勝負の2000m走
前日の夕食時、万桜は美夜からこう告げられた。
「明日は一人にさせて。集中したいから」
本気で戦うつもりだ。
一貫したスタンスを感じて尊敬の念を覚える。
その一方で、
「ただ2000mで勝負するだけなのに」
「いいの! ……っていうか、あんただってみんなの代表みたいなもんでしょ?」
「それはもちろん、わたしもやるからには勝つつもりで戦う」
たかが2000m走。
ライブバトルに比べれば複雑さはないが──遊びのつもりはない。
みんなの想いを背負っている以上は、負けられない。
当日の朝はいつもより静かに始まって。
朝食の席ではクラスメートの何人かと相席をした。
「小鳥遊さん、今日もジョギングしてきたの?」
「うん。急に止めるほうが調子狂いそうだから」
数日前からウェイトは徐々に軽くして、今日はなにも着けずに走った。
英気を養うためにもたっぷりと食べて。
「あの、ごめんなさい」
「私たちのために、
「そんなこと、気にしなくていい」
美夜とは友達を続けられているし、これは万桜がしたくてしていることだ。
「むしろ、話が大きくなっちゃってごめんなさい」
「ううん、そんなこと!」
「私たちも、これからは『自分が正しい』って思うならライブバトルするくらいの気持ちでいないとね」
厳しいレッスンや自主トレを重ねて入ってきた生徒たちも、『歌姫』としてはまだまだ駆け出し。
「うん。これから、みんなでもっと頑張ろう」
互いに影響を与えあって強くなることは、孤高の道にはないメリットがある。
そう信じて、一回きりの勝負に臨む。
勝負だからと言って授業で手を抜けないのが辛いところだが。
約三週間にわたる特訓のおかげで基礎体力も上がり、放課後になっても気力、体力は十分に残っている。
グラウンドはこの日ために早くから申請してあった。
ウェアに着替え、クラスメートたちと共に決戦の場を訪れる。
担任である真昼をはじめ、他のクラスの生徒や上級生まで応援、あるいは観客に来てくれた。
美夜は一人、静かに現れて。
結われた金髪。
若干ドスが効いている感さえある瞳が真剣さを物語っていた。
「あんた、勝負の前にだいぶエナジー使ったんじゃない?」
「そんなことない。それに、余力はちゃんと残ってる」
出し惜しみして走る前にバテるくらいならこれがベスト。
走る感覚は朝のジョギングで掴んでいるから、準備運動さえしっかりすればいつでも走れる。
「勝負は2000m。グラウンド4周を早く終わらせたほうが勝ち。いいわね?」
「もちろん」
スターターとタイム計測は真昼が買って出てくれた。
さすがにライブバトルの時よりは少ないものの──大勢の人が見守る中で開始の合図、ピストルの音が真昼のデバイスから再生。
直後、万桜は、美夜と同時に走り出した。
「────♪」
口ずさむ歌は、二人とも同じ。
美夜もまた持てるエナジーをすべてつぎ込む気で歌ってきた。
奏音と戦った時と同様、真っ向から叩き潰すつもりらしい。
もちろん、万桜も出し惜しみはしない。
スタミナは2000m走り切るまでもてばいい。
みんなの視線。
湧き上がってくる熱に逆らわず、むしろ身体の奥から引っ張り出すようなイメージで、持てるエナジーをこれでもかと燃焼させていく。
身体が、軽い。
練習の時よりもずっと早く、万桜はグラウンドを駆けた。
◆ ◆ ◆
競う以上は勝つつもりで戦う。
信条をブレさせたつもりはないが、美夜は心のどこかで「勝てないかもしれない」と思っていた。
万桜に──
単なる2000m走。
『
加えて、基礎の身体能力でも劣っているつもりはない。
しかし、入学以降、特に勝負を取り付けてからの彼女の『伸び』は目をみはるものがあった。
美夜もまた今日まで努力を重ねてきた。
自由裁量の範囲で走る時間を増やしたものの、あくまでも『先』を見据えたバランスの良いプラン。
勝負を甘く見たからではなく、しかるべき時にトップに立つための効率重視。
──だからこそ、馬鹿みたいに勝負に専念する万桜の伸びは、想像以上だった。
朝のジョギングや放課後のトレーニング。
時には授業中にも。
万桜を見かけ、その熱中ぶりを目にしては闘争心に火をつけられ──同時にある種の恐怖を覚えた。
あたしは、勝てないかもしれない。
誰よりも努力しているはずなのに。
才能の差なんて実力でねじ伏せる、仲良しごっこなんて必要ない、そう自分に言い聞かせてきたのに。
容姿や能力以外、特別似ていないはずの万桜が──憧れの相手と重なって。
