第四章 裏へ

◯渡会颯太の話 裏へ

 母との通話を終え、颯太は再びショッピングモールへと足を運ぶ。

 

 入り口では僅かに緊張したものの、不思議と恐怖を感じることはなかった。雅代からもらっていた鈴が胸ポケットに入っていたからだ。 

 守られている。そんな感覚を覚える暖かさが、確かにそれから伝わっていた。

 

 今は意識がないという彼女が、背中を押してくれている。そう確信して、竹刀を入れた布袋を握りしめた。先ほど母から聞かされた話は、それなりに衝撃だった。でも、それだけだ。


 父は、事故にあって亡くなったと聞かされていた。当時まだ小学生だった颯太は、絶対的なヒーローであった父親の死に大きなショックを受けたのだろう。その頃の記憶はモヤがかかったように曖昧で、その事件が母方の祖母の家――今、渡会一家が身を寄せている家に帰省中の出来事であったことも、すっかり記憶から抜け落ちていたのだ。

 

 父は犬の散歩に出かけた先で、ショッピングモールの建設作業員と反対運動の小競り合いに出くわした。正義感の強い彼は、それを止めようと割って入り、突き飛ばされ、運悪くやって来たトラックにぶつかって呆気なく命を落とした。その時共にいた愛犬も、共に。

 母からすれば、ひどい因果の巡りである。夫を亡くした場所で、次は娘が消えるなど。

 だからこそ、颯太は妹を見つけ出さなければならなかった。必ず見つけて――連れ戻す。

 

 それが、因果を断ち切って平和な日常へと復帰する、唯一の方法だった。

 

 ある場所を目指して、モールの中を早足で歩く。


 さくらと二人、半日かけてモールの端から端までを歩き回った。それでも鈴が鳴らないとなると、心当たりは一つ。

 店舗の間の通路を抜けて、壁沿いの奥まった場所へと入り込む。人気のないトイレの前を素通りした先に、素っ気ない灰色をした扉が現れた。

 

 従業員通路への入り口だ。一般客が入る場所ではない。それでも、利便性を追求してなのか、特に鍵などはかけられていなかった。

 

 素早く辺りを見回し、人がいないことを確認する。意を決して、ドアノブに手をかけ、押し開けた。


 そこには――闇があった。


 墨一色で塗りつぶされたような黒、奥行きも高さも分からない。そんな空間が目の前に広がっている。

 明らかに異様だ。それでも一歩を踏み出す勇気を絞り出せたのは、胸ポケットの鈴がわずかに音を立てたからだ。これまで振っても音を出すことのなかった鈴が、澄んだ音を立てる。

 涼香は、きっとこの先にいる。


 妹と繋がっていると言われた左手首に、無意識に触れ、颯太は闇に向かって一歩、その足を踏み出した。



 ――扉が背後で閉まる音がして、辺りは本当に真っ暗闇となった。その、闇の向こうで、ひそひそと何者かが囁く声が聞こえる。 


 ――イイイイイラッシャイイイイイマセ


 ――オキャクサマノオオオオヨビダシヲヲヲヲヲモウシアゲママママママ


 ――オトクナセールヲジッシチュウデスセールヲゼヒゼヒゼヒゼヒオカイモトメメメメメメメメコノキカイニ

 

 その音はまるで、人ではない何かが人の物真似をしているかのような奇妙なイントネーションで耳をつく。足を運ぶ度に靴底に纏わりついてくる、粘ついた感触が不快だった。 

 知らず、口角が笑ったような形に引き攣れる。叫びだしそうになる精神を深呼吸で堪え、ただ只管に、歩く。

  

 ――ふと耳元に、何者かの息がかかり――それはありったけの憎しみを込めた声で、言った。


「お前のせいだよ」


 颯太は、それを振り切るように闇の中を走り出した。

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