意見の対立

 心奏学院にはいわゆるLHRロングホームルームの時間がない。

 なので、集まっての相談事には昼休みや放課後を使うことになる。


 ある日の放課後のクラスルーム。

 みんなが思い思いにクッションを抱き、腰を下ろす中、実行委員に選ばれた生徒が代表して体育祭について説明してくれる。


「体育祭は五月の中頃に行われます。私たちにとっては最初の大きな学校行事だね」


 入学して早々だけれど、涼しい春の時期にこの手の行事をする学校はけっこう多い。


「普通の学校と一番違うのは、能力を使ってもいいってことです。

 ただし、身体強化系の能力に限るんだって」


 つまり、空を飛んだり瞬間移動したり、魔法めいた攻撃をしたりはNG。

 これなら万桜たちでもそうそうひどい目には遭わない。

 と言っても、『歌姫ディーヴァ』の身体能力は学生でも能力なしの男子オリンピック記録を軽くぶち抜くのだが。


 これも入学式同様、間近で見られるだけで価値のある行事だ。


「体育祭では学年ごとの得点を競うのよね?」


 美夜が挙手して発言すると、実行委員の生徒は「あー、うん」と苦笑した。


「毎年三年生、二年生、一年生の順みたいだけどねー。いちおう優勝すると学食とカフェテリアのタダ券がもらえるらしいよ」


 で、相談事というのは他の学校でもよくある内容だ。


「今日は誰がどの種目に出るか決めたいの」

「念のための確認なのですが、一人一種目以上は強制参加なのでしょうか?」

「ううん、そんなことはないよ。でも、せっかくだしみんなでやりたくない?」


 と、そこでなぜか視線を向けられたので、万桜は「うん、やりたい」と答えた。

 身体を動かすのは嫌いではないし、みんなでわいわいやるのは良いことだ。


 種目は各自のデバイスにデータで転送されてきた。

 そのまま参加者の登録・調整もでき、黒板やホワイトボードにいちいち記入する手間はなし。

 ほんと便利だなこの学校。

 ちなみに肝心の種目内容にそれほど特別なところはない。


 徒競走、リレー、障害物、借り物、玉入れetc…。


 1−Aの生徒たちはすぐ楽しげな様子で参加種目について話し合い始めた。

 むむむ、と、万桜が悩んでいると奏音が囁くように、


「お姉様はどうしますか?」

「……どれが一番、わたしに向いているか考えてる」

「要約すると、一番クラスへの被害が少ない方法を考えていらっしゃるのですね?」

「奏音、うるさい」


 入学以降、体力は上向いているものの未だ水準以下。みんなも頑張っているので大して差は縮まっていない。


「その通りよ。わかってるじゃない、万桜、奏音」

「……美夜?」


 どこか硬い声で呟いたのは友人である金髪の少女だ。

 このところ──というか授業が始まった頃からだんだん思い詰めている感のある彼女は万桜を振り向かず指を動かして、


 400m走にリレー、玉入れなど主要種目に次々と『松蔭しょういん美夜みや』の名前が入れられていく。

 仮決定なので特に問題はない、定員オーバーになっても後から削ればOKなシステムだが、万桜は内心「うお、やる気まんまんだな」と思った。

 これに首を傾げたのは実行委員。


「松蔭さん、この中からいくつかに絞るってことでいい?」

「いいえ。あたしはこの種目全部に出たいと思ってるわ」


 困惑がクラスルーム内に広がった。


「えっと……それは、どうしても?」

「どうしてもよ。だってそのほうが得点を稼げるでしょう?」


 学年対抗のポイント合戦のことか。

 しかしあれは……。

 と、万桜が思ったのと同じように、みんなもこれに難色を示した。


「上級生に勝つのは無理だよ」

「どうして? 挑戦する前から諦めていたらそれこそ無理でしょう?」


 だんだん、雲行きが怪しくなってきた。

 美夜はつんと前を向いたまま真剣な表情。

 他のみんなは「気持ちはわからなくもないけど……」という困惑が大きい。


 ただ、そろそろ迷惑そうにしている生徒も出てきた。


「そういうのはやめようよ。みんなで楽しむほうが大事じゃない?」

「あたしはそうは思わないわ。学院生活は競争よ? 勝つために全力を尽くさなくちゃ、誰かに足元をすくわれるわ」


 確かに、クラス分けからして全員が全員Aクラスに上がれるシステムにはなっていない。

 羨望を向けられる人間、悔しい思いをする人間がいる以上はみんな平等というわけにはいかないが──。


「美夜さん。あなたの言う『得点』とは、本当に体育祭のポイント合戦だけのことですか?」


 奏音のよく通る声が、良くない方向に向い始めた話し合いをいったん静止させた。



