友情を壊す顕示欲〈一〉

 とある高校の教室で、教師の女性が生徒達に向かって仰々しく話しかけていた。


「このように現在では数え切れないほどの仮想空間がありますが、そのうち国連の認可を受けたものをNCSと呼ぶことは皆さんもご存知だと思います。今回の課外実習では刑務作業体験として、最古かつ最大のNCSであるヴューロディアのメンテナンスに参加させてもらえることになりました。ヴューロディアにもう住民はいませんが、各種行政システムの根幹に関わる大事な作業です。しっかりと予習をして――」


 教師の方を見ている生徒はほとんどいなかった。広い教室には四〇人ほどの生徒がいるが、彼らはみな自分の机の上に表示されたホロディスプレイを見ている。そこには教師の説明している内容が映し出されていて、中にはディスプレイ上に直接メモを取る者もいた。

 よくある授業の光景だった。教師も生徒達が資料に注目しているのは承知なのか、彼らに目を配る様子もない。ただただ資料映像に合わせた内容を話している光景は、授業というよりは説明会のようだ。


 そんな中、窓際に座る男子生徒の一人が不意に眉を動かした。彼の見ていたディスプレイに通知が表示されたからだ。

 男子生徒がその通知に注目すれば、小さくメッセージウィンドウが開く。そのウィンドウがプライベートモードになっていることを確認すると、男子生徒は改めてメッセージの内容に目を向けた。


倉木くらきはどれにする?]


 差出人の名前は三城みき。メッセージ上で倉木と呼ばれた男子生徒が顔を上げれば、彼の前の座席に座っていた別の男子生徒がちらりと後ろを向いた。


[こっち見るな]

[一瞬だけじゃん]

[あと五分で終わるだろ。話なら後にしろ]

[やだ今がいい]


 どちらも手を動かすことなく、ディスプレイ上に文字が入力されていく。


[で、どれ?]


 三城から続けざまにメッセージが送られてくると、倉木はふうと溜息を吐いた。


[なんでもいい]

[興味なー。刑務所なんてこういう時じゃないと入れないのに]

[三城はいつでも入れそうだな]

[誰が犯罪者だ]


 最後のメッセージと同時に、怒ったくまのスタンプが表示された。子供が喜ぶような可愛らしいイラストのくまだ。


[まあいいや。なんでもいいならさ、現地作業ってやつにしね?]

[なんで?]

[だってどう見てもヴューロディア入れるだろ、これ。他はサーバー管理体験だのダイブ制御だの、絶対こっちでやらなきゃならなそうなことばっかじゃん。あ、掃除系は論外な]


 三城の言葉に、倉木は視線をやや左にずらした。そこにはずっと流れていた資料映像がある。三城の言っていた内容を探そうと少し巻き戻せば、彼の言っていた作業一覧が表示された。

 刑務所清掃、受刑者食事管理、サーバー管理、ダイブ制御、現地作業――この中から一つ選んで体験するというのが今回の課外実習だ。人数の関係で必ずしも希望通りにいくとは限らないが、第三希望までは決めておけというのが教師の補足した説明だった。


 そこまで思い出すと、倉木は考えるように画面を見つめた。彼の大きな目は作業一覧の上から下までを何度か往復して、やがてメッセージウィンドウへと戻った。

 そして返事をしようとした時、授業時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


「――最後全然聞けなかったんだけど」


 倉木はホロディスプレイをしまいながら前方に不満をこぼした。そこにはチャイムが鳴り終わると同時に後ろを向いて身を乗り出してきた三城の顔があり、倉木の文句を聞いてへらりと笑っている。


「大丈夫大丈夫、説明は終わってたから。なんか言い方変えておんなじこと繰り返してたよ。『刑務作業体験はぁ、実際に働いている人の迷惑にならないようにぃー』とかなんとか」


 教師の口調を真似する三城に倉木は苦笑を返した。全く似ていないわけではないが、誇張しすぎていて悪意を感じてしまう。まだ何か続けようとしている三城を見ると、倉木は「で、現地作業だっけ」と遮るように話し出した。


