約束と自己満足の違い〈一〉

「なんだよこれ! なんでこんな時にバグるんだよ、リスナーが離れるだろうが!!」


 三城が乱暴にホロディスプレイを操作する。と言ってもいつもと違って手を使っているだけで、実体のないそれには触れることすらない。そのせいで苛立ちがうまく発散できないのか、三城は何度も何度も地団駄を踏んだ。そのたびに床板は軋み、壁にかけられた工具がカランカランと音を立てる。


「おい、音立てるな! ゴーストクリーナーに見つかるだろ!?」

「ンなモンどうでもいいんだよ! こっちの方が大事だ!!」

「どうでもいいって……!」


 君津のことを全く考慮していない三城の発言に倉木が眉をひそめる。しかしその間にも三城の怒りは大きくなっていき、「なんで直んないんだよチクショウ!!」と遠くまで聞こえそうなくらいの声で吠えていた。


「――ジャミングしたに決まってるだろ」


 三城のすぐ後ろから声がかかる。そこにいたのは溯春と東雲だ。「お前ら……ゴーストクリーナー……!?」振り返った先にいた二人の姿に、三城の目が大きく見開かれる。倉木もまた信じられないとでも言いたげに顔を歪め、三人の姿を見続けていた。


「なんでここが……いやそんなことどうでもいい! お前ら今ジャミングっつったか? お前らのせいで配信止まったのか!?」

「うるせェな、大声出さなきゃ喋れねェのか」


 溯春が指で片耳を塞ぐ。白々しいその態度に三城は目を吊り上げると、「テメェのせいだろうが!!」と怒声を上げた。


「さっさと戻せ! ふざけたことしてんじゃねぇぞ!?」


 三城の顔は怒りに染まっていた。薄暗くとも紅潮しているのがはっきりと分かる。対して溯春は冷めきった表情で、「黙れガキ」と吐き捨てた。


「邪魔するならお前もしょっぴいてやろうか」

「はっ、ゴーストクリーナーにそんな権限ないだろ? 通報されたら困るのはそっちじゃねぇの? 嫌ならさっさとジャミング解除しろよ! 今この場面配信したらどれだけ人が集まると思ってるんだ!!」


 三城の声には怒りだけでなく嘲笑も含まれていた。自分達によく向けられるその態度に、東雲が小さく「こっわ……」と呟く。一方で溯春は三城の様子を全く意に介していない様子で、「別に解除してやってもいいぞ」と冷たく笑いかけた。


「お前がプラプロ外したら、だけどな」

「はあ? 外すわけないだろ。馬鹿なのか? こういう配信で顔出しするなんてリスクでしかねぇじゃん。公務員のくせに大人が子供に外すよう強要するのも罰せられるって知らねェの?」

「へえ、分かってるじゃねェか」


 見下すように言う三城に、溯春がニヤリと口端を上げる。そして、ゆっくりと口を開いた。


「――《プライバシープロテクト強制解除申請》」

「は?」


 突然の溯春の言葉に三城が怪訝な声を漏らした。だが、溯春は何も返さない。それよりも先に彼の前にホロディスプレイが現れて、音声が流れ始めたからだ。


〈申請確認:事由を説明してください〉


 機械的な声が淡々と告げる。


「ゴースト隠匿の疑いと、公務執行妨害現行犯を捕縛するため。過去三分間の記録映像提出」


 ホロディスプレイから流れる声に答える溯春もまた淡々としていた。事務手続きそのものの光景に、三城も、その奥にいる倉木も不思議そうに事の成り行きを見守るばかりだ。


〈――確認しました。申請を承認します〉

「ンじゃ改めて、《プライバシープロテクト強制解除》」

〈強制解除プロトコル始動:IDを指定してください〉

「《ID検索指定:そこの高校生男子二人》」

〈検索完了。ユーザー権限オーバーライト。プライバシープロテクトを強制解除します〉


 そこで音声が止まると、溯春の前にあったホロディスプレイもまたその場から消えた。溯春は改めて三城に視線を戻し、「ほら、確認してみろ」と人差し指を彼に向ける。

 三城はそれが自分のホロディスプレイを指しているのだと気が付くと、溯春を警戒しながらも画面を確認し始めた。


「……は? プラプロが切れてる……?」


 ザァッと三城が顔を青ざめる。慌てて画面を操作するが、その顔色が元に戻る気配はない。


「クソ、クソ! 直んねぇ!! おいおっさん、どういうことだよ!! なんでゴーストクリーナーごときにこんなことができんだよ!?」

「ゴーストクリーナーだからできるんだよ。東雲、説明」


 溯春に名指しされた東雲は「またおれっスかぁ?」と眉根を寄せた。「文句言わずにさっさとしろ」冷たい声で溯春が言う。すると東雲がはあ、と溜息を吐いて、渋々と三城に向かって口を動かし始めた。