    ◇    ◇    ◇



 奏音──小鳥遊たかなし奏音かのんは1−Aのクラス内でも一目置かれる存在だ。

 双子なので目立つというのもあるものの、ツンツンしたところのある最優等生──美夜と一番張り合っているからだ。

 普通に人当たりもよく人望もある奏音にみんなの視線が集中して、


「違うわ。……あたしは、自分が目立って評価を上げたい。もちろんそれも狙ってる。そんなの決まってるじゃない」


 クラス分けや進級、さらには進路に関わる評価には試験結果だけでなく普段の生活態度や特別な成果も加味される。

 学校行事で目覚ましい活躍を挙げれば実際、加点対象になるだろう。

 少なくとも身体能力に優れている証にはなるのだから。


 それも狙っている、と堂々と告げた美夜は間違っていない。

 努力するのは当たり前で、チャンスがあれば挑戦するのは当たり前だ。


「奏音、あんたも立候補する? やる気のある子がたくさんいるならそれはそれでしょうがないし」


 引く気がまったくないわけではない以上、文句を言うのも難しい。


 ただ、美夜の言い回しは「本気で勝ちに行く子だけは許す」と言っているのと同じだ。

 暗に「仲良しごっこで譲り合いをするくらいならあたしに寄越しなさい」とも主張している。


 遠回しに嫌味を言われた生徒たちの中には明らかにむっとする子も出てきた。


「美夜、ちょっと言いすぎ」


 仕方なく、万桜は口を挟むことにした。


「なによ、万桜? あんたが参加して本気で勝てると思ってるの?」


 案の定──こちらを向いた少女の目にはある種の怒りがあった。


 わかっていた。


 美夜がこのところわだかまりを覚えている理由に「万桜がもたもたしていること」があるということは。

 しっかりしろ、という意味合いの言葉は毎日のように言われているし、必修科目のたびに差を見せつけられているのだから気づかないはずがない。

 だから。


「ううん。わたしがやっても美夜や奏音みたいにはできない」

「だったら──」

「でも、みんなと喧嘩するのは良くない。そういうのはやめよう?」


 個人的には少年マンガっぽくて嫌いではない考え方だが、ああいうのがなんとか丸く収まるのは物語だからである。

 極端なことを言う好戦的なキャラとかリアルだと「なにあいつ?」で普通に嫌われかねない。


 万桜の説得に周りの空気が少し緩む。

 しかし、


「誰かに権利を譲ったって、あたしの成績は上がらないじゃない」


 だめか。

 ため息をつきたくなるのを堪えつつ、クラスルームの端を見つめる。

 話し合いには基本参加しないスタンスながらもみんなを見守っていた担任──真昼は、万桜の視線にそっと目を伏せることで答えた。


 デバイスに万桜以外には見えないメッセージ。


『私は口を出さないよ。どっちも正しいと思うし、こういうのも含めて学校生活でしょ?』


 もちろん、殴り合いの喧嘩にでもなれば止めてくれるだろうが。

 諦めて視線を戻す。

 すると、ほんの数秒の間に美夜の苛立ちは一段上のものになっていた。


「あたしは一番を目指してるの。上級生に勝つ気でやるくらいじゃなきゃトップになんて立てないわ」


 一番。学年首席ではなく、『歌姫』の頂。

 遥か高いところにある夢の席。


 かつて、『歌姫』としての高峰真昼はそこに手が届きかけていた。

 多くの被害が出るようなテロを後手に回ってなお防ぎきって、不幸な事故で重傷を負った少年を全力で助けた。

 力のほとんどを失ってなお、多くの後輩から憧れられている、そんな女性ですらリーチをかけるに留まっていた場所。


 並大抵の方法で到れるとは、確かに思えない。


「それとも、どっちの意見が正しいか勝負でもする?」

「……勝負?」

「決まってるじゃない。この学院で勝負と言ったら──ライブバトルよ」


 なんか、本当に少年マンガじみた展開になってきたな。



    ◇    ◇    ◇



 ライブバトルは心奏学院──というか、『歌姫』および候補生ならではの揉め事解決方法だ。

 ライブをベースとした勝負を行って勝ったほうの言い分が通る、というもの。


 大きな揉め事は教師や生徒会などが介入するし、多くが平和主義者のため争ってまで解決しないといけない案件はそう多くない。

 そのため、万桜が身の回りで目にするのもこれが初めてなのだが。


「……すごい人」


 島内にあるライブステージのひとつ。

 そろそろ本格的に暗くなってきた時間だというのに、そこには百人近い人が集まっていた。

 生徒以外に島に住む一般人の姿も多い。


 ステージ袖からそれを見下ろした万桜はほう、と、感心のため息をついた。

