故郷での一幕

 早朝特有の澄んだ空気が心地いい。

 運動用のウェアを持ってきてよかった。

 寮の玄関以外からこれを着て出るのは変な感じだったけれど、走り出すとそんなことはどうでも良くなった。

 身体が風を切る感覚。

 ほんの数か月だというのに、朝走らないと落ち着かなくなっている。


 思った以上に随分と、前とは変わったものだ。

 身体能力にしてもそう。

 近所迷惑にならないように小さく──歌を口ずさみながら、小さい頃から親しんだ街を駆けていくと、かつての自分の行動半径の狭さを思い知る。

 中一男子が普段歩く範囲なんてそんなものだろうけれど。

 あっさりと、ろくに息も切らせずに走れてしまうのだから。


 と。

 万桜は周りからの視線を感じた。

 物珍しそうな視線には軽く会釈を返す。

 上から下まで眺めるような視線には素知らぬ顔をしながら、ちょっとした快感を覚える。

 特に変な格好はしていないはずなのに、こうも見られるものか。

 学院周辺だと走る美少女は珍しくない。

 走っていて万桜一人が特別、注目されることはなかった。


 走るたびに揺れる胸、同じく耳で揺れるピアスがやっぱり原因だろうか。


「……ふう」


 満足するまで走ってから家に戻る。

 家の管理システムにデバイスを登録したので出入りはもう自由になっている。

 音もなくロックを解除して玄関のドアを開けると──不満そうな表情の奏音に出迎えられた。


「わ」

「お帰りなさいませ、お姉様。起こしてくださればいいですのに」

「だって、たまの休みくらい奏音ものんびりしたいでしょ?」


 出がけに声をかけようかと思ったが、デバイスのステータスがスリープモードになっていたので断念したのだ。

 真面目で頑張り屋な妹もやっぱり疲れが溜まっていたのだろう。

 『歌姫ディーヴァ』として気を張らなくていいところで羽を伸ばす時間も必要だ。

 妹は「そういうことでしたら……」としぶしぶ矛を収めて、


「シャワーを浴びられますか?」

「うん。奏音も浴びる?」


 尋ねると、複数回の瞬きの後、苦笑と共に「遠慮しておきます」と返ってきた。


「外出の予定がありますし、少しでも遅く──朝食の後にしようかと」

「ん。確かに、それがいいかも」


 万桜は汗をかいてしまったのでこのまますぐに浴びることにしよう。



    ◇    ◇    ◇



 外出の予定というのはどうということはない。

 少し歩いたところにあるファミレスで中学時代の知人と待ち合わせである。


「あ、小鳥遊さん!」


 奏音と共に現地に着くとすでに何人かが到着して手を振ってくれる。

 呼びかけられた奏音はぺこりとお辞儀をしてから彼女たちに合流。

 続いた万桜に視線が集まったので「こんにちは」と挨拶。


「えっと、久しぶり」


 能力の作用で、万桜の昔の知り合いは万桜が「昔から女だった」ように錯覚しているらしい。

 らしいが──母の時と同じく、効果を確かめるまでは不安なもので。

 若干の緊張と共に様子を窺えば、


「うん。えっと、久しぶり」

「元気そうで良かった」


 奏音に比べるとぎこちない感じではあったものの、普通に応じてもらえた。

 髪や服に視線が飛んでくるも……これはたぶん、単に品定めをされているだけ。


「まだ中には入っていなかったのですね」

「うん。ある程度集まってからのほうがそれっぽいかなって」

「そろそろ先に入って注文してよっか」


 今日のメンバーは、万桜も(短い期間とはいえ)面識のある者ばかり。

 万桜たちを含めて女子五人に男子四人。

 先に着いてしまい居心地悪そうにしていた黒一点の少年は「行こ」という呼びかけにほっとしたように「おう」と応じた。







「一応予約してあったから、少しくらい長居しても平気だよ」

「そういうことでしたら、少しでも売り上げに貢献しなければなりませんね」


 人数的に二席に分かれることに。

 自然、一時的に一人で座ることになった男子は嬉しいような悲しいような顔をしていたが──ここで万桜が「わたしは向こうに」と言うわけにはいかない。

