こんとんー鏡堂達哉怪異事件簿その七

六散人

【01】事件の始まり

「不思議ねえ。

ここを境界にして、向こう側は鬱蒼としてるのに、こちら側は地面がむき出しになってるのね」

〇山市会議員高島咲恵たかしまさきえはそう言って、手にしたタオル地のハンカチで噴き出る汗を拭った。

太り気味の彼女は、残暑の厳しい日差しに、既に汗だくになっていたのだ。


「それが高島先生、不思議なんですよ。

昨日まではここら一帯、全部更地で雑草が少し生えてるくらいだったらしいんですがね。

今朝来てみたら、こんな状態になってたみたいなんですよ」


彼女を案内してきた〇山市の職員は、人の腰の丈ほどまで伸びた一面の雑草を指さして言った。

所々灌木のようなものまで生えているので、とても一晩で育ったとは思えない状態だったのだ。


「まあ、一晩でこれだけ育ったの?

ミステリーね。

やっぱり古代の人たちも、ここにカジノなんか建てるのは反対なんじゃないの。

抗議の意味で、これだけ一斉に育ったんじゃないかな」


その日高島は、先日〇〇県議会で承認された、<靜〇川南岸地域リゾート開発計画>に関連して、現地視察にやって来たのだ。

いま彼女が立っている場所には、靜〇川北岸の弥生遺跡に連なる、新たな遺跡があるのではないかと目されている。

そこにカジノを誘致することには、〇山市民の一部に根強い反発があった。


彼女は現在、先日政界からの引退を表明した朝田正義衆院議員の、補欠選挙への立候補を画策している。

朝田は昨年発生した原因不明の事故で、全身に火傷を負い、長期間救命治療を受けていた。

そして最近になって漸く復帰を断念し、引退を決意したのだ。

政権与党の重鎮として、長年〇〇県の政界を牛耳っていた、彼の引退の影響は大きかった。


朝田自身は息子で県会議員の朝田正道に地盤を譲るつもりのようだが、正道が社長を務める朝田建設絡みの裏献金問題が、昨年来検察の捜査対象となっており、正道がすんなり当選出来るかどうかは微妙な状況であった。


そんな中、高島が所属する野党は〇山市会議員として知名度の高い彼女を、対立候補として擁立する方向で動いていた。

その日の視察も、カジノ誘致反対派の住民を取り込むための、政治パーフォーマンスの一環と言えた。


――古代の人々もカジノに反対か。結構いけるかもね。

高島の中の、計算高い政治家の一面が、その考えに透けて見える。


視察を終えた高島咲恵は、市役所職員と別れて、少し離れた場所に停めた、自分の車に向かった。

野党の市会議員レベルでは、運転手付きの車などとてもかなわない夢で、自分で自家用車を乗り回すしかないのだ。


これが国会議員になれば、公設秘書を雇って運転を任せることが出来る。

そんなことを想像しながら、高島は暑さの中をノロノロと車に向かっていた。


彼女が車を停めたのは、工事現場のプレハブ小屋が立っている場所で、工事が休みらしく、辺りは無人だった。

高島の車の周囲には、石膏ボードなどの建築資材が積み上げられている。


彼女が車に乗り込もうとしたその時、周囲から強烈な異臭が漂ってきた。

続いて呼吸困難を起こした高島は、その場に倒れ伏して絶命した。


***

〇〇県警捜査一課の鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこは、その日県警本部でデスクワークの最中だった。

