第三章 5話


 週末の日曜日。

 二週間ぶりのバイトは日曜日ということもあってか忙しさが目立った。


 両親の仕事がないからか家族水入らずで外食を嗜む親子や部活終わりの空腹な学生が多い。

 どの年齢層にも好かれる定食屋ということもあって多種多様な客でいっぱいだ。


 それでも時間通りの九時三十分にはきっちりと上がらせてもらい、時給分をしっかり働いた。男子には女子とは違ってカーテンで仕切られた簡易的な更衣室が用意されている。人を待たせているため、ささっと着替え終えてホールへ戻る。


「あ、きた」


 窓際にある四人席で二人の女性が向かい合って座っている。伊佐町千草と蒼だ。

 テーブルには蒼の前だけにアジフライ定食が置かれていて、まだアジフライだけが一つ残っていた。千草はすでに食べ終えているようだ。

「二人だけ?」

 聞くと蒼が淡々と言ってくる。

「お父さんとお母さんが出掛けているからご飯ないんだ」

「あーね。相変わらず姉妹で仲の良いことで」

 とりあえず蒼の隣に腰を下ろす。

「バイトおつかれ様」

「どうも」


 千草はシンプルなボーダーピッチのTシャツとラフなカーキパンツを合わせた格好。シンプルだがよく似合っている。

「人が多くて大変そうだね」

「まあ休日は特に混雑しますしね」

「でもバイトしてるの久しぶりじゃない?」

「まあそれは置いといて」

「図星だったんだ」


 蒼は器に添えられたタルタルソースを箸で掴み、アジフライの上に乗せていた。アジフライをつけるんじゃないんだ。と上品さを客観していると「食べる?」と提案してきた。首を振って断ると「そっか」と蒼が自らで頬張った。


「あ、そうだ。彼女できた?」


 思い出したように蒼が言ってくる。

 千草と話そうと思って、今日は時間を空けてもらったが、蒼はそれを聞くためについてきたらしい。千草はちらっと視線を向けてきたが、すぐにスマホに意識を変える。


「できてない」

「ええー、違うんだ?」

「学校で一緒にいたのは普通に仮入部に来ていた子な」

「へえ、仮入部だったんだ。珍しいね?」


 蒼はアジフライを箸で掴み、タルタルソースにつける。さっきまでの上品さは何だったのだろうか……。

「食べ終わったし、聞きたいことも聞けたから、私は先に帰っとくね。ちぐ、十一時過ぎると鍵閉めるから」

「うん、わかってる」


 蒼は食べ終えると、会計を千草に任せていそいそと帰ってしまった。

「妹はやかましいですね」

「で、どうしたの?」

 短い言葉の内側には「わざわざ私を呼び出してまで」という意思が見られた。

「とりあえず出て話しません?」

「それもそうだね」





 会計を済ませると、生ぬるい空気を含んだ外へ出た。高校生が店を追い出されるギリギリの時間ということもあってか、見上げた空は光を失っている。それでも遠くに見える無数の星たちは地球を照らすように星座を作って煌めいていた。


「ちょっと歩きませんか?」

「まあ走る気分でもないからね」

「散歩しようって意味。めんどくさいなぁ、この人」


 県道とは反対側に出て、平和市民公園へ向かっていく。公園の中では大学生のグループが大きな声で談笑して固まっていた。男子が三人と女子が四人。どういう組み合わせなのだろうか。少し気になる。


「蒼が言ってたよ。絵馬が一緒にいた一年生のよくない噂を聞いたって」

 千草が滔々と言葉を紡ぐ。

 学校ですれ違ったとき、後ろに続いていた一年生にでも聞いたのだろうか。


「それをオレに言わないあたり、あいつも意外と人ができてますね」

「好きでもないのに付き合って、男をたぶらかして弄んでいる悪女。ってね」

「詳しい内容まで言っちゃうあたり、あんたは人ができてねえな!」


 事前に本人から聞いていなければ悪いように信じていたかもしれない。こういう人が噂話を広げていくのだと目の前の人を見て達観してしまう。


「それで、絵馬は何を話したかったの?」

 そうだった。今日は千草に話があったのだ。


 でも、小豆のことを言われて考える。

 小豆のことを誰かに話してもいいのだろうか。千草が誰かに広めることを疑っているわけではなく、それを口にしてしまう自分が嫌になりそうで、絵馬は事実のまま口にすることを見送った。