 大人しく女子グループに交じって席についた。


 ──うん、違和感があるような、ないような。


 少女たちはみんな昔から知っている顔。

 一方で、男子と女子としてある程度の距離があった。

 彼女たちとは「ただのクラスメート」あるいは「奏音の友人」という距離感で、特に友人というわけではなかったのだが。

 それほど仲良くなかった子と同じテーブルについているのが違和感なのであって、周りに女子がいることについてはそれほど変な感じがない。


「小鳥遊さんたちもメニュー使う?」

「あ、わたしたちは大丈夫」


 このファミレスはモバイルオーダーに対応している。

 普通のスマホだと画面サイズの関係でメニューと併用したほうがやりやすかったりするが、デバイスには画面のAR拡張機能があるのでそうした心配はない。

 隣に座った奏音と身を寄せ合うようにしてオーダー画面を表示し、二人分を注文する。


「わたしは……とりあえずミックスグリルのセット、ご飯大盛り。奏音は?」

「そうですね……。では、カルボナーラをセットで。それからみなさんでつまめるものをいくつか注文しましょうか」


 このチェーン店は学院がある島にない。

 せっかくだから堪能しようと少し気分がうきうきする。

 と、少女たちが驚きの目で万桜たちを見て、


「いきなりがっつり行くね……?」

「わたしたちは身体が資本だから」

「懐には多少余裕がありますので、みなさんにも少し還元いたしますね?」


 山盛りフライドポテトや唐揚げ、大きなサイズのサラダなどをシェア用に注文すると歓声が上がった。


「やった。それじゃあ私たちは……」

「あんまり食べたことないやつ行っちゃう?」


 そうこうしているうちに残りのメンバーも到着して、二つのテーブルでわいわいと会話に花が咲き始めた。







 話題の中心はやっぱり万桜と奏音のこと。

 心奏学院と言えば女子の憧れ、みんな気になっていたようで。


「ね、心奏ってどんな感じなの?」

「聞かせて聞かせて」


 母もそうだったが、万桜たちにとってはもはや日常でも一般人にとってはエンタメなのだ。

 学院でのとりとめのないことを話すだけで歓声が上がる。

 ポテトや唐揚げもあっという間に消費されていき、女子高生のバイタリティ恐るべし、と万桜はミックスグリルに舌鼓を打ちつつ感心した。

 会話には適度に参加していたものの、しばらくしてみんなからじーっと見つめられて。


「? どうかした?」

「ん……。美味しい、小鳥遊さん?」

「ん、うん、美味しい」


 微笑んで答えれば、彼女たちは顔を見合わせて笑った。


「あんまり話したことなかったけど、小鳥遊さん──お姉さんのほうも意外と普通だね?」

「わたしのこと、なんだと思ってたの?」

「そう言われると……なんだろうね?」

「なんで話さなかったのかよくわからないんだけど」


 万桜が女だったことに認識が書き換えられていても、記憶まで改ざんされるわけじゃない。

 男子時代の万桜が男子とばかりつるんでいた(当たり前だが)のは事実として残っているらしい。

 あまり深く掘り下げられるとまずいかもしれないのでここは流してもらうことに。


「良かったら、これからは仲良くしてくれる?」

「っ。うんっ、もちろんっ」

「仲良くしようね、万桜ちゃん」


 いきなり万桜ちゃんとは。


「二人とも小鳥遊さんじゃわかりづらいでしょ? いや?」

「ううん、全然嫌じゃない」

「やった!」


 女子たちがさらにきゃあきゃあと騒ぎ始めた。

 むっとした奏音が脇を突いて来るので──「でも、奏音は今まで『小鳥遊さん』だったんだ」と尋ねると、


「それは、まあ」

「小鳥遊さんはなんていうか、昔から優等生だったから」

「ああ」


 別に人付き合いが悪いわけではないが、実際問題スケジュール詰め込みまくりでみんなと遊ぶ暇もろくになかっただろう。

 つかず離れず、誰とでも一定の距離を保とうとする性格のせいで一目置かれているというか、話しづらくはないけれど普段から積極的に話す相手でもない点…みたいな立ち位置にいたようだ。

