終章 蛇の夢

夢、うつつ、まどろみ


 層雲峡の奇岩の隙間、その奥で、真新しい着物に身を包んだメカクレが丸まっている。冷たい空気は彼の体温を下げ、再び冬の睡りへ誘う。死へ近付くように薄れる意識の中で、夢とも回想ともつかない映像が脳裏に浮かんでは消える。


 ゆらゆらと揺れる青罌粟。少女の白い頸と、長台詞を吐く薄い唇。緋縮緬の襦袢、針と糸、血塗れの簪――――


 ぱちりと目が開いた。昏い瞳孔を縁取る細い榛色の虹彩が、岩の裂け目から射し込む光を跳ね返す。



*****



うつつ


 昏い船倉。積み上がった荷箱の陰で、メカクレが帯を解いた。裾からするりとミドリが抜け出す。まだ糊の残る着物を紐で括って荷箱の隙間に捩じ込むと、身体を二つに折り、大きく口を開けた。喉の奥から、髪と同じ青磁色の蛇が顔を出した。ずるりずるりと蛇が吐き出され、床の上にとぐろを巻いた。元の身体の方は見る間に縮み、乾き、抜け殻のようになった。蛇は抜け殻の、髪の付いた頭に噛み付き、呑み込みはじめた。薄い抜け殻が、どんどん圧縮されながら蛇の口内へ消えていく。しばらくすると抜け殻は全身が呑み込まれ、蛇の腹はいくらか膨らんでいた。

 ばたん。天井のハッチが開かれた。騒がしい上階の音が船倉に這入り込む。足音に混ざって話し声。

「なあ、先刻さっき降りた荷役人はどこだ。浅葱の着物の」「さあ。そんなのいたか」



*****



微睡まどろ


 いくらか着用感のある着物を着て、再びメカクレが岩の隙間へ戻った。岩の上へ丸まる。闇に渦巻く浅葱は、青蛇のとぐろのよう。

 まどろみの中で思い出す。コバルト・ブルーの空へ消えた大鷲。溶けて吐き出される躰。喉を潤す、甘く香る血。


 今度は目を開かず、すぐに寝息を立て始めた。もう夢は見なかった。



 古代に緒を成す異形の怪譚は未だ結びを迎えず、遙か南で奇妙な続篇を紡いだのであった。

 さまざまの出来事や蛇の見た夢を撚りし糸で織られた、あをしあやぎぬに浮かぶ濃淡は、唐草あるいは花鳥文様か。否、一歩引いて見れば、もしやこれは絵巻物。

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