17 スマホ10分以上使ったら死ぬ設定です

 俺の脳内ではアクション映画さながらのBGMが流れていた。


 適当に買ったチョコを生徒鞄にぶち込み、トイレに行くと言って駅の外に出る。


 駅の中にあるトイレは綺麗だが、外にあるトイレは野蛮だ。

 野生の人間が使ったかのように荒れている。


「トイレっていうのは嘘だしな」


 前の使用者の大便が流されていないままの便器を眺めて、ぼそっと呟く。


「あとは家に帰るだけだ」


 幸い、30秒ほど走れば家に着く距離だ。


 唯一難しいのが横断歩道。

 基本的に横断歩道は黄色信号になったら渡ってはいけない。


 小学生も知っているようなことだが、大人になっても黄色信号で渡ろうとする輩がいる。自転車で横断するなどもってのほか。


 つまり、横断歩道を渡る際のタイミングは完璧でなくてはいけない。


 1秒でも歩き出すタイミングがずれてしまえば、世界の大混乱を巻き起こす。世界平和のためにも、横断歩道は気合を入れて渡ろう。


「秋くん、まだ? もしかしてトイレットペーパーなかった? お姉ちゃんが持っていくから、入るよー」


「ちゃ、ちゃんとトイレットペーパーあるから大丈夫!」


 姉さんが男子トイレの外から声を投げてきた。


 ――待ち伏せだ。


 俺の逃げ場はないに等しい。

 予想していなかったこともなかったが、面倒なことになった。これは当初の脱走計画を変更するしかない。


 俺は今個室に入っている。

 少し不衛生な気がするので便座に腰かけているわけじゃない。


 生徒鞄からスマホを取り出し、姉さんにメッセージを送る。


〈ごめん、ちょっとお腹痛い〉

〈今日は先に帰るから、姉さんは二人と五番街にでも行ってて〉


 0.1秒で既読が付いた。


〈大丈夫? やっぱりお姉ちゃんが一緒に個室入ってあげるね〉


〈それはだめ〉

〈普通に犯罪だから〉


〈でも秋くんが苦しいなら、お姉ちゃんも一緒に苦しむよ〉


〈お願いだ姉さん〉

〈部長として、副部長の姉さんには日菜美ひなみ千冬ちふゆを頼みたい〉


 この調子でLIМEライムし続けてたら腱鞘炎確定だ。


 普段スマホをほぼ使わないので手首の筋肉が悲鳴を上げている。

 俺にはスマホを1日に10分以上触ると死ぬ設定があるのだ。急いでスマホの使用を終わらせないと。


 命に関わる問題だったので、キークリックの正確性が上がった。


〈秋くん……〉

〈お姉ちゃんのこと、そこまで信頼してくれてるんだね(泣)〉


〈誰よりも信頼してるよ〉


〈お姉ちゃん、張り切っちゃうね〉

〈先輩として後輩の面倒は見ておくから、お姉ちゃんが帰ってくるの待っててね〉

〈すぐ帰ってくるから〉

〈絶対〉

〈帰って〉

〈くる〉

〈から〉


 結構チョロいのはいいが、この狂気を感じる返信はやめてほしい。


 それにしてもクリックが速いな。

 俺がひとつの文を打ち終わるまでに、姉さんはその3倍くらいの文を打ち込んでいる。


 予測入力を駆使しながらやるから早いのかな。

 知らんけど。


秋空あきら

〈あたしもチョコ買ったから〉


 今度は別の奴からメッセージが来た。


〈そっか〉

〈それはよかったね〉


〈なんか冷たくない?〉


〈ちょっと体調悪くて〉


 嘘だけど。


〈それはお姉さんから聞いた〉

〈あたしの義姉さん・・・・から〉


〈それじゃあ、今日俺家に帰るから〉

〈また明日〉


〈やっぱり冷たいよね〉

〈それって、あたしが元カノだから?〉


 いろいろとしつこい。


 早く姉さんたちとどっか行ってくれ。


 もうすぐ10分が経過してしまいそうだったので、姉さんと千冬には返信をせず、スマホの電源をオフにして鞄に封印する。


 これでこの世界のあらゆる「鬱陶うっとうしさ」から解放された。




 恐る恐る男子トイレの外を見渡す。


 姉さんたちはもういないようだ。

 先輩風を吹かせようとしている姉さんに率いられ、五番街にでも行ったことを望む。


 こうして、俺の帰宅部としての最初の活動を終わりを迎えるのだった。




「秋くんっ!」


 ささっと帰宅して、4分間はひとりだった。


 母さんも父さんもまだ仕事で帰ってきていない。

 現在時刻は18時。


 本来なら姉さんが夕食を作っているが、今日は俺が作ろう。そう思って、お湯を沸かすための水をんでいたら――。


「お腹大丈夫? お姉ちゃんがキスしてあげるから、秋くんはベッドでおとなしくしようね」


 とんでもない勢いでキッチンに美少女が乱入。


 俺のお腹に抱きついてくる衝撃に耐えられず、水の入った片手鍋をひっくり返してしまった。


 大量の水が姉さんにかかる。

 体の至るところから水滴をぽたぽたと垂らす姉さん。


「エロっ」


 思わず口から出てしまった。


 制服は水浸しで、その内側に秘めた下着というものが見えようとしている。夏服だから生地が薄いのだ。

 姉さんの下着は何度も見たことがあるが、こういったシチュエーションは初めてだった。


 とはいえ、相手は姉さん。

 よこしまな感情を抱くことはない。


「秋くん、今、エロいって言った?」


「いや、エモいって言った」


「違うよね。ちゃんと『ロ』って発音してたよね」


「俺をこんなに心配してくれる姉さんがエモいなぁと思って」


「もう秋くんったら、シスコンなんだから」


 吐息の混ざった声で姉さんが囁く。


 背筋がゾクッとした。


「いいんだよ、お姉ちゃんに興奮してくれても」


 気づけば姉さんは俺に覆いかぶさっている。


 南米のウルバンバ渓谷――つまり姉さんの胸の谷間が俺の視線のすぐそこだ。ショートの髪が重力で垂れ、俺の顔をくすぐった。


「びしょ濡れだから着替えてきたら?」


 こんな時、俺は現実的なことを言って、この危険な状況を酔いから覚ます。


「いっぱい濡れちゃったね、秋くん」


「だから着替えようか」


「お姉ちゃんをこんなに濡らしておいて、罪な男だね」


 そんな罪な男は夕食を作らなくてはならない。


「下着も濡れちゃったから、シャワー浴びてこようかな」


「いいんじゃない。体調よくなったから俺が夕食作っとくよ」


「秋くんも少し濡れてるよ? シャワー、一緒に――」


「このままだと風邪引くから、早く脱いだ方が……」


 なーんか失言したような気がする。


「うん、脱ぐね。今ここで」


 姉さんはそう言って、ゆっくりと濡れた制服を脱ぎ始めた。






《次回18話 いよいよ登場の爽やか系イケメン》

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