「トロッコ問題ってどう思いますか?」

「トロッコ問題?」

 制御不能になった列車が通常の路線を走って五人を轢くか、それとも分岐器を使用して別路線にいる一人を犠牲にするか。一人の命と五人の命を天秤にかける問題。


 千草も問題自体は知っているようで、不思議そうに首を傾げてくる。

「どうして急に?」

「何をしても良い方向に進まない。そういう時はどうしたらいいんだろって思って」

 琥珀の願いに沿うのか、それとも小豆の意思を尊重するのか。

 それらを隠して絵馬は問うてみる。


「なに、絵馬は人生相談がしたかったの?」

「いえ、単純に聞いてみたくて」


 何かを察した千草はいつものように淡々と口を動かす。

「私なら全員の命かな」

「問題の趣旨を理解してます?」

「良い方向に進まないなんて、そんなことありえないよ」

「それでも良い方向に進まないとしたら?」

「ないよ。そんな状況」

「いや、そういう話じゃなくて。通じねえなぁ……」

 頑なに意見を曲げるつもりはないらしい。


 話を進められないほどの千草の頑固さに項垂れていると千草はひょうひょうと言ってくる。

「考え方が悪いよ。全てが悪い方向に進むことなんてありえない」

「まあそれはあるかもだけどさ、仮の話」

「もし絵馬が誰かの境遇を濁して質問をしているなら、その考えは捨てた方がいいよ」


 すっかり見抜かれていたようだ。


「どうして?」

「残酷って言葉、どう思う?」

 話の方向性を変えて千草が聞いてくる。

「どうって?」

「直感でいいよ。言ってみて」


「良い言葉ではないなって思いますけど」

「だよね。無慈悲でむごたらしい行いを良い言葉って思う人はいない。でも私は悪い言葉だけではないと思うよ」


「どうして?」

「残り物には福があるっていうなら残酷にも福は残っているはず」

「なんですか、その物は言いようを説明したような文章は」

「物は言いようってポジティブになれる魔法の表現だよ。それを踏まえたうえで、絵馬の考えた方向は本当に悪いことだけなの?」

「そういわれると……、深く模索したわけじゃないから違うかも」

「まだわかっていないんだ」


 千草はゆっくりと空を見上げて、また視線を元に戻す。


「九九は最後に八十一になるけど、それまでに九十八回の行程を踏む。でも使われてるのは八十一って答えだけじゃないよね?」

「そりゃまあ。でもそれが?」


 意味が分からないでいると大学生グループが大きく笑った。そちらに意識を移した絵馬とは違い、千草は意識も向けずに淡々と言う。


「絵馬が考えているのはきっと八十一って答えだけなんだよ。極端で結末だけの答え」


 手を眺めて示指の爪を親指で撫でる。

「目標を達成したら誰でも嬉しいよね。なら目標を達成するまでは辛いことだけなの?」

「……?」

 分からない顔を素直に浮かべていると、大きなため息を吐かれる。


「人生のゴールが死ぬことなら、絵馬は今が楽しくないんだね」

「……ああ、そういうこと」


 ようやく言いたいことを理解する。

 ただ、理解しただけだ。問題の解決にはなっていない。

「極端に考えるんじゃなくて、目標を近くにするってことですか」

「絵馬が何を悩んでいるのかは知らないけど、ゴールを変えると選択肢も増えてくるよ」

 軽い面持ちで言うので、色々と気が抜けた。


 千草は頭がいい。だからこそ、絵馬とは通じ合えないものがあるのだろう。

「相変わらず、狂った考え方してますよね」

「発想が豊かなだけだよ。頭が柔らかいのかも」

「そうですね、自分で言うのはあれだけど」

「聞きたいことはそれだけ?」

「はい。ありがとうございます」

「参考になった?」

「全然なってねえ。でも、もう少し自分で考えてみようかな」

 それがいいよ。千草はふわりと笑って、それから世間話を始めた。


 他愛のない話のおかげで、千草の家に着く頃にはすっかり頭は軽くなっていた。


 絵馬に小豆の行先を決める義務はない。だから絵馬は自分のことは自分で決めた方がいいに決まっている、と小豆に言ったのだ。仮に人の言うことに従って後悔したとき、小豆は他者を責めることはしないだろう。


 それなら自分で考えて後悔した方がいい。

 絵馬がすることは小豆が道を外したときに導くことだ。自分で考えることができるように、自分の納得した環境になるように滞った考えを払拭させる。


 小豆の世界は小豆を中心に回る。

 だから小豆が納得する世界を、彼女自身に考えさせる。


「……なんて、理想だよな」


 頭で考えるほど、簡単なことではない。

 人生が思い通りにはならないことは小学生でも知っていることだ。

 

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