第34話 ユキトとエリカの夜明け前

「いやぁ……いつ入っても良い湯だな」


 翌日の朝。夜明け前。


 俺は一人、露天風呂の中で夜明けを見届けていた。


 夜明け前の肌寒さに少し熱めの露天風呂は身体に染みる。


 俺にとっては一番の贅沢だ。ありがとう神様。


 俺は神様のおかげで存分にゆっくりと過ごせている。


 異世界で暮らし始めてから、まだ2週間くらいしか経っていないけれど色々な人と出会い、色々なことを経験した。おかげで俺は寂しさを感じずに済んでいる。


「本当にみんなには感謝しかないな」


 実のところ、みんなと共同生活を送る上で2つルールがある。


 一つ目は浴室の俺が風呂に入っている時は扉の前にある札をかけること。


 札は表裏、赤と青で色別けをしている。


 青は俺が入る時。赤は俺以外の女性陣が入る時。


 本当はお風呂を別けられたらいいのだろうけど、生憎入口は一つしかない。


 ということで、扉の前に札をかけるルールにした。


 というか、方法がそれしか思い浮かばなかった。


 あと、もう1つのルールはタオルを巻いて入ること。


 日本だとマナー的に良くないことは重々承知しているけど、間違って裸の姿でバッティングしたら……一緒に過ごしていく上で気まずい想いをすることになるだろうから。


 もちろん俺も腰にタオルを巻いている。


「あ、ユキト様。おはようございます」


「エリカさん……?」


 声に振り向くと裸にタオルを巻いたエリカさんがいた。


 いや、風呂に入っているのだから正しい姿なのだろうけどさ。


 俺は寝ぼけているんだろうか。いや、その前に俺が札をかけ忘れていた……?


 風呂に入っているのに背筋に寒気が走った。


「……俺って札をかけてませんでしたっけ?」


「あ、すいません。見てませんでした」


 まぁ、誰にでもミスはあるし……俺も同じことをしないとは限らない。


「そうですか。それなら俺は先に出ますよ」


 さすがに一緒に入るのは気まずいし。きっと俺よりもエリカさんの方が気まずいだろうから。


 それに夜にゆっくり入ってもいい。時間は有り余っているから。


「あ、私は別にユキトさんなら構いませんよ」


「そういう問題ですか?」


「他の人なら嫌ですけど。ユキトさんなら嫌じゃないんです」


「分かりました。せめて二人だけの秘密にして頂ければ」


 そこまで言われて出ます。は逆に失礼にあたる気がした。


「ふふっ。二人だけの秘密ですか。なんかそういうの嬉しいです……軽くシャワーを浴びてきますね」


 エリカさんがシャワーを浴びている間にせめてもの配慮で俺は隅っこに移動する。


 あんまり身体は見ないように空でも見つめよう。


 鳥の声がシャワーの流れる音にかき消された。


 シャワーの音が止まり、ペタペタと足音が近づくのが分かる。


「お邪魔します」


 エリカさんは俺から1メートルほど離れた距離に座る。


 二人が手を伸ばせば触れられる距離。でも俺達が手を伸ばすことはない。


 俺達にとってこの距離がちょうどいいのだ。


「本当に良い湯ですよね。いつ入っても最高です」


「そうですね。俺もそう思います」


 風呂に入った途端エリカさんが話始める。


 温泉を直接褒められるのは、俺自身が褒められたような気がして嬉しい。


「それにしてもさすが聖女様ですよね。昨日はじめましてのはずなのにシロともう仲良くしているんですもん」


「たしかに……昨日はすごかったですね」


 昨晩飲んでいる間、聖女のエリスさんはシロを膝の上に置いて撫でていた。


 シロは大人しいがなつき易い訳ではない。


 なんか、聖女の一端を見た気がしたのは俺もすごいと思った。


「なんか……色々と羨ましいなって思っちゃいますよね」


「エリカさんがですか?」


 正直、エリカさんからそんな言葉が出るとは思わなかった。


「思うに決まっているじゃないですか。少なくとも私の周りには、私より何かをできる人なんていっぱいいますよ」


「ステラギルド長はなんでもできますし、ユイもあんな小っちゃいのに私よりも魔法はできますし……それにユキトさんも」


「俺もですか?」


「ユキトさんの成長速度はすごいんですよ? 普通の人じゃありえません。天才の域ですよ」


「そうなんですか……?」


「そうなんですよ」


 急に褒められると嬉しくなってしまう。


 最近はみんな優しいいから誉めてくれるけれど、ブラック企業で罵声に慣れすぎたせいで褒められると未だにこそばゆい。


「俺はエリカさんの事が羨まかったですよ」


「え? 私がですか?」


 エリカさんは驚いた声をあげる。


 俺はずっと空を見ているから、彼女がどんな表情をしているのか分からない。


 でも顔を見なくても予想外と思っているのだろう。


「エリカさんの明るくて気さくな性格が……いいなって」


「明るい……ですかね? あんまり意識したことないですけど」


 エリカさんにも良いところはある。


 本人が気づいていないだけで。


「少なくとも俺よりは明るいですよ。俺って積極的に誰かの懐に入って話すのが苦手なんですよ。たまたまかもしれないですけど、初めて俺がエリカさんとお会いした日にエリカさんが気さくに接してくれたおかげで、色々の人と出会って良くしてくれて……俺はそんなエリカさんに感謝しているけど……俺には持っていないものを持っていて少し羨ましいと思ってましたよ」


 言葉は口からあふれ出していた。考えがまとまらない内に話しているからきっと分かりづらいかもしれない。


 でも間違いなく俺の本心。


「お、おう……急に褒められると照れちゃいますね」


「エリカさんが言います??」


 俺達は笑い合う。


「こんな話をシラフで話すとは思いませんでしたね」


「はははっ。そうですね」


 むしろ最近はエリカさんがお酒を飲んでいない時の少ないけれど、シラフで飲みの席での愚痴みたいな話をするとは思わないじゃないか。


「……本当に良い湯ですよね。ずっと入っていたいくらい」


 俺とエリカさんの距離は変わらない。


「そうですね。本当に……」


 でも今日も陽が登る。一日はそうして始まるのだ。


 今日は何をしようかな。


 そう思いながらも俺達は風呂に浸かったまま、朝日を眺めるのだった。

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