勇者アレックス~期待~
翌朝、目が覚めたとき、あれが夢ではなかったことを枕元に置かれた一枚の紙が物語っていた。
俺がまずしないといけないことは、弓を手に入れること。
普段余り使うことがない便箋を手に取ると、俺たち勇者の管理をしている宰相へと手紙を書いた。
内容としては、元々得意だった弓を使いたいため、弓を貰えないかということ、そして弓兵隊と共に訓練させてもらえないかというものだ。
手紙屋を通じて、その手紙の返事がきたのは、それから十日後のことであった。
弓については、援助することは可能だが、そのためには技量を示す必要があるということで、王都でその腕を試すことが書かれてあった。
幸いなことに、この街は魔物の被害がほぼない地域であったため、即時の移動の許可を貰うことができた。
魔物による被害が多い地域になると、代わりの勇者がやってくるまで待機しないといけないことも多く、危険な地域では引継ぎも兼ねると、出発まで一月以上待つこともザラであった。
そう言う意味では、俺がランクの低い勇者であって良かったと言えなくもない。
俺は元々少ない荷物をまとめ、保存食を中心に旅に必要な物資を購入した。
王都までなら、歩きだと片道一週間程度の道のりであるが、途中の街から馬車に乗れば、全行程で五日ほどだろうか。
唯一の課題は、この一年、まともに弓に触れていないため試験に合格することができるかどうかという点である。
そのため、武器屋に行き、安い弓と矢を十本、そして交換用の矢尻を購入した。
購入する際に、武器屋の主人からはなんだか奇妙な物をみるような目で見られていたが、それもそうだろう。
勇者が弓を扱うというのは、それほどまでに奇妙なのだ。
「この弓をあんたが使うのかい?」
なんて声をかけてくる程度には。
安い弓だったこともあり、勇者の単なる道楽と思われたような気がするが、今はそれで良い。
街の外で木を目掛けて試射した際には、空を切って真っ直ぐ飛び、トン、と軽やかな音と共に突き刺さった矢の姿と、その懐かしい感覚に、少しだけ感動した。
そして、その矢の力強さが、俺の選択は間違いではないと言っているような気がした。
準備を整えた翌日、俺は王都を目指して旅立つ。
街の防衛隊の人たちからかけられた「気をつけてな」という言葉を少し嬉しく思いつつ、俺は歩を進めた。
道中は穏やか極まりないものであった。
天候もよく、魔物の襲撃もなく、馬車の旅も平穏そのもの。
夕方や夜間には弓の練習を行ったが、体が感覚を覚えていたのか、錆び付いていた腕がどんどん本調子に戻ってくるのを感じた。
途中で野生のウサギや野鳥を弓で仕留め、馬車の旅の夕飯にしたこともある。
一緒に旅をした御者や、商人を食事に誘うと、とても感謝され、改めて弓の良さを感じさせられた旅であった。
今までの俺なら、きっとこんな経験をすることはできなかっただろう。
そんな五日という行程も瞬く間に過ぎ、馬車は予定よりも早い、五日目の午前中に王都へと到着したのであった。
久しぶりに王都に到着した俺は、手ごろな値段の宿をとると宰相宛の手紙を書く。
勇者と言えども、流石に王城へ直接出向くことはできないので、王都に到着した旨の報告と、試験の日程を聞くためである。
俺は手紙を宿の近くにあった手紙屋に渡すと、荷物を持って訓練所へと向かった。
訓練所は勇者や兵士、警備隊などが訓練を行うための施設で、そこにはサウナと水風呂が併設されている。
そこで五日間の体の汚れを落とすのだ。
体を清めている間に汚れた服を洗濯人へと渡す。
洗濯人は、サウナと水風呂に入っている間に服を洗い、乾かしてくれるのだ。
しばらくして、水風呂から出ると、預けていた服が乾いた状態で籠に突っ込まれていた。
