約束

 目を覚ましたら、ミカエルがいなかった。握っていた、あの固いかんしょくはそのままなのに、ミカエルのすがただけがここになかった。

「やっぱり、ゆめだったのかな…」

 熱い涙がこみあげてくる。やっぱり、あんなの、僕につごうのいいゆめだったんだ。でも、あんなしあわせな夢なら、見ないほうがましだ。今を思い出して、どうしようもなく泣きたくなるから。


 ガチャ

 「ノア様、お目覚めで…」

 僕がぼろぼろ泣いていると、昨日のままのすがたでミカエルがあらわれた。一瞬、おどろきすぎて息が止まった。ミカエルはきれいなかおに、すごくおどろいたような表情をして、僕を見た。そしてすぐに駆け寄ってきた。


 「ノア様!?どうなさいましたか!?」


 その心底心配そうなかおとこえに、僕は不思議なほどあんしんして、また涙が止まらなくなった。


 「っミカエル、かってにいなく、ならないで…僕、もう一人はだめだよ…」


 ミカエルのしわひとつないシャツにすがって、泣きじゃくった。だれがなんと言おうと、ミカエルだけは僕のものなんだから。だれにもあげないし、どこにもいかない。約束してほしくて、ミカエルにぎゅっと抱きついた。


 「ノア様」


 ぎゅうと、ミカエルに抱きしめられた。服越しでも、かたくて冷たいからだ。でも、ミカエルがいつしょうけんめいなのが分かった。僕を抱きしめるゆびが、震えていた。 


 「ノア様。ミカエルは居なくなりません。絶対にノア様をお一人にすることもしません。」


 ミカエルは顔を上げて、僕のほおに手をそえた。僕の涙をゆびでぬぐうと、ほんとうにうれしそうに笑った。

 

 side:ミカエル

 「(こ、怖かった…)」

 私はノア様を抱きしめながら、内心テンパっていた。この五歳児、一瞬でも目を離すと、目から光が失くなるぞ。というか、ヒロイン以外にもそんな目を向けることがあるのか。大丈夫、大丈夫。深呼吸だ。一息吸って、ノア様に向き直った。


 「ノア様、ご朝食に致しましょうか」

 「…あさごはん?」

 「はい。」 


 私は卓上に並べられた、湯気を立てる目玉焼きやウィンナーや、サラダ、スープなんかを見てもらった。何を隠そう、これらは私のお手製だ。ノア様にまともな朝ご飯が与えられてこなかったのは知っている。だから、手を離すのは申し訳なかったけれど、健康な生活に朝ご飯は欠かせない。


 「どうぞ、お席に。」

 「わぁ…」


 ノア様は目をキラキラ輝かせて、席に着いた。そして小さな口を一生懸命に動かして、美味しそうに食べ始めた。教わっていないのだろうが、その所作には何となく品がある。流石はノア様だ。

 と、急に食べる手が止まった。俯いて、手を握り締めている。 


 「どうされましたか?ノア様」

 「ちっ、ちがうの。ミカエル。ちょっときゅうけいしてるだけだから」


 ああ、なるほど。お腹が一杯になったのか。そもそもだが、この朝食は少し多めに作ってたから驚くことでもない。


 「ノア様、無理をしてはいけません。」

 「ご、ごめんなさい…」


 ノア様はすっかり萎縮してしまった様子で、膝に手を置いて俯いている。やっと少し心を開いてくれたと思ったんだけどな。やっぱり、そう簡単にはいかないよね。


 「ノア様、お散歩しましょう。」

 「お散歩…?」

 「はい。今日は気持ちの良い晴れですから、お散歩されると、ノア様も穏やかな気持ちになるかもしれません。」

 「…分かった」

 ノア様を着替えさせて、手を繋いで外に出る。


 外へ出る廊下を歩く中、ノア様はずっと俯いていた。無理に連れ出してしまったのだろうか。もしかして、気分が悪くなったのかもしれない。


 「ノア様、ご気分が優れませんか?」

 「…かってに、おそとに出ると、お父様にしかられるの」

 ハァークソ親父。マジクソ親父。私の語彙力が壊滅するくらいには。

 「ミカエルが一緒ですから、大丈夫ですよ。」

 「ほんとうに…?」

 「はい。ノア様は、ミカエルが一緒なら何処へだって行けるんです。」


 さぁ、外ですよ。

声を掛けると、ノア様が顔を上げた。ノア様の青白い顔に、眩い光が当たる。目を細めた。公爵家の庭は、壮観だ。咲き誇る赤や白、ピンクの薔薇園、木陰の大きな木、緑の青々とした芝生。お屋敷一つ建ちそうな広さだ。


 ゆっくりと二人で歩く。踏み締めるたび、芝生が爽やかな音を立てた。ノア様は、見慣れないのか、あちこちキョロキョロと見て回っている。


 私は、大きな木の目の前で足を止めた。根元には、小さな花が沢山咲いていた。


 「ミカエル?」


 いきなりしゃがみ込んだ私を、ノア様が心配そうに呼ぶ。大丈夫ですからね。ちょっと待っててくださいね。そう言う想いを込めて、指を動かした。


 「出来ました」


 前世でもしこんなシチュエーションがあったらと思って、練習しておいて良かった。前世の私の夢見っぷりに感謝だ。私はそれをノア様の頭の上にそっと置く。ノア様は驚いたように目を見開く。


 「はなかんむり?」

 「はい。」


 色とりどりのカーネーションで作った花冠。花言葉は、「大好き」。そう伝えると、ノア様の大きな目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出した。


 「ミカエルっ…」

 「はい」


 ノア様が手を伸ばす。私の頬に触れる。私と額と額をぴったり合わせて、ノア様は泣いた。


 「ずっと、いっしょにいてっ…!僕以外の誰かのものになんてならないで…」


 赤裸々すぎる言葉だった。飾り気無し、偽り無しの心の底からの言葉。私の無いはずの心が震えた。私は知らずのうちに跪いて、ノア様にこうべを垂れた。


 「このミカエル、ノア様に誓います。貴方様が病めるときも、悲しいときも、辛いときも、嬉しいときも。」


 ノア様の涙でぐしゃぐしゃの顔を見た。


 「必ず貴方様の傍にいるのは私です。一生離れません。」

 「やくそく…?」

 「約束です。ミカエルは約束を絶対に破りません。」

 人形ですから、と付け加える。


 「なら、僕はもう大丈夫」


 ノア様は心底嬉しそうに、泣き笑いのような顔をした。

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