「お前、ヴューロディアなんて行きたいの?」


 その問いに三城がぱあっと表情を明るくする。


「おう! 倉木もどうよ? 絶対知らない奴と行くよりお前と行く方が面白い気がするんだよなー」

「完全に遊ぶ気じゃん。俺は別になんでもいいけどさ、VRっつってもゲームじゃないぞ? 楽しめるとは限らないだろ」

「ゲームだろ、非日常って部分はさ」


 妙に大人びた表情で言う三城に、倉木は居心地悪そうに視線を逸らした。不自然にならないようその先に小さくホロディスプレイを出し、次の時間割を映し出す。そしてと、「だったらゲームでいいだろ」と言いながら目線を前に戻した。


「ヴューロディアなんて廃墟じゃん。しかも作られた頃の現実に近付けたんだろ? じゃあ面白味なんてないって」

「分かってないなぁ、倉木。廃墟だからいいんだよ。史上最大のVR空間なのに廃墟よ? しかもあそこ、現実に限りなく近付けるためにコンクリの寿命とかまで全部再現してるらしいじゃん。しかも作られたのだって百年も前だし、普通の廃墟ゲームよりずっと面白そう……――って、おい。あれ見てみろよ」

「なんだよ」


 突然会話を打ち切った三城に倉木が眉をひそめる。三城が顎で示したのは窓の外だった。そこには学校の正門があり、スーツの男二人組が歩いてくるのが見える。


「あれ、ゴーストクリーナーっぽくね?」


 考えるような声で三城が言う。その瞬間、倉木はギクリと身体を強張らせた。

 だが、外を見ている三城はそんな友人の様子に気付かない。倉木はその間に静かに深呼吸をすると、「そうか?」とそれまでと変わらない調子で問い返した。


「あんなのただのおっさんだろ。どこにでもいるじゃん」

「でもなんかカタギっぽくない気がする」


 そうだろうか――倉木はもう一度外の二人組を見た。黒いスーツに身を包んだ彼らに特におかしな点はない。

 一方は金髪で、もう一方は黒髪。黒髪の方は後ろの低い位置で長い髪を結んでいるようだ。しかし、それも特に珍しいことではない。もっと目立つ髪型をしている人間はたくさんいるから、むしろ彼らは地味な方とすら思える。


「スーツなだけだろ?」


 一通り考えて、倉木は三城にそう問いかけた。「いや、普通に体格良すぎだろ」三城が呆れたように言う。そして倉木の方に目をやると、「お前ほんとこういうの興味ないよなー」と口を動かし始めた。


「ゴーストクリーナーよ? 命がけでゴーストを相手にするんだから格闘技とかやってるに決まってるじゃん。あの二人の体つきなんてだろ」

「ああ……そう言われれば確かに。三城はゴーストクリーナーになりたいのか?」

「馬鹿、有り得ないだろ。なりたくない職業ナンバーワンだぞ」

「俺はヴューロディアメンテの方が嫌だけどな」

「あれは刑務作業じゃん、別枠別枠」


 三城は倉木に答えると、ホロディスプレイを出して外の動画を撮り始めた。脈略のない行動に倉木が「何撮ってんの?」と首を傾げれば、三城は当然とばかりに「ゴーストクリーナー」と返した。


「ほら見ろ、あいつらの顔モザイクになった。公務員なのは確実」


 三城が指し示すディスプレイには録画中の映像が流れていた。肉眼で見た二人組には何ら異常はないが、映像の中の彼らの頭部にはそれぞれモザイクがかかっている。


「公務員だからってゴーストクリーナーとは限らないだろ」

「でもだいぶ可能性は高いじゃん。……あ、死角入っちゃった」


 残念そうに言いながらディスプレイを閉じる三城に、倉木が「目的は果たせただろ」と返す。「そうだけどさぁ……」三城は渋るようにこぼすと、不意にぱっと明るい顔になった。


「なあ、ゴースト探し行かねぇ?」

「は?」

「だって連中がここに来たってことは近くにいるんだろ。ただ聞き込みで来ただけなのか、この学校にいるのか……どっちにしろ俺らの方があいつらの探してる情報を探しやすいんだ、先に見つけることだってできるかもしれない」


 そう語る三城の目は輝いていた。だが倉木にはその理由が分からない。「ゴーストなんて見つけてどうすんだよ」怪訝な顔で問いかければ、三城は一瞬だけきょとんとして、すぐにまたニッと笑った。


「配信するに決まってるだろ」


 その手は硬貨を示すように親指と人差し指が丸められており、それを見てやっと倉木は三城の目的を理解した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る