サウナを温める際に出た熱を利用して服を乾かしているためか、服がかなり熱い。
おれは、それをバサバサと少し振り、冷ましてから身につけた。
その足で訓練所に向かうと、そこでは二人の勇者と何人かの兵士が訓練を行っているところであった。
残念ながら顔見知りの勇者ではなかった。
勇者の剣捌きは俺とは比べるまでもなく優れていて、ランクの高さを伺わせる。
しかし、プライドほどではない。そう思ってしまった。
(俺は、あの勇者たちより強いプライドと戦うのか)
その現実に、自身の立てた目標の高さに唾を飲み込むと、その場を後にした。
考えるのは、まずは弓を手に入れてからだ、と自分に言い聞かせながら宿へと向かう。
王城がすぐ近くにあるからか、手紙屋が宰相からの返事を宿に届けに来るのも早かった。
「今日の夕方か。早いな・・・」
中身を確認すると、今日の夕方に王城に来るようにと書かれてあり、宰相と話をした後で試験が行われるそうだ。
王都についたその日に試験というのは、なかなか慌しいが、宰相ともなると時間がないのだろう。
それから昼食を取ったり、仮眠を取ったりしているうちに、指定された時間が近づいてきた。
俺は手紙の内容を確認した門番から、通行証となるペンダントを預かり、それを首にかけると門から王城へと入っていく。
王城へと向かう道を歩いていくと、緊張が徐々に強まってくるのを感じる。
いつもそうだ。
勇者になってからは緊張感はだいぶ減ってきたにしても、やはり豪奢な建物というのは、自分には合わないように感じてならない。
そう感じながらも、王城の宰相の応接室へと向かい、ソファに腰掛けていると、少ししてから宰相と布で包まれた荷物を持った従者が現れた。
ブロンドの髪に混じる多くの白髪や、顔に浮かぶ皺の数が年齢を表すのとは逆に、細身の体、一本の棒が入ったかのようにまっすぐ伸びた背筋、力強い眼光、そのどれもが宰相としてか、強い存在感を示していた。
「息災かね」
その強い眼光がそのまま、私へと向けられる。
言葉の調子は威圧的ではないはずなのに、その目で見られる度に何だか叱られているような気持ちになる。
「は、はい、宰相様もお元気そうで」
俺の言葉に宰相が頷くと、従者がテーブルに包みを置き、その場で開いて見せる。
「これが、こちらで用意した弓になる」
そこから現れたのは、所々に羽の意匠があしらわれた赤い弓であった。
弓を補強する金属も、弦も、質のよいものであることがひと目見ただけで分かる。
宰相はちらりと俺が持ってきた弓の方を見る。
「アレックス殿が持っている弓と比べると、質は保証しよう。しかし、手紙にも書いた通り、この弓を渡すために、アレックス殿の技量を確認させてもらう。弓を扱える十分な技量がない者に渡しても宝の持ち腐れになるため、というこちらの意図は理解してくれるかね」
「ええ、もちろんです」
俺はその言葉に同意した。
「そうか、それは重畳。では、早速行こうじゃないか」
宰相がそういうと、従者が再び弓を包んで持ち上げる。
とても良い弓を見て、欲しいと思う反面、ここで成果を出さなければという緊張が新たに襲ってきた。
そして、緊張が取れないまま、王城から繋がる兵士たちの詰所、そしてその先に繋がっている兵士たち専用の訓練所へとたどり着いた。
そこに到着すると、兵士たちを監督する兵士長たちが集まり、宰相に敬礼する。
「お待ちしておりました。準備はできております」
兵士長たちの中で最も偉いであろう人が、話し始める。
「分かった。では案内を頼む」
「はっ、それではアレックス様はこちらに」
「分かりました」
俺は兵士長のあとに続いて、訓練場の奥の区画、おそらく射撃訓練専用の区画へと歩みを進める。
そこには、いくつもの人型の的が並んでいた。