「えーっと、ゴーストクリーナーは任務遂行に必要だと判断できた場合、警察と同じ権限を行使できるんだよね。とはいえ申請しなきゃいけないんだけど、今回はきみが妨害したんで申請が通った。あとそっちの子はゴースト隠匿の疑いがあるから、普通に犯罪者扱いって感じで」


 そっち、と東雲が指差して言えば、倉木はぐっと唇を噛み締めた。だが溯春達の方を見ている三城は気付かない。東雲の説明を聞いて、「嘘だろ……」とただただ呆然としている。


「嘘じゃないよ。ちなみにおれが今これを説明してるのも義務だからだね。本当は溯春さんがすべきなんだけど、この人面倒臭がりだから……って、睨まないでくださいよ。事実でしょ」


 横からの鋭い視線に東雲が眉を下げる。そんな東雲に溯春は鼻を鳴らすと、「ま、そういうことだ」と三城に話しかけた。


「ついでにジャミングも切ってやろうか? まあ、切らなくても通りがかりの奴が影響範囲外で配信したら、今のお前らは二人共素顔で世界に晒されるけどな。犯罪者として」

「っ……卑怯だ!!」

「卑怯で結構。別に正義の味方じゃねェからな」


 そう言ってニヤリと笑った溯春の顔には悪意があった。悪人にしか見えないその顔に三城が狼狽える。それまでの虚勢はどこにいったのか、自分の素顔が誰に撮られるか分からない状況にきょろきょろと忙しなく周囲に目を配る。


「ってことで、そろそろそこのゴーストは消すぞ」

「――待ってください!!」


 三城に話しかけた溯春に、奥にいた倉木が声を上げる。君津を庇うように両手を広げ、悲痛な顔を溯春に向ける。


「嘘だったんですか……? 逃げ切ったら見逃してくれるって言ったのに……!!」

「逃げ切ってみろとは言ったが、見逃すとは一言も言ってない」

「でも夜まで待つって!! まだ夕方ですよ!?」

「公務員なんでね、十七時以降はもう夜だ」

「そんな屁理屈……!」


 愕然とした倉木に、溯春の横で東雲が「ま、うちは定時って概念ないんスけどねー」と呟いた。だが、溯春は何も言わない。東雲の声が聞こえていなかったとばかりに完全に無視をして、「ほら、そこをどけ」と倉木に告げる。


「一応、可能な限り子供には見せるなってルールがあるんだ」


 淡々と言い放つ溯春に、倉木がキッと強い目を向ける。


「ならどきません。俺がどかなければあなたは君津さんを消せない」

「俺がそいつを消さなきゃ君津本人は一生目覚めないぞ」

「…………」

「ああ、知ってるのか。知った上で消さないようにしているなら、レベルスリーどころかレベルフォーが適用されかねないな」

「ッ、どうして……! レベルフォーは殺人でしょう!?」


 倉木が驚愕の面持ちを浮かべる。確認するようにちらりと東雲の方を見たが、険しい顔の東雲はゆっくりと首を左右に振ってみせた。諦めろとでも言うような仕草に、倉木の顔に困惑が滲む。


「人間、寝たままじゃ身体の機能はどんどん衰えていく一方なんだ。完全に衰えちまえば生きていることすら難しくなる。それを知りつつ妨害するなら殺人と大して変わらない」


 溯春の言葉に、倉木が「でも維持装置が……」とどうにか絞り出す。


「あんな高額なモン、一般家庭の親がいつまでも払えるワケねェだろ。お前のわがままで君津とやらは身体が弱っていくし、君津の家族は経済的に困窮していく。それでも消させないってんなら、君津とその家族に明確な害意を持っていると見做される」


 その説明を聞いて、倉木の身体からだらんと力が抜けた。呆然と地面を見つめ、動かない。その姿に溯春が「納得したなら消すぞ」と言うと、倉木は弾かれたように顔を上げた。


「もう少しだけ……もう少しだけ待ってください! あと三日でいい! 彼女との約束を守ったらもう邪魔しませんから!!」


 倉木は震えていた。声も、身体も。そこから溢れるのは彼がその約束を大事だと思っているということ。誰でも感じ取れるその感情に、東雲だけでなく三城すらも苦しそうに倉木を見つめたが、溯春だけはうんと呆れたように白けた顔をしていた。


「ゾンビとした約束に意味なんてねェだろ。つーか返事すらできない相手に言ったことなんて約束とは呼ばねェよ」

「君津さん本人とした約束なんです!」

「だったらとっとと本人起こしてやれ」


 溯春は面倒臭くてたまらないといった様子だった。気怠げに頭を掻いて、これみよがしに長い溜息を吐き出す。

 倉木はその仕草にプレッシャーを感じたように少しだけ狼狽えたが、それでも溯春から目を逸らすことはなかった。


「……本人じゃ駄目なんです」


 苦しそうに言って、倉木は後ろにいる君津へと目をやった。

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