墜落する平穏

「――以上が本件の報告になります」


 そう言って溯春はふうと息を吐き出した。そこは誰かのオフィスと思しき部屋、彼が顔を向ける方には大きな窓があった。昼間だというのにブラインドを閉じていないため、室内に慣れた目にはそれなりに眩しく感じられる。そのせいで目を細める溯春の顔は酷く無愛想で、彼の隣に立つ東雲の表情は強張っていた。彼の目線は溯春の無愛想な顔と自分達が向かい合っている相手との間を忙しなく行き来し、どちらかの息遣いが聞こえるたびにギッとぎこちなく止まるというのを繰り返している。

 彼らが話している相手は、窓を背にした席についている女だった。机の配置から考えて、このオフィスは彼女のものだ。年頃は東雲よりも上、溯春と同じくらいだろうか。その机の上にある札には、〝関東支部長 朱禰あかね響希ひびき〟と書かれている。

 東雲の心配を余所に、女――朱禰が溯春の表情を見咎めることはなかった。それどころか溯春の話が終わると「ふむ」と頷いて、「ご苦労だったね」と柔和な笑みを浮かべた。


「しかし子供が匿っていたのか……もう少しゴーストについて情報を公開した方がいいのかな」

「公開したところで何も変わりませんよ。やる奴はやります」

「身も蓋もない」


 朱禰が苦笑すると、それまで黙っていた東雲が「あの……」とおずおずと口を開いた。


「この子ってどうなるんでしょう……? ゴーストの隠匿はもうどうしようもないっスけど、その……」

「レベルフォーに相当するかって? 大丈夫だよ、これくらいじゃレベルスリーにすら問われないだろう」

「え? でも溯春さんは……」


 朱禰の返事を聞きながら東雲が溯春を見る。すると彼の言いたいことを察したのか、朱禰が「ただの脅しだろう?」と溯春に笑いかけた。


「そうですね」

「ッ、嘘でしょ!? おれ本気で心配したのに……!」

「事例を勉強し直せ。こういうのは解釈次第なんだよ」

「えー……」


 東雲が情けない顔で項垂れる。それを見た朱禰はおかしそうに笑うと、「レベルフォーはよっぽどだよ」と話し出した。


「殺人やテロ行為って定義されているけど、レベルフォーは一番重いからね。裁く側も慎重になるのさ。実際、殺人行為をしてしまったけどレベルスリーの判決が下った例は多い。少しでも更生の余地があればレベルフォーは避けられる」

「そういうモンなんスね……」

「まあ、事例の勉強が必要なのは本当かな。この辺は追跡官の訓練所じゃ教えてくれないから」


 朱禰が付け足した言葉に、東雲がぐっと顔をしかめた。「勉強……」嫌そうに呟く彼を尻目に、朱禰が溯春へと目を向ける。


「溯春くんもすまないね。ゾンビなんか相手にしてもらっちゃって」

「仕事ですから」

「君にはなるべく時間のかからない案件をやってもらいたいんだけど、なかなかうまくいかなくて」

「たまにならいいですよ」

「そっか。ありがとう」


 朱禰がにっこりと笑って返せば、溯春が「話が終わりならこれで失礼します」と会話を打ち切ろうとした。無礼とも取れる行動だったが、朱禰に気を悪くした様子はない。いつもどおりと言わんばかりに頷いて、「うん、二人共お疲れ様」と溯春達を見送ろうとした。