藁を束ねて作られたものと、古びた鎧や防具を身につけたもの、これら二種類の的が、近距離、中距離、遠距離とそれぞれの区画に分けて配置されている。
壁際には木を模したハリボテがあることから、時には森林などの場面を想定した訓練が行われているのかもしれない。
指定された位置に立つと、兵士たちが扱う一般的な弓と矢、そして先程見た高級な弓と矢が後ろに並べて置かれる。
「それでは、アレックス殿。自分が持っている弓と合わせて三種の弓を使って、的を射ってみてくれ。まずは手前から、そして遠くの的へと狙いを変えていくように」
「分かりました」
俺は、そう返事をすると、自分が持っている弓に矢をつがえる。
的を狙うこと自体はさほど難しいことではない。
ここに来るまでの間にも射ってきたのだから。
動いている動物を狙うことと比べると、動かない的を打つことはとても簡単だ。
そうだろう、俺。
弓を左手に、腰の矢筒から抜いた一本の矢を右手に持ち、矢をつがえる。
一呼吸ごとに俺の意識は、的と弓から伝わる感覚に集中していく。
静かに、しかし明確に伝わる弓の感覚。
今にも飛び出そうとしている矢から手を離すとすぐに次の矢を手に取ってつがえる。
最初の的は手前の藁の的、頭部に命中。次いで鎧の的、首、中央の藁の的、頭部、鎧の的、腕、最奥の藁の的、頭部、鎧の的、頭部の鎧に弾かれる。
そこまで続けて射ると、弓を下ろす。
「ふう」
最後の一射は狙える場所が少なかったので、あわよくばと少しだけ空いていた目の辺りを狙ったのだが、当然上手くいくはずもなく。
次の弓に持ち替えるべく、後ろを向く。
誰も喋らず、ただこちらを見ていた。
その眼差しに、気後れしないようにと次に用意された一般的な兵士の弓を手にとった。
俺の弓よりも頑強で、強いしなり。
弓を構え、矢をつがえる。
短い集中と、呼吸、一息。
先ほどよりも鋭い発射音。
それは、藁の的に当たると小さく乾いた炸裂音に似た命中音を放った。
力強い矢だ。
そう思い、先ほどの誤差を修正し、二射目。
鎧の手首の継ぎ目に吸い込まれた弓が鈍い金属音を放つ。
薄い金属なら貫ける力がこの弓にはある。
この弓ならいけるか。
最奥の金属鎧。
中央の的も射抜くと、最後の一射。
それは、頭部に当たり「ガコン」という金属のぶつかる音がしただけで終わった。
(射抜けなかった)
それだけを考えると、後ろを向き、次の弓と取り替える。
弓を持っただけで分かる。
凄まじい力を持った弓だ。
矢をつがえて、弦を引いて驚く。
どこまでも、軽い。
しかし、手を離した瞬間、矢はとんでもない速さで飛んでいくのだろう。
不思議と口角が上がるのを感じる。
(いける)
この弓で狙いたいのは一つだけ。
最奥の鎧を着た的に狙いを定めると、この時間が終わることに少し名残惜しさを感じつつ、手を離す。
小さな風切音、そして「パンッ」と乾いた音。
その矢は鎧の胸に深々と突き刺さっていた。
弓を下ろすと、不思議と心が落ち着いているのを感じた。
静かな訓練所。
的に刺さった一本の矢が、俺の今の全てだ。
俺の背後から、パチパチと手を叩く音が聞こえた。
振り向くと、そこにいた宰相と兵士たちが拍手をしていた。
「素晴らしいじゃないか!アレックス殿!」
笑顔でこちらに向かってくる宰相は、私の肩に手を置く。
「君のその弓の腕は素晴らしいものだ!どうして、いままで言わなかったのかね!」
その喜色に染まった表情に「勇者は剣を使うものだと思っていたので」とポツリと呟くと、その表情は呆気に取られたものに変わる。
「勇者は確かに剣を使う者が多いが、例外も当然いる。そうか、最近の勇者は剣を使うものばかりだったか。もしかすると、そのせいで誤解されている可能性があるのやもしれないな」
