昨日の友は今日の仇〈二〉

 倉木を見送った溯春は適当な方へと歩いて行くと、物陰になっている場所で足を止めた。

 ホロディスプレイを出して、何度か操作しながら画面を見つめる。珍しい溯春の行動に東雲は首を傾げると、「何見てんスか?」と彼の目線の先を覗き込んだ。


「……ん? これおれらじゃ……」


 そこに表示されていたのは動画だった。高いところから撮られたもので、黒いスーツの男二人が映っている。その二人の頭部はモザイクになっているため顔は分からないが、東雲にはすぐにそれが自分達の姿だと分かった。


「撮られてただろ。気付いてなかったのか?」

「言ってくださいよ!」

「気付かない方が悪い」


 どうでも良さそうに言う溯春とは対照的に、東雲はがっくりとその場で項垂れた。


「あー、やだなぁ……仕事中のプラプロ嫌いなのに……」

「ただのモザイクだろ」

「モザイクだからっスよ! なんか卑猥じゃないスか!」

「そう考える方が卑猥だ」


 言いながら溯春が画面を操作していく。何をしているのか東雲が尋ねようとした時、先に溯春が口を開いた。


「どっちだと思う?」

「どっち?」

「これ撮ったの、あのガキの連れだろ。さっきのやり取りも撮ってた……ってことは、俺らかあのガキを狙ってたってことだ」


 その言葉に東雲はそういえば、と記憶を辿った。あの場所には一見すると誰もいないようだったが、少し離れたところからこちらを見ている存在があったのだ。溯春が何も言わないことから東雲もまた気にしないようにしていたが、実際は溯春も気にかけていたらしい。


「えぇー……おれらじゃないんスか? 流石に友達は狙わないでしょう」

「だがさっきの動画は上がってない。見てたことをまだ知られたくないのかもな」

「ん?」


 溯春の意図するところが分からず、東雲が首を捻る。すると溯春はホロディスプレイをしまい、小さく溜息を吐いた。


「他人なんて信用するモンじゃねェってことだよ」



 § § §



 溯春達から解放された倉木は走っていた。肩掛けにしたバッグが重たい。革靴は走るのには向かず、つま先が痛くなってきた。

 しかし倉木が足を止めることはなかった。赤くなってきた空に追い立てられるように学校の近くの住宅地を抜け、長い上り坂を上っていく。


 そのまま走り続ければ、やがて大きな人工池に着いた。もう少し上の方に入口のある公園の一部で、人工とはいえ自然が再現されているものだ。

 倉木は池の周りにある木々の間を進むと、その先にある小屋の中へと入っていった。


「ごめん、君津さん。移動しなきゃ」


 薄暗い小屋の中に向かって倉木が話しかける。小屋の壁には工具やスコップなどがかかっており、床には乱雑に物が置かれていた。公園を手入れするための作業小屋のようだ。

 誰もおらず、返事はない。しかし倉木は気にせず奥へと進んだ。高く積まれた箱をどけて、その向こう側を覗き込む。


「…………」


 そこには少女がいた。膝を抱えるように座り、ぼうっと前を見つめている。

 まるで周りで起きていることに何も気付いていないかのようだった。倉木が話しかけても、彼が近くのをどけても、少女は何も反応を返さない。


 しかし倉木が少女に不満を言うことはなかった。それが当たり前だというように小屋の中を物色し、埃を被った台車を引き出す。その上に大きな箱を乗せると、中に入っていたガラクタを乱暴な手つきで箱の外に放り投げていった。


「この箱なら入れるか? あんま綺麗じゃないけど……時間がないんだ。それに三城が上げた動画を見て、あいつみたいな考えで動いてる奴らもいるかもしれない。悪いけど入ってくれる?」

「…………」


 倉木が身振りも交えて少女――君津を促す。すると君津はゆっくりと立ち上がって、箱の中へと足を入れた。

 それを助けるように倉木が手を伸ばす。しかし、その背に触れようとした手は君津の背をすり抜けた。


「ッ……」


 咄嗟に腕を引いて、倉木はそこから目を離した。横目で君津が箱の中に入るのを確認しながら、「ごめんな……」と呟く。


「俺のせいだろ。……でももうすぐだから。あの約束は絶対に守るから」


 君津は何も返さない。虚ろな表情のまま、箱の中に立っている。「座ってくれるかな?」倉木が困ったように自分もまた座るふりをしてみせた時、小屋の入り口から物音が聞こえた。


