第三章 いぬと男

◯ふたりの話 いぬおぼご

「……鳴らないねぇ。鈴……」

「だな……」


 翌日。颯太とさくらは待ち合わせ、開店時間と同時にショッピングモールへと踏み込んだ。

 

 平日堂々とサボることに緊張していた颯太だが、世間とはそこまで他人に興味がないものらしい。誰にも見咎められることはなかった。


「そりゃそうでしょ。私服着ちゃえば大学生と高校生の違いなんてわかんないよ。颯太くんでっかいし、私はフケ顔だし」

「フケ顔って……。確かに大人っぽいとは思うけど」

「言い換えサンキュ」


 目元にうっすらと化粧を施した彼女は、颯太の言葉に薄く笑う。その表情は、確かに大学生と言われて違和感のない大人びたものだった。


 デニムのショートパンツから伸びる脚と、ブーツの間を繋ぐ網タイツに視線が伸びて、颯太は慌てて目を逸らす。

 

  颯太の視線に気付いているのかいないのか、いつの間にか片手に持っていたフローズンドリンクのストローを咥えながら、彼女は赤く染めた唇を尖らせた。


「にしても、反応なさすぎるよね。……壊れてんのかな、もしかして」


 さくらは鞄にくくりつけていた鈴をつまみ上げて振る。リンリンと澄んだ音がした。颯太は苦笑する。

 

 ――開店から二時間ほどかけ、ショッピングモールの端から端まで歩き回っても、雅代からもらった鈴は一度も鳴らなかった。

 

 平日とはいえ活気のある店内は、クリスマスムード一色だ。どの店でも大切な誰かとやらへのプレゼント候補を全面に押し出している。

 ここで人が消えたり、バケモノが出るようには決して見えない。――もっとも、先日はそう思った直後に妹が消えたのだが。

 

 さくらが疑いたくなる気持ちもわかる。けれど、現状これ以上の手がかりはないのだ。今は、この小さな鈴に頼るしか無い。


 ――そんなことを考えていると、ふと前方の店が颯太の目に止まった。


「どうしたの?」 

「……うん。あのペットショップで、初めに変なモン見たんだよな、と思って」


 ふたりは「ハートフル♡ペット」と書かれた看板の前で立ち止まった。店頭のケージにそれぞれ毛玉のようなとした子犬が入れられ、ふくふくと幸せそうな顔で眠っている。

 さくらはその犬たちを見るなり眉をしかめた。


「犬、嫌い?」

「ううん。めっちゃ好き。……でも、ペットショップはちょい苦手かな。……なんか、命の売買ってどうなんだろう、とか考えちゃって」

「あー、わかるかも。うちの犬も、ペットショップじゃなくて保健所から引き取ってきたやつだった」

「え、犬飼ってるの? いいなぁ。種類は?」

「黒のラブラドール。でかくて優しくて……良いやつだった」

「……そっか」


 颯太の語り口が過去形であることに気づき、さくらは目を伏せる。颯太は慌てて、話をもとに戻した。


「そうそう、ここの左端のケースにいたんだよ。……変な生き物が」

「この前言ってたやつ?」

「うん」


 そのケースには今は何も入れられていなかった。さくらはじっとそれを見て――手を上げると近くにいた店員らしき男性に呼びかける。

 

「すいませーん! ちょっと前、ここのケージに変な生き物がいませんでしたかー?」

「ちょ……!」


 男性店員はさくらの方を見て驚いたように数回瞬きすると――ニッコリと笑って、事も無げに言った。


「――ああ、いぬおぼごさまのことですか?」


 ふたりは顔を見合わせた。


「……いぬ、おぼごさま、って?」

「はい。この左端のケージにね、時々いつの間にか現れる神さまですよ。おぼご、というのはどこかの方言で、『赤ん坊』――って意味らしいです」

「神さま……?」

「ええ、いぬおぼごさまは、未来を予言してくださるんです。ご自身の命と引き換えに」


 店員は、斜め上を見ながら、どこか恍惚とした表情で問いに答える。だらしなく緩んだ口元が、不気味だった。


「……というか、お客さん、見たんですか? いぬおぼごさまを」

「は、はい」

「そうなんですね! いや、レアですよ。――自分はまだ、見たことないんですよね。予言は聞きましたか?」

「…………はぁ」

「ええー! いいなぁー! 羨ましいー!」

「……でも、漠然としてましたし、何言ってるかは、よくわからなかったですよ」

「そうなんですか?」


 頷く颯太に向かって、店員は考え――目を細めた。


「……その言葉を聞いて、お兄さんが思い浮かべたものがあるでしょう? それが予言の肝ですよ」


 そこまで言うと、店員はレジの応援へと呼ばれて去って行った。


「……いや、普通に答えるんかい。……びっくりしたぁ」


 さくらは一口、ドリンクをすすると――難しい顔をして顎に手を当てた。


「いぬ、がつくってことは、おばあちゃんの言ってた『犬坂』と何か関係あるのかな」


 しかし颯太の心は上の空だった。無反応な彼を訝しむように、さくらは小首を傾げる。

 

「……どうしたの?」

「その、予言で言われたのが『鬼が来るぞ』……っていうのなんだけど。その言葉を聞いたとき思い浮かんだのが――妹のストーカーのことなんだ。あれこそ、鬼みてぇな奴だって」

「……ああ、言ってたね。……それがどうかした?」


 颯太は、口元を憎々しげに歪め――言葉を絞り出した。

 

「今朝、母さんから聞いたんだ。……そいつ、死んだんだって」

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