◯渡会颯太の話 人が消える場所

 バスを降りた後、適当に入ったファストフード店で、語り終えた恵麻はホットココアのカップで指先を温めながら俯いた。


「それ以来さくらも塞ぎ込んじゃって。……ろくに連絡も取れないの」

「そう、なんだ」


 学校にいるときは無理をして明るく振る舞っていたのだろう。恵麻のカップを持つ手が、僅かに震えている。颯太は慰める言葉も思いつかず、ただ視線を彷徨わせる。


「……聞いてくれてありがとう。誰に話しても勘違いだって言われるから、否定しないで聞いてくれるだけでも嬉しかった」


 恵麻はぎこちなく微笑んでみせ、ココアのカップに口をつける。一口飲んでため息をつくと、再び口を開いた。

 

「……渡会くんは、あそこで何を見たの?」

「――俺は……」


 颯太はペットショップで見た気味の悪い動物と、それが喋ったことを語って聞かせた。

 恵麻は大きな瞳で彼の顔を見ながら、颯太が話し終わると同時にぽつりと呟いた。


「……くだん」

「え?」

「あ、えっと……私、けっこうオカルトっていうか……怖い話が好きなんだけどね。『くだん』っていう妖怪がいて、それが……その犬みたいなやつに似てるなって」


 そう言って恵麻はスマホを手早く操作して、その画面を颯太に向けた。

 ブラウザの検索結果には、古い日本画のタッチで描かれた奇妙な生き物が表示されている。顔は人間だが、身体は牛の化け物だ。


 ――半人半牛の姿をした妖怪


 ――牛の子として生まれ、人間の言葉で予言を残し、死ぬ


颯太はその説明文にざっと目を通し、その気持ち悪さに口元を歪めた。

 

「……牛と犬って違いはあるけど、確かに似てるな」

「でしょ?」


 身を乗り出す恵麻にスマホを返しながら、颯太は頷く。その顔は貼り付けたような笑みを作っていたが、心中は決して穏やかではなかった。

 

 あれが本当に「くだん」のようなものだとしたら、死に際に残した「おにがくる」という言葉は本当に予言だったことになる。

 漠然としてはいるが、確実に良い意味ではない、はずだ。


「……本田さんの言う通り、あそこにはあんまり行かないほうがいいってのはわかったよ。変すぎる」

「うん」


 颯太の言葉に恵麻は頷いて、その視線を伏せた。長い睫毛が白い肌に濃い影を作っていた。

 

「……ほんと、なんなんだろうね。あそこ」

 

 ◇◇◇

 

「おかえり、颯太」


 帰宅した颯太を迎えたのは、今起きたのだろうスウェット姿の母、啓子だった。


「はよ。今日も夜勤?」

「そ。小さいお子さんいる人には振れないからって。入ったばっかの人間に連日させないでほしいよねぇ」


 母はあくびをしながらコップに水を入れる。彼女はこの家に越してくるのを機に、看護師として勤めていた病院を退職し、実家の近くの総合病院に転職していた。


「ベテランなんだし仕方ないだろ。前のとこでは看護師長までやってたんだし」

「それでも、病院が違うんだから勝手も違うじゃない」

「そりゃそうだ」


 颯太は適当な相槌を打ちながら、冷蔵庫を開ける。好物の牛乳をカップに注ぎ、一気に飲んだ。


「そういうあんたは、遅かったじゃない。いつもは真っ直ぐ帰ってくるのに」


 ぎくり、と音がしそうな颯太の様子に、母は悪戯っぽい表情を見せる。 

 

「……わかった、女の子でしょ」


 黙り込む息子に言った本人の彼女のほうが目を丸くする。これまで浮いた話の一つもなかった息子から、そんな反応が返ってくるとは思ってもいなかったようだ。

 

「え、ほんとに?」

「いや、でも母さんが思ってるようなのではないから」

「やだぁ。青春じゃない」


 母は颯太の否定を無視してからからと笑うと、ふと真剣な顔になる。


「……ごめんね。颯太」

「なに、いきなり」

「あんたには苦労ばっかかけてるなって。……お父さんが生きてれば、あんたまでこっちに来ることなかったのに」


 そう言った母の視線の先には、十年前の家族写真――まだ存命だった父と写った最後の写真が飾られている。

 写真の中の家族は、皆笑顔だ。当時飼っていた犬、ラブラドールレトリバーのラブを真ん中に、十年分若い家族と、もう歳を取ることのなくなった父が白い歯を見せている。

 颯太はチクリ、と痛む胸を無視して、わざとおどけてみせた。


「……なに、小遣い上げてもらう交渉チャンス?」

「それは……次の期末テストの点数次第かな」

「うぇ、まじかよ」

 

「――お兄ちゃん、帰ってたんだ。おかえり」


 二人で笑い合っていると、塾のオンライン授業を終えたらしい凉香が二階から降りてくる。祖母の姿が見えないが、この時間はおそらくテレビをみているはずだ。

 母は娘の姿を見ると、思い出したように明るい表情を作り、言った。

 

「そうだ。凉香の誕生日、日曜でしょ。その日は休み取れたから、おばあちゃんも一緒に、皆でお祝いしようね」

「ほんとに?」


 形の良い目をきらきらとさせて身を乗り出した凉香に向かって、母は大きく頷く。

 

「うん。ボディガードもいるし、凉香の行きたいところ行こうよ。――いいでしょ、颯太」

「おう、任せとけ」


 力こぶを作った颯太の笑顔は、続く妹の言葉によって凍りつく。

 

「――じゃあ、あそこ行きたい。駅前のモール!」


 颯太の脳裏には、恵麻の震える指先が浮かんでいた。

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