 だが――


「――あ、東雲くんは残って」

「え」


 思い出したように言われ、東雲が身体を強張らせる。そんな彼を置いて溯春はさっさと去り、部屋の中には東雲と朱禰の二人だけになった。


「……不服従についてっスか?」


 恐る恐ると言った様子で東雲が問いかける。「記録映像見たんスよね……?」と付け加えれば、朱禰は「あの程度ならいいよ」と安心させるように笑った。


「君達追跡官は確かに犬だけど、道具じゃない。自分の考えを完全に消す必要はないよ」

「じゃあ……?」

「溯春くんとはうまくやっていけそうかなって」


 朱禰の言葉に東雲がギクリと顔を引き攣らせる。そのまま少しばかり目を泳がせていると、朱禰が「そんなに緊張しないで」と続けた。


「何件か二人でこなしてもらったから、そろそろ相性も分かる頃じゃないかなって思っただけだから」


 優しく微笑む朱禰に東雲は肩の力を抜いた。他意がないか探るように見つめてみるも、相手の様子は変わらない。


「……溯春さんは、凄く仕事のできる人だと思います」


 相手の反応を窺いながら口にすれば、朱禰が「あ、私に気を遣ってる?」と苦笑をこぼした。


「そっスね……支部長、溯春さんと仲良さそうですし」

「でも贔屓はしていないよ。配慮はするけどね」

「仲良いのは否定しないんスね」

「事実だし」


 朱禰が妖艶に笑う。東雲は困惑したように身動ぎしたが、すぐに「……仕事ができると思ってるのは本当っスよ」と話し出した。


「どんな時も冷静で私情は挟みませんし、ハンドラーとしての指示も的確っスから」

「でも?」

「でも……正直、時々怖いっス。普段の態度はいいんスけど、その……たまに殺人鬼かってくらい怖い目してる時があって。無機質で、冷たくて……人間なんてどうでもいいって思ってそうで……」


 言いながら東雲は視線を落とした。思い出すのは倉木の扱いについて溯春と意見が対立した時のこと。後から考えれば彼は威圧する目的で自分に対してあんな態度を取ったのだと分かるが、あの空気はただの演技で出せるとは思えない。

 だとすればあれが溯春の本質なのではないか。相棒である自分のことを完全に道具と見做し、ゴーストやそれに関わる人間のこともただの事象としか考えていない――考えれば考えるほど、東雲の表情が暗くなっていく。


「……あの、溯春さんって元囚人っスよね? おれ、罪状ちゃんと見てなくて……一体何したんスか? 確かに極悪人みたいな顔する時もありますけど、合理的なあの人がわざわざ犯罪行為して、その上捕まるなんて想像できないんスよ」


 以前聞いた情報と自分の見た溯春とを比べながら、東雲が朱禰に問いかける。


「しかもゴーストクリーナーになれるくらいだから危険度は低かったんでしょう? 尚更そんな中途半端なことやるようには思えなくって……」

「君は彼とバディを組む時、罪は関係ないって詳細を聞くのを断ったって聞いてるけど?」


 朱禰が目を細める。東雲はうっと顔を顰めると、「あの時はいらないって思ったんスよ……」と頭を掻いた。


「でも今は気になる、と」

「……っス。それにほら、あの時はおれ聞ける立場じゃありませんでしたし。けどこうしてしばらく一緒に働いてみたらやっぱ気になるっていうか……」


 気まずそうに東雲が目を泳がせる。そんな東雲に朱禰はくすりと笑うと、「レベルフォーだよ」と口にした。


「え……」


 東雲の顔から表情が消える。信じられないことでも聞いたかのように、呆然と朱禰を見つめる。

 だが一方で朱禰は笑みを絶やさなかった。「東雲くんの感じたとおりだよ」口を動かしながら、妖しい目線を東雲に向ける。


「溯春くんはね――」


 その時だった。朱禰の背後、明るいはずの窓の外が一瞬だけ翳った。珍しい出来事に朱禰の口が止まる。いくら窓を背にしていても、部屋の明るさが変われば気付かないはずがない。

 そして東雲もまた、無意識のうちに動きを止めていた。今自分が見たもの理解しようと頭を働かせる。だが、それよりも先にが起こった。


 ――ドンッ!


 大きな音だった。窓ガラス越しでもはっきりと聞き取れるほど大きく、強く。その直後には悲鳴が響き渡り、朱禰がはっとしたように窓の外へと目を向ける。

 彼女が見る先は下、二人のいるオフィスの入るビルの入口付近。そこには人だかりがあるが、皆何かを避けるようにして立っている。朱禰はその何かをよく見ようと目元に力を入れたが、すぐに諦めたように視線を室内に戻した。


「東雲くん、溯春くんのバイタルは?」

「え?」

「バディなら見れるでしょ。早く確認」

「は、はい! でもなんで……」


 戸惑う東雲に、朱禰が厳しい表情を向ける。


「多分人が落ちた。溯春くんの帰り道だ」


 その朱禰の言葉を聞いて、東雲はザァッと顔を青ざめさせた。

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