闇夜

黒巻雷鳴

闇夜

 闇夜に黒く塗り潰されたアスファルト。

 車道側も静寂に沈み、ひとけはない。

 そこへ、パンプスとはまた別の、踵を引きずるような男の靴音がかさなって歩道に鳴り響く。

 ──つけられている。『あなた』は終電を逃してしまい、高架橋に沿って帰路をめざしていたが、いつからかこの男の気配を背後に感じるようになっていた。

 肩に掛けているショルダーストラップを強く握りしめる。武器になりそうな物は、ちょっと小さめなこのバッグしかない。もしも暴漢に襲われたら、こいつを振り回して顔面にぶち当てて、それから…………風向きが変わり、煙草タバコの煙が鼻孔を侵した。

 不快感と緊張感が入り混じる。ストレスが絶頂にまで達しそうになる。男が次の行動をしたら、大声で助けを呼ぶべきなのか──いや、それでは遅いかもしれない。いますぐにでも駆け出して人の居る場所まで向かい、助けを求めるべきなのかもしれない。

 背後から聞こえてくる足音が、速度をわずかに上げたように感じる。

 まちがいない、自分は狙われている。そう確信した直後、『あなた』は道につまずきバランスを崩してしまう。

 思わず小さな悲鳴が洩れるも、なんとか転ばずに済んだ。

 けれども男は、その隙を見逃さなかった。

 いつの間にか距離を詰めた男は、うしろから抱きついてバタフライ・ナイフを顔に近づけたのである。


「騒ぐな! おとなしくしろ!」


 有無を言わさず、より深い闇の中へと身体からだがさらわれる。男のヤニ臭い息とパンプスの悲鳴だけが辺りに聞こえていた。

 地面に倒された『あなた』の衣服が強引に脱がされる。

 露わになった肌着に、男の興奮が際限なく加速する。

 膝立ちになった男が、下半身の怒張を片手で露出させた。

 眼球を失った蛇が鎌首をもたげる。ほんの一瞬、鈍色の輝きが妖しくきらめいた。


「さわれ」


『あなた』に拒否権は、ない。

 命ぜられるまま、男の一部に触れる。

 男が低いうめき声を洩らす。『あなた』はとっさに手を放すも、それは永遠に思えるほどの長い苦痛の時間に感じられた。


「ヘヘッ、これから儀式を始める……おまえは選ばれたんだ。オレに感謝しろよ」


 そう言いながら男は、身勝手に手淫を始めた。

 男の目的は一体なんなのか──このままひとりで果ててくれれば、これ以上の被害はないかもしれない。だが、悠長に構えているつもりはない。なんとかこの状況を脱しないと、最悪の場合、殺されてしまうだろう。

『あなた』は股間をゆっくりと開く。

 それは、男の意識をそちらに向けさせるためだった。

 狙いどおり、男の視線は下腹部に釘付けだ。

 今度は『あなた』が、その隙を逃さなかった。

 すばやく半身を起こしてナイフを握る男の手を掴むと、間髪入れずに男性器を切りつけた。


「ぎゃあああああああああッッッ!!」


 激痛に顔をゆがませて股間を両手で押さえる男。

 落とされたナイフを拾った『あなた』は、無防備な首筋にめいっぱいの力で突き刺した。

 返り血を浴びながら立ち上がる。『あなた』の手にはナイフが握られたままだ。

 このままだと、自分は過剰防衛で罰せられるだろう。

 なんておかしな法律だ。襲われたのは、なにもしていない自分なのに……。

 まぶたを閉じて呼吸を整える。

 そして『あなた』は、もう一度ナイフを男の身体に深く突き刺した。




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闇夜 黒巻雷鳴 @Raimei_lalala

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