才能。
遥かな舞台で輝く力を、他でもない彼女が誰よりも強く備えている気がして、憧れと嫉妬を覚えた。
負けられない。
ただの2000m走に全力を振り絞る。
歌に想いを乗せ、今持っている最大限の技術で、速さをブーストして。
男子200mの記録を上回るペースで同距離を駆け抜けた。
「──はっ、はっ」
息が上がる。
スタートダッシュでは美夜がリードした。
テクニックを駆使して差を広げ、デバイスでエナジー残量を確認しながら完璧なペース配分をする。
勝てる。
思いながらも手はゆるめず走り続けて。
油断はしていないのに──後方から、足音がだんだん近づいてきた。
並ぶ。
横目で見た万桜は、前だけを見ていた。
隣を走る美夜のことなんて気にも留めていない。
ペース配分もろくに考えていないかもしれない。
美夜の三倍に及ぶエナジーと、特訓により培った体力の全てを燃やして、ただ走り切ることだけを考えているようで。
怖い。
歌う唇が震え、声が意識せず大きくなった。
地面を踏みしめる足に力がこもり、エナジーが想定よりも早いペースで吐き出されていく。
負けられない。
想いが、美夜にペースを上げさせた。
抜かれかけたところを堪え、僅かに前に出て。
また抜かれそうになれば意地で先頭を奪い返す。
残りの距離は、どんどん短くなって。
いける。
このままなら勝てる、このまま全力以上で走り続ければ──。
「はっ、はっ──ぁ……?」
あと、200m。
ラストスパートにさしかかったところで、身体がずっしりと重くなった。
自分の身体が自分のものでなくなったよう。
足が思うように動かなくなり、転ばないようにするので精一杯。
──減速している暇なんてない。
一秒でも早く踏み出さなければ、そう思っているのにスピードはどんどん落ちて。
見れば、仮想表示したエナジーの残量は『0』になっていた。
『歌姫』の身体は無意識のエナジー行使で常に保護されている。
常人より高い身体能力、思考能力、成長の補助に健康維持。平常時ならば自然回復分を超えない範囲。
しかし、今のような運動中は余分な消耗が生まれ、自然回復分を端から食い尽くしてしまう。
ハイスペックな身体は、燃料なしでは十分に働かない。
足がもつれ、体幹がブレた。
よろめくようにして足を止めた美夜は、万桜がゴールする瞬間を呆然と見た。
ぱん、ぱん。
二度ピストル音が鳴り、勝者決定の合図に歓声が起こる。
──呼吸が、収まらなかった。
猛烈な寒気と酩酊感。
エナジーの枯渇は最悪、命に関わる。
0になっただけなら、安静にするだけで回復するが──さっきのように無理矢理絞り出そうとしたり、調節を誤れば気絶することも珍しくない。
夢中になりすぎてしまった。
勝つために限界を超えようとした。
現実は物語じゃない。
想いだけで都合よく奇跡が起こったりはしない。
だからこそ『歌姫』は日々、努力を重ねているのだから。
「……ああ」
涙がこぼれた。
万桜の言った通り、たかが2000m走。これで人生が決まるわけじゃない。
なのに、この敗北がたまらなく悔しい。
万桜は、クラスメートたちに駆け寄られ、タオルやドリンクを差し出されている。
相当必死だったのか、色白の頬は紅潮し、身体はだいぶふらついている。
しかし、不思議なことに、普段ならまっさきに駆け寄るはずの双子の妹の姿はなく──。
「お疲れ様でした、美夜さん」
「……なにやってるのよ、あんた」
いつの間にか奏音が傍にいた。
彼女が差し出したドリンクを、美夜は悪態と共に受け取る。
不足していた水分とエネルギーが身体に染み込み、思わず安堵の息がこぼれた。
若干の気恥ずかしさと共に、すました顔の黒髪美少女を睨むと、
「救護が必要な方を優先したまでです。余計なお世話でしたか?」
この姉妹は、本当に可愛くない。
「余計よ。……あたしは、一人で強くなるんだから」
「誰かを頼ることだって必要だよ」
諭すような台詞は、奏音のものではなかった。
今度は真昼が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「────」
「辛い時は誰かを頼っていいの。そうでないといつか、立ち上がれなくなってしまうから」
「……そんなの」
ただの綺麗事だ。
『歌姫』は華やかで、輝いていて、高給取りで、常人よりも優れた選ばれし存在。
誰かを助け、希望を与え、誰かに光を届ける存在。
だからこそ、本当に辛い時には自分でなんとかしないといけない。