「――それ、君津か?」

「ッ!?」


 ビクリと肩を震わせた倉木が振り返れば、そこには三城の姿があった。「どうして……」倉木の顔が驚愕と困惑に染まる。


「すっげ、本人と全く同じ見た目なんだな。透けてなかったらゴーストだって分かんねぇや。つーか倉木、お前どうして教えてくれなかったんだよ」


 三城は何も気負うことなく小屋の中へと歩を進めた。近付いてくる友人の様子を見て倉木が胸を撫で下ろす。撮影している素振りは見られないからだ。

 それでもまだ、完全に安心することはできなかった。


「三城こそなんでここにいるんだよ。準備しに帰ったんじゃなかったのか?」

「ちょっと忘れ物取りに戻ったんだよ。そしたらお前、ゴーストクリーナーに絡まれてるじゃん? 助けに入ろうと思った矢先に走り出すし……そりゃ追うだろ」


 やけに愛想の良い苦笑だった。わざとらしさすら感じられる。そのせいで倉木は迷うように視線を彷徨わせたが、すぐに意を決したように三城を見つめた。


「何も言わなくてごめん。実は俺、ゴーストが君津さんだって知ってたんだ。けどお前が盛り上がってるから言い出せなくて……なあ、三城。ちょっと手伝ってくれないか? あのゴーストクリーナー達、急いで逃げれば見逃してくれるみたいなんだ」


 小屋に差し込む光が弱くなっていく。夜が近いのだ。一人ではここから出ることはできても、次の場所を見つけて逃げ込むには時間が足りない。

 そう考えて倉木が三城に助けを求めれば、三城は「当たり前だろ」と笑った。


「君津とはあんま話したことねぇけど、確かお前そこそこ仲良かったよな。いくらゴーストだっつっても、消されるのはあんまいい気しねぇし」

「ありがとう、助かる」


 倉木はやっと自分の肩から力が抜けるのを感じた。「じゃあ、時間稼ぎ頼めるか?」三城に言いながら立ったままの君津に座るよう促す。何回か話しかけるとどうにか彼女は箱の中に腰を下ろしたが、肩から上が出てしまっていることに気が付いた。


「君津さん、もうちょっと前屈みに」


 君津の相手に集中していた倉木だったが、ふと三城からの返事がないことを思い出した。彼にしては珍しい――何気なく考えながら、三城の方へと視線を向ける。そしてその瞬間、倉木の顔から血の気が引いた。


「お前……何して……」


 三城は先程までと同じ場所にいた。だが、少し違う。彼の前にホロディスプレイが出ているのだ。

 そして、ホロディスプレイには赤い光が小さく点滅していた。本人以外にも見えるように光っているそれは、ライブ配信中の証。「ッ、やめろよ!!」咄嗟に倉木が君津を自分の身体で隠す。しかし三城は「あーもう!」と苛立った声で吠えると、「そこどけよ!」と手で倉木を追い払う仕草をした。


「ゴーストが映らなきゃ意味ねぇじゃん! ほら、避けて!」

「避けるわけないだろ!? 顔が映ったらどうするんだよ!? 名前だって……っ」


 しまったと言いたげに倉木が顔を歪める。「いつから撮ってた……?」恐る恐る尋ねる倉木に、三城は「ついさっきだよ」と答えた。


「安心しろって。お前はちゃんとプラプロ効いてるから」


 そう言って三城はホロディスプレイを指差した。反対側から透けて見える録画映像の中の倉木は顔が映っていない。その部分には可愛らしいイラスト調のワニの顔が表示されているのだ。ワニの表情は倉木と連動して、今はうんと険しい顔になっている。


「そういう問題じゃないって言っただろ!? ゴーストの姿はそのまま流れるんだぞ!?」

「まー、別に良くね? 本人はずっと意識不明なんだし」

「いいわけあるか!!」


 大声で言って、倉木はくしゃりと眉根を寄せた。「なんでだよ……」悔しそうに、そして悲しそうに三城へ語りかける。


「手伝ってくれるって言っただろ……なんで配信なんてしてるんだよ。嘘吐くくらいなら最初っからそう言えよ!」

「嘘じゃないって! ゴーストクリーナーから逃げるんだろ? 見てみ、もう盛り上がってるんだよ。〝ゴーストクリーナーからの逃亡! 果たして同級生ゴーストは逃げ切れるのか!?〟ってな」

「ッ――――!!」


 三城は笑顔だった。悪気など一切感じていない顔だ。

 それが、倉木には無性に悔しかった。


「配信配信って……バズればなんでもいいのかよ……彼女が意識戻った後のこととか何も考えてないのかよ……!」

「考えてるよ! ゴーストだった人間の体験談とか絶対ウケるじゃん。君津だって悪い気は――」

「名前を呼ぶな!!」


 倉木が叫んだ瞬間だった。プツリと、赤い光が消えた。三城のホロディスプレイが放っていたものだ。


「……は?」


 三城が怪訝そうに顔を顰める。「嘘だろ、なんでこんな時に……!」苛立つ彼の後ろから、二つの人影が近付いてきていた。

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