番外編 月に一度のアレ
まだ万桜が入院中だった頃のこと。
「……身体、重」
ある朝、万桜は目覚めると同時に不調を感じた。
倦怠感。
吐き気。
軽い頭痛に下腹部の痛み。
不調のせいか、寝起きなのに余計疲れたような気さえする。
風邪か?
どうせ入院中なのだから寝ていればいいだろうとも思ったが──今のこの身体は極めて特殊な事例によって作られたもの。
変身の副作用という可能性もあるし、念のためすぐにナースコールを押して。
やってきた看護師さんは症状を聞くと、あっけらかんとした表情でこう言った。
「ああ、それはたぶん生理ね」
「……生理?」
「月経とか、月のものとかも言われるけど……知らない?」
「えっと、まあ、漠然とは」
男時代、双子の妹──奏音が母親となにやら騒いでいたのは記憶にある。
どうしたのかと尋ねても詳しくは教えてもらえず、当時の万桜はわりと不満に思ったのだが。
だからこそ「それ」は自分には関係のない、女だけが知っていればいいものという認識で。
「……まさか俺が生理になるなんて」
「ならないよりはいいんじゃないかな? 万桜ちゃんの身体が健康な女の子である証拠だし」
看護師さんはそのまま万桜にパジャマを脱ぐように指示してきた。
他人に裸を見せるのは──しかも異性相手は恥ずかしい。
しかし、今の万桜は女の身体で、男に見せるほうが問題あるわけで。
納得いかないパラドックスを感じながら下を脱ぎ──べっとりと下着に付着した血液を見て「ひっ」と悲鳴を上げた。
血なんて普段そうそう見るものじゃない。
そりゃ、外で遊んで怪我をしたとかはしょっちゅうだったが、そんなのせいぜい膝を擦りむくとか指を浅く斬るとかだ。
こんなどばどば出てたらやばいんじゃないのか──?
「あー、やっぱり。まあ、何回か経験すれば慣れると思うよ」
「そんな軽く済ませていいんですかこれ!?」
「大丈夫大丈夫。女の子はみんな経験してることだから」
女の子やべえな!?
「奏音ちゃんに連絡……は、スマホがないんだっけ? まあ、ここの売店にも生理用品は売ってるから」
「そんなのも売ってるんですね」
「そりゃ、心奏の附属病院だから患者さん女の人のほうが圧倒的に多いし」
とりあえず看護師さんが生理用品を買ってきてくれて、使い方を教えてくれた。
「万桜ちゃん、ナプキンとタンポンどっちがいい?」
「……いや、えっと、身体になんか入れるのは抵抗があるっていうか」
身体にモノが刺さる+血ってほとんど切腹じゃないか?
「じゃあナプキンね。こうやって下着に固定するの。あ、サニタリーショーツっていうのもあるからね。ちゃんと用意しておいたほうがいいよ」
後から万桜の着替えを探したら生理用品と一緒にサニタリーショーツも入っていた。
「残念だけど、血がついちゃった下着は捨てたほうがいいかな。お気に入りなら『歌姫』に能力で洗ってもらう手もあるけど」
「月に一度下着が駄目になるとかやばくないですか?」
「前もってわかる時もあるから、そういう時は先にナプキン用意すればいいよ」
というかこれ完全に下の話じゃん。
男子小学生がきゃっきゃしてるのとある意味変わらないと思うんだが……いや、自分たちは切実な事情を抱えてるのにきゃっきゃされるから嫌なのか?