他でもない
美夜は唇を結び、真昼のほうを見ないようにしながら横を通り過ぎる。
近づくと、わいわいやっていた万桜たちは一斉に口を閉じた。
人の輪から万桜が抜け出してきて、
「美夜、大丈夫?」
彼女は手にしたタオルを差し出そうとしてから、それが濡れていることに気づいて困ったような顔をした。
ああ、もう。
本当に、この姉妹はそういうことばかり。
「あたしの負けよ」
せめて、きちんと結果は受け止めなければ。
涙を拭き、前を向いて宣言。
「体育祭はあんたたちのプランでやりなさい。安心して、ふてくされて参加しないとか、そんな格好悪いことしないから」
「美夜」
万桜が表情を歪めた。
痛ましいものを見るような目。
どうして勝ったほうがそんな顔をするのか。美夜が勝ったならきっと「だから言ったのよ」と胸を張って見下したのに。
「勝ったんだから笑いなさいよ。少なくともこのソユ部はあんたの──」
「松蔭さん!」
駆け寄ってきたクラスメートたちに手を握られた。
汗をかいているうえに血の気が戻りきっていない状態。
羞恥を感じて振り払おうとするも、真剣な目に射抜かれて。
「ごめんなさい。私たち、松蔭さんがどれくらい本気なのかわかってなかった」
「その。……走ってる時の松蔭さん、格好良かった」
「私たちも体育祭、頑張るから。……まあ、勝てるかはわからないけど」
途端に、胸が苦しくなった。
涙がまた溢れてきて、どうしたらいいかわからなくなる。
しかし、言うべきことはわかった。
「……私も、勝手なことばかり言ってごめんなさい」
間違っていたとは思わない。
競争に勝ち抜くには綺麗事だけではだめだ。
彼女たちに本気が足りなかったのも、上を目指すためにはなんでもしないといけないのも、間違っているとは思わない。
それでも、美夜と違うやり方をする万桜が、たかが2000m走とはいえ美夜に勝ったのは事実で。
美夜は、自分の視野が狭かったこと、必要以上にきつい態度を取ったことを認めた。
頭を下げると、誰からも恨み言は言われなかった。
もちろん、多少反省したくらいで急に性格を変えられるわけじゃない。
美夜は一夜明けても松蔭美夜のままだったけれど、ほんの少しだけ、胸のつかえは取れた気がした。
◆ ◆ ◆
そうして。
「美夜。体調はもう大丈夫?」
「なに言ってんのよ。あんた心配しすぎ。一時的にエナジーがなくなったくらいで騒がないでよね」
若干心配していたのだが、一夜明けた美夜はいつもの憎まれ口を取り戻していた。
彼女の涙を見た時はわりと動揺した。
倒れて目を覚まさなくなったらどうしようと思ったのだが、そのへんの自己管理はちゃんとできているらしい。
朝食のトーストをかじりつつ、美夜は「あんたは?」と尋ねてきて。
「エナジーは大丈夫だったわけ?」
「うん。へとへとだったけど、ぐっすり寝たし特に問題ない」
「じゃなくて、デバイスでエナジー残量管理してないわけ?」
「そんなこと考えてたら特訓できなくない?」
もちろんエナジーを節約する訓練では有効だろうが、特訓とはギリギリまで自分を痛めつけるのが当然である。
常にブレーキを意識しながらやっていても限界は超えられない。
……と、美夜は呆れたようにため息をついて。
「なんでこんなのに負けたのよ、あたしは」
「こんなのはさすがひどくない?」
「正当な評価でしょ。ねえ奏音?」
「そうですね。お姉様がまだまだ発展途上なのは確かかと」
「……それはまあ、わたしも認めるけど」
なにはともあれ、勝負が無事に終わって良かった。
ライブバトルと2000mで美夜の実力を見たことで、クラスメートも美夜への評価を少し改めたらしい。
三年生はともかく二年生に挑むくらいには実力があるようだ、と。
この分なら、今年は無理でも来年、体育祭で二年生を打倒するくらいは狙えるかもしれない。
できればその時はみんなで力を合わせて。
と。
「ねえ、ところで万桜、それから奏音。ちょっと相談、っていうかお願いがあるんだけど」
「美夜が、わたしたちに」
「お願い、ですか?」
顔を見合わせると「なによ、嫌ならいいわよ!?」とキレられたものの、美夜は再びのため息と共に気を取り直して、
「あたしとユニット組んでくれないかしら? テスト対策で」
「ユニット」
まさか、そんなものを万桜が組む日が来るとは。
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