第56話 突破口

 アーシアは沖田の奮戦を、唇を噛みながら見つめていた。

 多腕の巨人の攻撃は文字通り手数が多い。吹き荒れる拳の嵐の中を、沖田の小柄な体がかいくぐる。それはまるで暴風に翻弄される木の葉のようだった。


 アーシアの目から見ても沖田の動きは精彩を欠く。

 原因は考えるまでもない。ヒュースケンの狙撃を警戒しつつ、そのうえアーシアから注意を引き離すように動いているためだ。怪物もヒュースケンもアーシアに意識を向けていない。戦力としてみなされていない、という点も大きいだろう。


 アーシアはぎりっと奥歯を噛む。自分の無力さを突きつけられているように思えたからだ。アーシアの役割は瘴気の探知と魔術知識による支援だが、横浜に来てからそれが役立った場面はほとんどない。


 しかし、そんなことに気を取られている場合ではない。

 深呼吸をして意識を研ぎ澄ませ、空間に満ちる瘴気の流れを読み取ることに集中する。いかに沖田であっても岩塊のような怪物を正面から斬れるとは思えない。自分が弱点を見破り、突破口を見出さなければならないのだ。


 最も瘴気が濃いのはヒュースケンが腰掛ける巨大な心臓だ。そこを中心として、血管を通じて八方に瘴気が送り出されている。心臓の中からは弱々しいが人間の精気を感じる。これはブリュインのものだろう。


 術式の内容を予想する。

 まず力の源だが、ブリュインそのものを呪物に仕立て、そこからエネルギーを吸い出しているのだろう。ブリュインに執拗に人肉を食べさせようとしていたのもそのためだ。苦しめられた人間の魂はより強力な力を発する。日本に伝わるものであれば蠱毒や狗神の秘術が近い。これらは昆虫や動物を苦しめることで呪いの力を引き出すものだが、ヒュースケンはそれを人間で行ったわけだ。


 心臓からブリュインを引きずり出す。これができれば魔術は霧散すると思われる。アーシアは心の中にメモをするが、心臓は空中に浮いており手の届く距離にはない。これの実行は難しいだろう。


 次に思考を巡らすのは術式の作用だ。ヒュースケンが行使した魔術を思い出す。

 まず四肢を失った人間を魔物化させ、次に岩壁を腕に変えて土方と自分たちを分断した。さらに岩の怪物を生み出して沖田を攻撃させている。変異、操作、創造。ひとつの魔術として考えるとあまりにも多様すぎる。魔術とはそんな風に便利使いできるものではない。ひとつの魔術に一つの作用、これが原則だ。


 ならば三つの魔術を連発したのか。それも現実的ではない。ちょっとしたまじない程度ならともかく、いずれも十全の儀式を経なければ実現できない大魔術に属するものだ。もしヒュースケンにそんな芸当ができるのなら、もっと直接的な魔術でこちらを害していたのではないかとも思う。火精クトゥグアの火の粉の一粒でも召喚すれば済む話だろう。


――ガキンッ


 硬質な金属音。沖田の刀が火花を散らしている。その切っ先は怪物の喉元に突き刺さり、表皮の砂利を飛ばしていた。紫色の体液が足を濡らす水面にぴちゃぴちゃと飛び散った。


(体液?)


 アーシアの脳裏に疑問が浮かぶ。怪物の傷口に目を凝らすと、砂利の剥がれた皮膚がうぞうぞと蠢いていた。何か細長い、小さな生き物が無数に集まっているように見える。


(そういえば……)


 今夜の出来事をもう一度始めから思い返す。ヒュースケンが行使した魔術は屋敷に来る前にもひとつあったのだ。環形人間ワームマン――イソメに四肢を与えたような異形。


 アーシアの頭の中で急速に思考がまとまり始める。

 ヒュースケンの魔術の本質はそれ・・なのではないか。

 無数の環形動物を操っているのだ。

 人を変異させ、岩をあたかも生き物のように動かす。食堂の床を崩壊させたのも、建材の隙間に入り込んだ環形動物によるものだろう。これならばすべての説明がつく。


 そして、対策も思いつく。

 環形動物を操る餌は、おそらく心臓から供給される瘴気だ。

 それならば。

 アーシアは金髪からかんざしを引き抜くと、自分の手のひらに突き立てた。


「ぐっ……」


 歯を食いしばって痛みを堪え、握りしめた手の中に血を溜める。そして十分に溜まった血を、怪物の背に向かって振り放った。


――蝟ー繧上○繧�!!


 怪物は雄叫びを上げ、一瞬硬直した。

 背中がぼこぼことうねり、沖田に向かう動きが鈍くなる。

 まるで前に進もうとする力と、後ろに戻ろうとする力が体内で綱引きしているかのようだった――


 ぶじゅっぶじゅっぶじゅっ


 否。「かのよう」ではない。まさにその綱引きが行われていたのだ。

 湿った音とともに怪物の背がひび割れ、無数のイソメが溢れてアーシアの血に群がる。ヒュースケンの魔術の本質、それはやはり環形動物の操作だったのだ。


 余談であるが、イソメやゴカイなどの環形動物の多くはデトリタス食者だ。海底に潜み、主に沈殿した生物の死骸を喰らって生きている。屍食祭儀書が司る眷属としてはまさしくお誂え向きと言えるだろう。


「うおおおおッ!!」


 その隙を見逃す沖田ではない。

 怪物の鈍った拳を跳躍して躱し、さらに腕を駆け上がって飛び降りざまに背中の割れ目に刀を突き立てる。胸まで突き抜けたそれをこじるように左右に振るい、怪物の体を上下に引きちぎる。


 アーシアは上下に分かれて地に落ちた怪物の体に向けてさらに血を振った。怪物の体内にいた環形動物が、その血に惹かれて撒き餌に集まる小魚のように群がった。怪物はみるみるその輪郭を失い、イソメとゴカイを混ぜ合わせた巨大な団子に変わっていた。


「ふふん、魔術の正体は見破りマシタ! もう通用しまセンヨ!」

「助かったけど……あんまり無茶はしてほしくないなあ」


 胸を張るアーシアの前に沖田が立つ。

 二人の視線の先にはスペンサー銃を構えるヒュースケンの姿があった。


「……屍食祭儀書の支配を破るほど。……それほどの美味ですか、聖女の血とは」


 しかし、ヒュースケンに追い詰められた様子はない。

 不敵な笑みを浮かべたまま、感情の読み取れない半眼で沖田たちを見下ろしていた。

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