 ばんばん開催されるというほどのものではない、というのもあるが、これだけ集まったのは一年生トップの生徒が参加するから、というのもあるらしい。

 けっこう上級生が見に来ているのはお手並み拝見というか、単純に興味があるのだろう。


「奏音、大丈夫?」


 まさかここまで大事になるとは。

 を振り返って、万桜は尋ねた。

 ライブ衣装なんて持っていない奏音はダンスレッスンなどで使う訓練着姿。

 デバイスの機能を用いて全身をチェックしていた彼女は「ご心配なく」と言って万桜を振り返った。


「勝敗はどうあれ、きちんと最後まで歌いきってみせます」

「ごめん。その、変なことに巻き込んじゃって」

「なにを仰るのですか。これはわたくしが自分で決めたことなのですよ?」


 美夜の挑戦を受けたのは、万桜ではなく奏音だった。


『お姉様はまだ本格的なライブができる段階ではありません。勝負でしたらわたくしがお受けいたします』

『あら。残念な姉を持つと大変ね、奏音?』

『美夜さん。わたくしは今の実力に大した意味はないと思っています。将来的にどんな歌姫となるか、それが一番大事ではないでしょうか』

『あたしが万桜に追い抜かれるってわけ? ……はっ。いいわ、そんなに甘くないって証明してあげる』


 即座に設備利用許可を申請して、一時間もしないうちにこの有り様。

 緊張しても当然だと思うのだが、


「これもきっと良い経験になると思います。見守っていてくださいますか、お姉様?」

「もちろん。楽しんできて、奏音」


 奏音は、万桜の右手を両手で包みこんで笑った。

 その手が震えているのが文字通り手に取るようにわかる。

 それでも、万桜は指摘せず微笑んだ。


 意地を通すのなら時に争うことも必要だ。

 そして同時に勝ち負けは重要じゃない。

 奏音の言った通り、今のうちからステージに慣れておくことはきっと後々のためになる。


「はい。──行ってまいります」


 大掛かりな仕掛けによってステージの形状を変えられる設備。

 今は向かい合うように一人用のステージが二つ設置されている。

 奏音が一方から顔を出すと歓声が上がり、すぐに向こう側のステージから美夜が現れた。


 漆黒。


 パーティドレスかなにかをアレンジしたものか。

 照明を反射するいくつかの装飾が良いアクセントとして機能し、夜闇に少女の姿を映えさせている。

 これには観客からも「おお」と感心の声。


 先んじて心を掴まれたか。


「選曲の権利は譲ってあげるわ、奏音」

「ありがとうございます。では、誰もが知っている曲にいたしましょう」


 デバイスと会場設備によって二人の声はマイクなしに会場に響く。

 奏音が、現在学年二位の少女が口にしたタイトルは、必修科目の授業初日に万桜が歌った──高峰真昼の代表曲。

 デバイスを通したリクエストに応じて楽曲が流れ出し、二人の少女が同時にステップを踏む。


 今回のライブ形式は、二人が同時にひとつの曲を歌うもの。


 観客のインプレッションは歓声や視線、脈拍などからリアルタイムで計測され、各ステージ上部のモニターに表示される。

 歌が終わった時点で獲得したポイントが多かったほうが勝者──という、ある意味わかりやすいルールである。


 それだけに誤魔化しがきかず、また勝つためのテクニックは多岐に渡る。

 初めてのライブバトル、二人にとっては手探りの一戦のはずだが、


「……すごい」


 奏音と美夜の振る舞いは、見る者に不安や緊張を感じさせないほどに堂々としていた。


 敢えて照明を最小限に抑え、自身のエフェクトによって輝きを振りまく奏音。

 逆に照明を強く浴びながら、自身のエフェクトによって闇を発生、光のあたり具合によってグラデーションを作り出す美夜。


 闇のエフェクトにあんな使い方があったとは。

 これは、どちらが勝ってもおかしくはない。

 心情的には妹の側に近い。しかし、それは奏音に狩って欲しいのであって美夜に負けて欲しいわけではない。


 矛盾するような心情の中、万桜は固唾を飲んで決着を見守り──。


「残念だったわね、奏音。いい勝負だったけど、あたしの勝ちよ」

「……対戦ありがとうございました。今回はわたくしの負けのようです」


 勝利を収めたのは、美夜のほうだった。


「どうする、万桜? あんたもあたしと勝負する?」

「うん、やる。わたしも、なにもしないで納得なんてできないから」


 そして。

 挑発するような友人の問いかけに、万桜は迷うことなくそう答えた。

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