不審者も役立つ事はあるもんだ。



どの位そうしていたのか。



「良かった。間に合った。」


その声に顔を上げると、目の前にはケーキがあった。


「11時50分。ギリギリだけど。」


さっきの不審な男がケーキを差し出している。


「ケーキ屋閉まってたから、コンビニのケーキだけどな。」


男はまたさっきと同じ様に、隣にドサッと腰かける。ほんのりと汗のにおい。走ってくれたのだろうか。


「なんで...?」

「誕生日なんだろ?食おうぜ。俺も甘いもん食いたい。」


男は手際よくケーキを取り分ける。


「おめでとう。」


ケーキを口にする前、男が呟く。私は今、怪しい男とケーキを食べている。


親友に裏切られた日。


彼氏に振られた日。


26歳の誕生日に。


あまりの非日常に感覚がマヒしてしまったのか、今はもうあんなにどん底だった悲しみはない。何だか前を向けそうな気さえする。


「ウマい。」


口元しか見えない男が、その口元を緩ませた。確かにケーキはうまかった。


こんな日でも。

こんな場所でも。

こんな時間でも。

うまいものはうまい。


「話してみろよ。ちゃんと。」

「...はい...?」

「その友達と彼氏に。誤解の可能性もあるんだろ?」

「...はい...。」


私は素直に頷いた。


不思議だ。


あんなにぐちゃぐちゃの醜い気持ちだったのに、今はやけに清々しい。本当にもう一度話してみようと思えた。


「家は近いの?」

「...いや...。」

「車?」

「...いや...。」

「電車はもうないだろ。」

「...はぁ...。」

「これからどうすんだよ。」

「適当に...ファミレスかなんかで始発待ちます...。あ!ケーキ代返します!!」


男はハァーっと大きなため息をつくと、ポケットからごそっと取り出した物を私に握らせた。


「タクシーで帰れ。これで足りるか?」


手の中を確認すると、万札が2枚...。


「は!?あ、いや、こんなにかからな...」

「足りるならいい。気を付けて帰れよ。」


言い終わるか終らないかのタイミングで男が席を立つ。黒いフードの怪しいでかい男は、そのまま暗闇に溶けていく。


何故だか、暖かな空気とケーキの空箱だけを残して。


空には夏の大三角形がはっきりと見えた。


もう涙は出ない。


夏だからオリオン座は見えないけれど、あの怪しい男はなんだかオリオンに似ている気がした。


人並みはずれた体格を持ち、乱暴者と嫌われながらも、優れた狩人として名をはせたオリオン。そんなオリオンも本当は優しい人だったのかもしれない。


惨めな奴にケーキを与えた事があったかもしれない。


ねぇ、オリオン。また会えるかな?

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八月のオリオン @salmon_blue

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