「そうなんですか?」
「ああ、過去には槍を使う者、戦斧を使う者、そしてアレックス殿と同じように弓を使う者など、さまざまな武器を使う者がいた。その弓も勇者に渡すために作られたものの一つだ」
俺は、手に持った赤い弓を見る。
「ああ、そういえば、試験の結果だったな。もちろん合格だ。その弓と矢については自由に使ってくれ。矢の補充については、それぞれの街の兵士の詰所や守護隊の方に話をしておくので、足りなくなったらそこで補充すると良い」
「ありがとうございます」
一度頷くと、宰相は兵士長たちの方を向く。
「このアレックス殿が兵士たちと共に訓練に参加したいと言っていた件についてだが、それぞれの見解はどうかな」
その言葉に、一人の兵士長が返事をした。
長く伸びた髪を後ろで一本にまとめて結び、口の周りに無精髭をもじゃもじゃと生やした、三十代とも四十代とも見える男が俺を見てくる。
「弓兵隊としては、アレックス殿の参加を認めたいと思います」
「おお、そうかアーチ隊長。では、任せても大丈夫かね」
「ええ、お任せください」
そう言って、敬礼するアーチ隊長。
「それでは、後はアーチ隊長に任せ、私は職務に戻ることにしよう。ではアレックス殿、また何か相談したいことがあれば、また手紙をくれたまえ。君の活躍を期待しているよ」
兵士長が宰相を先導するように歩き始めると、宰相は従者を引き連れて、元来た道を戻っていく。
そして、ここには俺とアーチ隊長のみが残った。
アーチ隊長は髭を撫でながら何か考えているようで、俺の方をただじっと見ていた。
「何ですか?」
俺のその問いに、「いや」と前置きを挟み、言葉を続ける。
「率直に聞こう、どこで弓を習った?」
「村の猟師のおっちゃ・・・、おじさんに」
「ああ、言葉遣いは気にしなくて良い。楽にしてくれ、俺もそうするからな。えーと、なんだ。猟師に習ってからは、お前我流で射ってきただろう?」
「ああ、その通りだ。森の中で狩りをしていると自然と上手くなっていったんだ」
「やっぱりそうか」とアーチ隊長は言葉を続ける。
「アレックス、お前の弓は兵士向きじゃない。ここの奴らは同じように弓を構え、同じように弓を打つ、それをひたすらに叩き込まれる。それが弓兵の訓練だ。命中率は高いに越したことはないが、基本は弓を継続して撃ち続けることが俺たちの仕事だ。そして、一番の心配は・・・いや、見せた方が早いな。俺の手を見てみろ」
そう言って差し出してきた手には、親指と小指に弓を使う者特有のタコができていて、そしてそれがとても硬くなっていた。そして、それだけではなく、剣ダコもできていた。
「ひたすら撃ち続けるとこうなってくる。しかし、お前の手には剣ダコはあっても、弓ダコは少ない。お前、弓に触れない期間が長かっただろう。今のお前には長時間撃ち続けるだけの体が出来ていない。それに、別に弓だけでやっていこうって訳じゃないんだろ?」
俺はその言葉を肯定し、プライドを超えたいという目標について話すことにした。
「へえ、幼なじみの勇者を守るために、幼なじみを超えたい、か。しかも、約三ヶ月後の勇者交流会までに。なかなか男気に溢れてるじゃないか。なら、尚のこと、普通の兵士の訓練だけじゃいけないな」
そう言うと、アーチ隊長が右手を差し出してくる。
「俺が弓と剣を使った戦い方を教えてやろう、どうだ、やるか?」
アーチ隊長の目には曇りも嘘もなく、ただ真っ直ぐにこちらを見ていた。
その目は信用できる気がした。
「よろしくお願いします」
俺はその右手を取った。
ゴツゴツとしたその手がとても頼もしく感じた。
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