そう考えると「男子うざ」と思われる理由もわかるような。
こんなこと男子には言いたくないだろうし……けど、あんまり秘密にされると男子的にはむっとするのも事実で。
世の中ままならないものである。
「重いようならお薬使うのも手だよ。体質によって効きが違うからあんまり『これがオススメ』って言えないんだけど」
「いやもうほとんど病気じゃないですかこれ」
「万桜ちゃん? 病気なら治るんだよ?」
看護師さんの目がめちゃくちゃ据わっていた。
怖くなると同時に申し訳なくなった万桜は「はい」とこくこく頷き、下手なことは言わないようにしよう、と心に誓った。
後からやってきた奏音にこの話をしたところ、彼女は深く頷いて、
「お姉様にもこの苦しみがわかっていただけたようで、とても嬉しいです」
「ゾンビが仲間を増やすみたいなノリで言うなよ」
「せめて吸血鬼あたりにしていただけないでしょうか」
「ああ、まあ、女って人類の上位種だもんな、ゾンビ扱いはひどいな」
女吸血鬼になった奏音を想像した万桜は「似合うな」と感心した。
「お姉様こそ、吸血鬼化したらはまり役すぎて怖いと思いますが」
「ん……それはまあ、俺みたいな美少女に血を吸われるなら男冥利に尽きるだろうが」
血を吸われて強制的に下僕にされて永遠にこき使われる──めちゃくちゃいいなそれ、ではなく。
「お前もこんな苦労を何年もしてるのか」
「まあ、そのうち慣れます。それまでの辛抱かと」
「慣れるっても痛みが変わるわけじゃないだろ」
言うと、奏音は「お姉様は重いほうなのですね」と頷いた。
「わたくしも初めての時は『このまま死ぬんじゃないか』と随分思い詰めました」
「ああ。お前『兄さんにはわからないもん!』ってめちゃくちゃ睨んできたよな」
「……お姉様? 昔の話はほどほどにしてくださいね?」
氷点下で睨まれた。なんだかんだ懲りないというか、ついこういうことをやらかしてしまう万桜である。
「……話を戻しますが、痛みはおそらく和らぐかと。わたくしもそうでしたので」
「は? 生理現象だろ? 一生治らないんじゃないのか?」
「そうではなく、『歌姫』は自分自身の成長や体質に手を加えることが可能ですので」
体内に存在する大量のエナジーと、それを行使する能力。
これらを使って無意識的に「こうなって欲しい」と思う項目が改善されて、少しずつ理想の自分に近づいていく。
「ですので、我慢できるとかではなく実際に生理の症状が和らいでいくはずです」
「マジかよ。ほんと便利だな『歌姫』」
そんな存在と争うんじゃ戦う前からハンデを負っているようなものである。
思い返せえば、中一の時点で奏音はクラスの男子相手に腕相撲で無双していたし、走るのだって男子よりも速かった。
今は、万桜もそんな『歌姫』なわけで。
完全に実感が湧いたわけではないものの、明確に「男だった頃とは異なる体験」をすれば、そのたびに「ああ、自分は女なんだ」と認識せざるをえない。
細い手足、華奢な身体と豊かな胸。
男の象徴だったモノはなくなり、すっきりとした股間にはタンポンなる謎の物体を挿入する余裕があって。
「ところで、お姉様はきちんとご存知ですか? 女性の生理が起きるメカニズムはまず──」
「止めろ。あまりにも生々しい話が続きすぎて気持ちがついていかない」
すると奏音は「この程度は一般常識では……?」と首を傾げて、
「……ああ、申し訳ありません。愚民どもにとって女性の生態というのは所詮ファンタジーなのでしたね」
「うん、その心底蔑んだ目は本気で止めてくれるか?」
「あら、お姉様は『愚民』ではないので問題ないと思うのですが」
「いや、まあ……ほんといい性格になったよなお前」
「お姉様が入院されてからは男性と接する機会が激減しましたからね」
男と女は、生理ひとつ取ってもわかるように全然違う生き物だ。
成長するにつれてグループは分かれ、交友関係も交わらなくなっていくのが普通。
奏音は、万桜の存在があったことでこれでもかなり男子と関わりがあるほうだったが──。
「……本当、心配かけて悪かったな」
頭に手を載せて謝ると、妹は素直に「本当です」と頬を膨らませた。
「これから埋め合わせをしていただかなくては困りますよ、お姉様」
「ああ。せっかく女の身体になったんだしな」
今までできなかった話も『小鳥遊万桜』になった自分ならできそうだ。
大切な妹の傍にいられる、という意味では女になったのもそう悪いことではないかもしれない。
それはそれとして生理はなくなってほしい。マジで。
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