精神科医に大人の診察をされちゃう

空気式

第1話

 今日は待ちに待った精神科の診察の日。私は二週間に一度、精神科で診察を受けている。電車で二時間かけて僻地の精神科病院に通うのはちょっとした旅行気分だ。病床数は180程度の中くらいの精神科のみの病院で、大学病院や大きな総合病院ではなく、町のメンタルクリニックでもない。

 二週間前から、次の診察で何を話そうかずっと考えつづけていた。

 私は精神科の先生に見下されていると感じていた。精神科の先生は東京の国立医学部出身で、社会的地位が高いから、同じように社会的地位が高い人たちや大企業に勤めている人たちと普段交流しているのだろう。私のことなどゴミのように思っているのだろう。診察室という同じ空間で患者である私と同じ空気を吸うのも嫌なのだ。そうやって自分は先生から、最低で、穢らわしいと思われているのだ、と自らに言い聞かせていた。

 でも本当は、先生に好かれたかった。先生に素敵な人だと思われたかった。それが叶わないとわかっているから、自分の身を切り刻むように、自分が最も望まない感情を先生は抱いていると頭の中で回廊を巡るように唱えていた。それは自分の想いが叶わないことを決定的に知らされることに比べたら甘い痛みであった。

 今日の診察では、先生に、私のことを穢らわしいと思っているんでしょうと言おう。そうだ、穢らわしいと思っている、と言われたらやはり思った通りだと納得できる。いや、穢らわしいとは思っていない、と言われたらそれで一応は安心できる。(穢らわしいとは思っていない、と言われても信用することはできないのだけれど。)どちらの答えでも私は怖くないのだ。

 地方都市のターミナル駅で、ローカル線に乗り換える。ずっと音楽を聴きながら診察で何を話そうか考えているので、長時間電車に乗っていても退屈しない。

 先生はビル・エヴァンスに似ている。無表情で、曇りはないけれど憂いがある真っすぐな目をしている。先生がピアノをもし弾くとしたら、ビル・エヴァンスみたいなピアノを弾くだろう。

 ローカル線の駅を降り、坂道を登って精神科病院に到着した。築40年は経っていそうな古い建物で、待合室のソファーだけが不釣り合いに新しかった。薄暗くて外界から切り離された聖域のような雰囲気がある。診察券を窓口に提出し、廊下の先にあるいつものお決まり位置のソファーに腰をおろした。サングラスはかけたまま、ヘッドフォンは外す。

 名前が呼び出されるまでいつも一時間は待つ。移動時間を含めれば、診察までに毎回3時間以上かけていることになる。そこまでして通うのは、先生のことが好きだから。

 待合室で、ほかにサングラスをかけている患者はいない。みんなサングラスをかければいいのにと思う。私は太陽の眩しさも、室内の蛍光灯の眩しさも苦手なので、いつも可能な限りサングラスをかけている。サングラスをかけていると、顔を隠せるので気が楽だ。

 待合室でKindleを開き、プラトンのメノンを読む。プラトンは、読むための前提知識があまり必要ないから哲学初心者にも読みやすい。理解が簡単というわけではないが、自分で読み砕くことが許されていると感じる。ドーパミンの分泌が促され、脳に血流が行き渡る感覚を味わうことにする。

 まもなく電光掲示板に、私の呼び出し番号が表示された。いよいよだ。

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