本田恵麻の証言

 居なくなったのはね、小さい頃からお世話になってた、絵画教室の先生なの。森下千穂子先生っていう女の人。


 幼稚園時代からの親友のお母さんでね。その縁で教室に通うようになったんだ。親同士も仲良くて、家族ぐるみで付き合ってた。


 その日、二週間くらい前ね。さくら――千穂子先生の娘のさくらと、私と、千穂子先生の三人で、あのモールに画材を買いに行ってたの。モールの二階に文房具屋さんがあるでしょ?あそこの油彩画コーナー。

 

 なかなか皆の予定が合わなかったから、平日の夜、結構遅い時間――夜の七時くらいに集合だったんだよね。私は親にモールまで送ってもらって。先生とさくらに合流した。

 

 ちょっと前に、さくらと私、コンクールに出す作品が描き終わったのもあって、そのお疲れ様会も兼ねてた。


 それで、画材を買って、三人でご飯食べて、色々話をして……一時間くらいかな。閉店近くなってきたし、そろそろ帰ろうかってなって。そしたら先生が、ちょっとお手洗いに行ってくるねって立ち上がったの。


 先生が外に行こうとしたら、そのカフェの制服着た男性店員さんが「お手洗いなら中にもありますよ」って話しかけてきたの。

 指差す方向を見てみたら、店の奥――カウンター席のある横辺りに、ドアがあったのね。その扉に、ピクトグラムの人間のマークのシールが貼ってあった。ああ、トイレなんだなってわかる感じの。

 

 近いほうが楽だよね。先生もそう思ったぽくて、引き返して、店の奥のトイレに行ってた。


 私は店の奥の方を向いて座ってたから、先生がドアを開けてその中に入っていくのも見た。

 ……見た、と、思う。何にも不自然なところがなかったから、記憶にあんまり残ってないけど……。


 それで、私とさくらの二人でしばらく話して……。大人がいるとしにくい話とか。やっぱそういうのって盛り上がるじゃん。一通り話してふと気づいたら、結構時間経ってたのね。といっても十五分くらいなんだけど。

 でも、トイレにしてはちょっと長いなって思って。「先生遅いね」とか言いながら、店の奥を見たの。そしたら――


 ――なかったの。トイレのドアが。


 さっき、私がドアを見たカウンターの奥、只の壁になってた。オシャレ風の、コンクリート打ちっぱなしな、只の壁。さっきは確かに、黒いドアがあって、トイレのマークが白地で描いてあったのに。


 私が思わず「えっ」て声出したら、さくらも振り返って、すぐまたこっち向いた。「あそこ、トイレじゃなかった?」って言ったから、私の勘違いじゃないんだって思った。

 

 でも、二人で席を立って、その……ドアがあった場所まで行って、壁を見ても、何にもないの。触っても只の壁。軽く叩いてみたら、いかにもコンクリートですって固さで。


 だから、お皿を下げてた女性の店員さんに聞いたのね。「ここにトイレなかったですか?」って。そしたら彼女、変な顔して「トイレは店の外になります」って。


 私もさくらも、そんなはず無いって言った。さっき男の店員さんが案内してくれたんだって。……でも、そしたらその人、もっとおかしな顔して。

 今日のシフトは、全員女性ですよ? ……って。


 もう、私たちパニックになっちゃって。お金だけ払って、店を出て、とりあえず一番近い女子トイレに行ってみたけど、先生はいなくて。

 

 そこでようやく、電話かけてみればいいじゃんって思いついたんだよね。先生、ハンドバッグは持って行ってたから。


 で、さくらが電話して――しばらくコールした後で「もしもし?」って言った。

 繋がったんだってほっとしたら、あの子真っ青な顔になってさ。スマホ、床に落としちゃったんだよね。

 その拍子にスピーカーになったみたいで、向こうの音が聞こえて。


 それが――もう、すっごい気持ち悪い音なの。なんていうか、ハウリングのキーンって音がベースに鳴ってて、人のうめき声とか、裏声みたいに高い人の声みたいな音とか。そういうのが混ざり合って、聞こえてきた。

 

 私、全身に鳥肌立ってて、動けなくなって。私もさくらもその場に立ち尽くして、落ちたスマホを二人で見つめてた。

 

 その音が――数十秒くらいかな。続いて、通話は切れた。切れる直前、急に無音になって、最後だけ知らない人の声がはっきり聞こえたの。


 「にえ」――って。


 それを聞いた瞬間、さくらが悲鳴上げて――。もう、パニックみたいになっちゃって。警備員さんが来て、無我夢中で事情を話して……。さくらのスマホは壊れちゃったから、うちのお母さんに来てもらって。


 それ以来、先生……居なくなっちゃった。見つかってないの。ずっと。

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