 この辺りは今もあまり変わっていない。

 だからって万桜のほうをちゃん付けしなくてもいいようなものだが。

 ふむ、と、万桜は少し考えて。

 ちょうど食べ終わったミックスグリルの皿を見下ろす。


「ね、奏音。わたし、ちょっと男子と話してくるから、みんなともっと話したら?」

「え、あの、お姉様?」

「あ、それいいかも」

「じゃあ、小鳥遊さん──奏音ちゃんももっとお話ししよ?」


 別に放っておいても奏音ならうまくやるだろうが、半ば強制的に女子たちに押し付けた。

 わいわいとはしゃぐ少女たちに囲まれて、妹は若干困ったようにしつつもどこか嬉しそうにも見えた。






 で。


「みんな、久しぶり」

「お、おう」

「なんか、久しぶりだな。ほんと」


 男子四人のテーブルは女子グループと違ってどこか殺風景だった。

 全員割とがっつり食ってるせいもあるかもしれない。

 彼らのテーブルにもポテト等は提供したのだが、現在はそれを適当につまみながら駄弁っていた様子。

 声を駆けに行き、端に座ろうとすると一人が立ち上がって、


「ほ、ほら、ここ座れよ」

「? うん、ありがとう」


 自然と男子二人に挟まれ、残りの二人を前にする格好になった。

 なんかこれ、オタサーの姫? とかそんな感じだな?

 いや、別にこいつらは全員オタクってわけでもないが。


「みんな、もしかして背伸びた?」


 本当は「しばらく見ない間にでかくなりやがって!」くらい言いたいが。

 親しみは伝わったのか、男子どもはどこかほっとしたように「まあな」と返してきた。


「小鳥遊が入院してから長かったからな」

「そうだよね」


 まだまだ子供っぽかった奏音が掛け値なしの美少女に成長するくらいの期間だ。

 みんな背も伸びるし、運動部の奴なんかだいぶがっしりしている。

 それに比べると万桜は──胸の脂肪に栄養を取られた感があるというか、そもそも女の子に変身しているのは反則なんじゃないのか。


「なあ、小鳥遊? 俺ら、けっこう仲良かったよな?」

「うん。わたし、昔は男の子っぽかったから」


 彼らとは休み時間にふざけあったこともあるし、放課後遊びに出たこともある。

 懐かしさからあの頃の記憶が溢れてきた。

 当時の万桜はふてくされていた……とまでは言わないが、一番やりたかったことが絶対にできないとわかって、本当の意味での張り合いを持てずにいた。

 中一で人生の目標なんてそうそう見つかるものじゃないかもしれないが……習い事に追われ、学校でも優等生を演じる妹を尻目に、試験に苦しみマンガやゲームに興じ、時には休日に仲間とスポーツをする、そんな普通の男子中学生をやっていた。


「懐かしい。あのマンガ、続きはどうなったんだろ」


 呟くと「なんだ、知らないのか?」と男子たちは意外そうな顔をした。


「入院してたし、そのあともいろいろ忙しかったから」

「そっか、お前、すっかり女子になったもんな」


 彼らの中では当時の万桜が「男っぽい女子」という認識になっているらしい。


「じゃあ教えてやるよ。きっと驚くぞ。まさかアレがああなるなんて」

「え? なにそれ、どういうこと?」

「待て待て、先にあいつのこと説明しないとわからないだろ。あのな、新キャラがいてな?」


 気兼ねなく男子とこういう話をするのはいつ以来だろうか。

 嬉しくなった万桜はさらにデザートを注文し、「まだ食うのかよ」などと言われながらマンガの話に興じた。

 女子に混ざるのももちろん嫌ではないが、こういうのもやっぱり悪くない。

 思わず笑顔を浮かべていると、さっきから友人たちの視線が妙に向けられてくるのに気づいた。


 視線の刺さる位置は、なんだか微妙に下で。

 ああ、胸を見ているのかと納得する。

 確かにでかい。万桜が男子だったらどきどきせずにはいられないだろう。

 でも、こいつら彼女とかいないんだろうか。

 下手に彼女以外に目を逸らしたら怒られそうだが……まあいいか。


 ひとしきり話したところで女子のほうに戻ると、


「ほんと男子ってくだらない話ばっかり。万桜ちゃん、よく話合うね」

「ん。少年マンガも読んでみるとけっこう面白いよ?」


 それはそれとして、万桜はそっと妹に囁いた。


「奏音。……あらためて思った。男子のえっちな目線ってほんとにバレバレ」

「ご理解いただけたようで何よりです」


 というか「小鳥遊めっちゃいい匂いしたな」とか囁きあってるのも聞こえてるからな男子ども。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る