第55話 スペンサー銃
沖田の体が水しぶきを上げ、弾丸さながらに走った。
通りみちにいる白い異形が水もたまらず次々と両断される。
沖田が跳ねる。心臓は四五間ほどの高さにあり、さしもの沖田でも一足では届かない。
ならば。
蜘蛛の巣の如く張り巡らされた血管を蹴り、一気に駆け上がる。
――
鋭い破裂音が響いた。
直前、沖田は咄嗟に身を翻していた。
甲高い風切音が頬をかすめ、水面が弾ける。
「鉄砲か!?」
とんぼを切って着地する。
どこに隠し持っていたのか。見上げると、ヒュースケンが長銃を肩に当てて構えていた。銃口からは白い煙が細くたなびいている。
「だが、一発撃てばそれきりだッ!!」
――
再び駆けようとした沖田の足元で水面が弾けた。
ヒュースケンの手元でかしゃりと金具が操作される。
悪寒。
後ろに飛び退くと、それを追って続けざまに水面が弾けた。
「……ふぅむ、当たりませんね。……しかし、
ヒュースケンの手が、引き金の下にある金具を前後にかちゃりと動かした。
濁った瞳が照星越しに沖田に向けられる。
「連発銃ってやつか!」
沖田の脳裏に慶喜の言葉が蘇った。
諸外国では単発式のゲベール銃はすでに時代遅れであり、最新式の連発銃が広まり始めていると。
「……御名答。……沖田さんは思いのほか博識なようだ」
スペンサー銃――ヒュースケンが手にしているのはそういう名の銃だった。
1860年、クリストファー・スペンサーによりアメリカで発明された最新兵器だ。後装式、金属薬莢のレバーアクション式で七連発が可能であり、装填も早い。ゲベール銃が一分間に2〜3発撃つのが限界であるのに対し、スペンサー銃は20射を可能にした。アメリカ北軍に勝利をもたらした立役者のひとつである。
無論、沖田はそこまでは知らない。
しかし、「連発可能な銃」の脅威は本能的に理解していた。揺れる銃口を見つめながら慎重に距離を取る。幸い、ヒュースケンの射手としての腕前は三流以下のようだ。よほど近づかない限り命中する気はしない。
しかし、それは同時に沖田にも打つ手がないということでもある。
沖田の武器は刀だ。近づかなければ斬れない。しかし、近づけば撃たれる。小柄程度では大した隙を作れないのは先ほどの奇襲でわかっている。
これまで四発撃った。残り何発撃てるのだろうか。そう多くはないはずだ。残弾が豊富であればもっと乱射をしているだろう。
しかし、確証がなければ踏み込めない。こんなことなら連発銃についてもっと詳しく聞いておくべきだったと後悔がよぎる。
「……私も銃の練習くらいはしておくべきでしたでしょうか。……はあ、この世はまったく余計なものばかりだ」
ヒュースケンは右手で銃を保持しつつ、心臓に左手を置いた。心臓が再び大きく脈打ち、血管が蠕動する。それに呼応するように、沖田の背後の巨腕が震える。岩の皮膚が波打ち、内側から押し出されるように隆起する。
皮膚の下でもがきながら、人の形をした何かが一歩、二歩、三歩と前に進む。進むたびにつながった皮膚が少しずつ引きちぎれ、やがて完全に分離し、身の丈十尺(約三メートル)はあろうかという表皮が砂利で覆われた人間型の何かが生まれた。
――閧峨r�∬i繧貞眠繧上○繧�!!
名状しがたい奇声と共に砂利の怪物が突進する。
「また新手かっ!」
沖田は怪物に向けて斜め前に踏み込み、すれ違いざまに脇の下に刃を滑らせる。狙ったのは
鮮血の代わりに、飛び散ったのは火花だった。
加州清光が捉えた手応えは生き物のそれではなく、甲冑のそれ。砂利で覆われた怪物の皮膚は文字通り刃が立たない硬度を持っていた。
――蝟ー繧上○繧�!!
怪物が振り返りざまに拳を振るう。
先ほどの一合で間合いは見切った。最小限の動きでそれを躱し、反撃に転じる――
「ぐっ!?」
――つもりだった。
左肩に衝撃を受け、体ごと吹き飛ばされる。なんとか受け身を取って立ち上がるが、何が起きたかわからない。右拳の一撃は確かに見切った。しかし、そのあとに遅れて衝撃が襲ってきたのだ。
頭からかぶった冷たい水を振り払い、怪物の姿を凝視する。
怪物の形が変わっていた。
右肩の背後からもう一本、右腕が生えていた。それだけではない。怪物がぶるりと体を震わせると、反対の肩からも腕が生える。腹部の皮膚を突き破り、芋虫の腹足を思わせる短く細い腕が無数に飛び出す。
胸が斜めに引き裂け、亀裂から白い歯が覗く。赤く濡れた口腔には大小の目玉が数え切れないほどびっしりと埋まり、ぎょろぎょろてんでバラバラの方向を向いた。
「白
「……さて、どうでしょう。……手品の種は最後まで明かさないものですよ」
――
銃口が火を吹き、沖田の腿に赤い線を引いて水面を弾けさせた。
それと同時に、多腕の怪物が沖田へと突進する。
「退屈な手妻は早々に切り上げてほしいけどね!」
沖田もまた、加州清光を構えて怪物に向けて駆け出した。
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