第15話
先生は、本心では患者の話を聞きたいとは全く思っていないだろう。仕事だからしかたなく時間を割き、患者の話を傾聴している。私はそのことに興ざめしていた。先生は、私が死のうが、調子を崩してホームレスになろうが、知ったことではないのだ。
男性は、女性であれば好きであろうとなかろうと誰でも性のはけ口にすることができる。先生は私のことを使って戯れに射精しただけだ。
それでも私は嬉しかった。先生の精液は世界で一番尊いものだと思っていた。先生の精子を飲み込んで、自分の身体の一部として組成できたことが喜ばしかった。
でも、先生はビル・エヴァンスじゃない。ビル・エヴァンスは身体的に蝕まれてはいたけれども、心の底から望んで自らピアノを演奏して人々を楽しませたり感動させていたはずだ。それは時間と空間を超えている。
それに対して先生は、嫌々ながら患者の話を聞いて精神療法をしている。書類だって書きたくて書いてるわけじゃない。割に合わないと思いながら処方箋や診断書を書いていると思う。先生はセックス以外の楽しみを知らないのだ。先生はこの世で最も楽しいことはセックスだと思っている。生きる時間の大半を精神科医として過ごしていながら、精神科医の仕事に心からの喜びを感じてはいない。
私は、先生とセックスできたら嬉しいけれど、もしビル・エヴァンスのコンサートを観に行くことができるのであれば、先生とのセックスよりもコンサートに行くことを選ぶ。私はセックスがこの世で一番楽しいことだとは思わない。
私は、先生が東京の国立医学部出身の医師であるという社会的地位に目がくらんでいた。MARCH文系の私から見たら、東京の国立医学部は雲の上の存在だ。先生も医師然とした態度でいつも診察に臨んでいた。
しかし、本当のところ、先生はセックス以外に楽しみを知らないただの人間だ。診察で医師としての役割を演じている先生のつくる空気感に巻き込まれて、私も患者という役割を演じさせられていた。先生の出身大学が偏差値が高く、一般的に社会的地位が高いとされる職業に就いていることは間違いないが、それと人間として優れているかどうかは話が別だ。
繰り返し言うが、先生はビル・エヴァンスじゃない。ビル・エヴァンスは私にとって特別で高次の存在である。一方で先生は、高次の存在ではない。
私は先生のことを高次の存在だと思っていた。だから先生の精子を欲していた。でも、先生が高次の存在ではないとわかってしまった今は、先生の精子は、下劣な痴漢が電車の中で見ず知らずの女性の衣服にかける精液と同じかそれ以下の穢らわしいものとなってしまった。それでも最低ではない。糞尿よりは下劣な痴漢の精液の方がきれいだ。
先生の精子を飲んだときは、それが嬉しかったから今更精液を吐き出したいとは思わないが、もう私には先生の精液は必要ない。
エーリッヒ・フロムは『愛するということ』で「男は自分自身を、自分の性器を、女に与える。絶頂に達した瞬間、男は女に精液を与える」と書いている。もうそれは済んだことだ。私は先生から精液を与えられて、先生はそのときだけは本当に射精したくて射精したのだから、それでするべきことはもう済んだのだ。
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