第51話 証拠
関内に続く関所は騒然とした空気に包まれていた。
正体不明の狼藉者が門を乗り越えて関内に侵入したというのだ。
しゃがみ込んで震えている男を、数人の役人が困惑した様子で囲んでいた。
「に、人間じゃない……あれは人間じゃなかった……。本当なんだ。信じてくれ……」
震えていたのは夜番を務めていた門番だ。うわ言のようにそんなことを呟いている。
沖田たちはもはや感覚が麻痺しているが、異形の魔物を目撃すればこんな反応をするのが普通である。
「会津藩預かり、新選組副長の土方だ。ちょいと失礼するぜ」
土方が役人の隙間を割って門番の前に立つ。
「慌てんな。あれは異人だ」
「は? 異人? そんなわけが……」
土方の乱暴な嘘に、沖田はさすがにそれは通らないだろとぎょっとする。異人を間近に見たことがない相手ならともかく、横浜出島の門番なのだ。異人の姿など見慣れているはずだ。
しかし、土方はいけしゃあしゃあと言葉を継ぐ。
「メリケンや蘭人、それに黒ん坊を見て異人の全部だと思ってんのか? 万国総図くれぇ見たことあるだろ。あれには小人や巨人もいる。そんなやつらはまだ日本にゃ来てねえが、異国にゃ確かに存在するんだ。そういう連中の一種ってこった」
「はあ、言われてみれば……」
万国総図とは、江戸時代の初期、寛文十一年(1671年)に京の林次左衛門が著した世界地図で、幕末に至る今までも翻案が続けられているベストセラーだ。武士だけでなく、町人にも広く知られている。
万国総図には世界各地に住む民族についても挿絵付きで書かれているのだが、土方の言う通り小人や巨人といった空想上の存在も描かれている。しかし、当時の人々には事実として信じられていたのである。
「そうだ。まさか妖怪変化でも出たっていうんじゃねえだろうな? 気が違ったと思われたらお役御免になるかもしれんぞ」
「あっ、いや、決してその……」
実際、正体は魔物であるのだが、そんなことをいま説明しても混乱に拍車をかけるだけだ。事によってはこちらの正気が疑われてしまう。怪人の正体は変わった風貌の異人である。そういうことにして丸め込む。
「し、して、皆様方はどんな御用でこちらに」
「おう、まさにその異人を追っていてな。異人が日本人を拐かし、異国に売っ払ってるって話なんだ。ここらでも神隠しやら行方知れずやら増えてるんじゃねえのかい?」
「はい、確かに奉行所にはそんな訴えが続いているとか」
「うむ、俺も聞いている」
土方が重々しく頷くが、かまをかけただけである。
ヒュースケン一味が人肉の味を忘れられないのであれば、誘拐は頻繁に行われていると推測できる。市中の人間がいくらかいなくなったところで役人は重い腰を上げないが、人身売買となれば話は別である。太閤豊臣秀吉が禁止して以来、幕府もその政策を引き継いで重罪として扱われているのだ。
「下手人を逃がすわけにはいかん。関所の固めには手勢を貸すから、お主は奉行所に応援を頼んでくれるか」
「しょ、承知した!」
門番は奉行所へと駆けていく。
土方は隊士に命じ、関所と川堀に人員を配置して沖田とアーシアを引き連れて関内へと足を踏み入れた。
「よくもまああんなペラペラと嘘が出ますね」
「なあに、口八丁も兵法のうちさ」
アメリカへの武器密輸疑惑はまだ公にできるものではない。
それに言及するならば、幕閣を動かし幕府からの正式な調査要請としなければならなかっただろう。そうなれば国と国との問題になり、現状の力関係ではもみ消されてしまう可能性も高い。そのため、慶喜も密書という形で新選組に探索を託したのだ。
現行犯の追跡であればそうした厄介な手続きを省略できる。
蛸髭の情報からヒントを得た囮の策は、いまのところ絵図通りに進んでいた。
しかし、
「ソージ様、ヒジカタ様、血痕が見つかりマセン……」
地面をつぶさに調べていたアーシアが洩らす。
追跡の手がかり、そしてヒュースケンの関与を示す重大な証拠となる血痕が途切れていたのだ。
「かまやしねえよ。どうせ行き先は領事館だろ」
「でも証拠がないと言い逃れをされてしまいマス……」
「気にすんな。いいからついてきな」
土方はいつの間にか持っていた風呂敷包を持ち上げてにやりと笑ってみせる。
悪戯を仕掛けるときにする悪い顔をしている。
もはや血痕を探る素振りすらせず、一直線に領事館へと向かう。
レンガ造りの館は夜闇にうっそりと佇んでいた。
灯火も漏れず、物音ひとつ聞こえない。
関所の騒動も遠く、辺りは静寂に包まれていた。
「いかにも何にもありませんよって感じで気に入らないですね」
「頬かむりした盗人みてえなもんだがな。こいつらが関わってんのはわかりきってんだ」
土方はぺっと地面に唾を吐く。
「しかし、これでは証拠がありマセン……」
「証拠ならそこにあるぜ」
嘆くアーシアを尻目に、土方は風呂敷の中身を取り出して領事館の門扉に投げつけた。
どちゃりと湿った音がして紫の血痕がへばりつき、地面に細長いものが転がり、ぴくぴくと痙攣する。
「あっ、それハ……!」
土方が放ったのは怪人の腕だった。
先ほどの戦いの際に斬り飛ばしたものを拾っていたのだろう。
土方はずかずかと玄関前に進んで大声を張り上げた。
「新選組副長、土方歳三である! 凶賊がこの館に逃げ込んだ可能性がある! 安全のためにご避難願いたい!」
ドアノッカーも使わず、拳で門扉をがんがんとしつこく叩く。
ややあって、屋敷の中で人が動く気配が聞こえてきた。
「まったく、トシさんは悪いことを考えるなあ」
「こんなの思いつきもしなかったデス……」
「何を言ってんのかわかんねえな。俺は手傷を負わせた賊を追っかけてたら、たまたまここでちぎれた腕を見つけただけだぜ?」
白々しくとぼけてみせる土方に沖田が呆れていると、門扉が音もなく開いて隙間から蝋燭の灯が細く、長く伸びた。
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