昨年来立て続けに発生している原因不明の事件は、今も引き続き捜査対象となっているのだが、未だに解決の目途が立っていなかった。


しかしそれは表向きで、いずれの事件にも関わった鏡堂と天宮は、すべての事件の真相を知っており、刑事部長の高階邦正たかしなくにまさに報告を行っていた。

それは事件の真相が、世間の一般常識に照らすと余りにも荒唐無稽過ぎるため、犯人を起訴することも公表することも出来ないと考えたためだった。


そして事件の一部は事故として処理され、残りは継続捜査中ということになっている。

実際は高階と、もう一人事件の真相を知る呉羽宗一郎くれはそういちろう県警本部長の間で落としどころを探っているのが実情だろうと、鏡堂は想像していた。


その時鏡堂の上司熊本達夫くまもとたつおから短い指令が飛んだ。

「熊本班、出動だ。死亡事案。

現場は靜〇川南岸リゾート予定地」

それを聞いた刑事たちが、一斉に席を立つ。

鏡堂も天宮を促し、皆に続いた。


鑑識課員を含む捜査員たちは、現場に到着した途端、辺りに漂う異臭に顔をしかめることになった。

それは卵の腐ったような臭いだった。

「鏡堂さん、これもしかしたら」

「ああ、国定先生が言っていた、硫化水素かも知れんな」


国定淳之介くにさだじゅんのすけは〇〇大学法医学教室教授で、〇山市内で発生する事件の司法解剖を数多く担当している。

<窮奇>事件の犯人、渡会恒わたらいひさしの司法解剖を担当したのも国定だった。


渡会の死因は硫化水素の急性中毒と特定されたが、硫化水素が独特の異臭を持っていることを、鏡堂たちは彼から聞いていたのだ。

そしてそのことが、今回の事件が、まだ未解決の渡会の事件と関連することを示唆しているようで、鏡堂たちの緊張感をより一層高めるのだった。


「周辺のガス測定するから、皆下がってて」

鑑識課の小林誠司こばやしせいじが捜査員たちに声を掛け、測定器を手にして現場に進んで行った。

そして機械の測定値を呼んだ後、振り返る。


「この付近は大丈夫そうだから。

ちょっと臭いけど、すぐに慣れると思う。

ただし臭いが強くなったら、その場所には近づかないでね」


小林の言葉に、捜査員たちは一斉に動き出した。

遺体の検案はまず鑑識が担当するため、鏡堂たちは周辺の捜査に当たることにした。

現場には目撃者はいなかったが、事件を通報した〇山市役所の職員が足止めされていた。


その寺田という男性は、被害者の高島咲恵たかしまさきえと連れ立って、リゾート開発予定地の視察に来ていたらしい。

そして一足先に視察現場を離れた高島が、この現場で倒れているのを発見し、119番通報したようだ。


その際彼も現場の臭いに当たって気分が悪くなったらしく、ついさっきまで救急隊員による治療を受けていたそうだ。

寺田からの事情聴取は他の刑事に任せ、鏡堂と天宮は周辺の捜査に当たることにした。


現場はリゾート開発工事のための資材置き場になっているらしく、プレハブ小屋周辺には、様々な建築資材が置かれている。

そしてその資材には、工事を受注した日埜建設のロゴが入った、防水シートが掛けられていた。


それらの資材を一つ一つ点検しているうちに、鏡堂たちはある一角の資材が崩れているのを発見した。

それは白色の石膏ボードが積まれた場所で、そこだけ防水シートが掛けられておらず、変色してボロボロになったボードが崩れて、重なり落ちていたのだ。


他の場所に積まれたボードには異常がなかったので、その一角だけが何かの原因で崩れてしまったらしい。

その場所に近づくと、他よりも少し強い異臭が漂っていた。


「ここだけ雨に当たって崩れたんでしょうか」

天宮が呟くと、鏡堂はその言葉に首を傾げる。

「石膏ボードというのは壁に使われる防火資材だから、雨に当たったくらいで、ここまでなるかな?」


「これは酷いわね」

その時鑑識課員の国松由紀子くにまつゆきこが、いつの間にか二人に近づいて来て言った。


「国松さん、雨でこんな風になるもんかね?」

「よっぽど長い間雨曝しだったら別だけど、短期間じゃこうはならないでしょうね。

ボードが欠陥品だったか、薬品でもかけられたか。

とにかくサンプル取っとくわ」


そう言って崩れたボードに近づいた国松は、手際よく崩れたボードの一部を、手持ちの容器に採取する。

何か所かからサンプルを取った国松は、鏡堂たちを振り返った。


「多分この周辺の臭いは硫化水素ね。

そしてガイシャは、特徴的な死斑からして、硫化水素中毒だと思う。

もちろん詳しい検死結果待ちだけどね」


「それはつまり」

渡会恒わたらいひさしと同じということね。

余り嬉しくないけど、そんな予感がするわ」


「さっき国松さんは、薬品で石膏ボードが崩れたと仰いましたが、そういうことって実際にあるんでしょうか?」

天宮の質問に、国松は少し困惑した表情を浮かべた。

「私も専門じゃないから、はっきりしたことは分からないなあ。

小林さん、どう思う?」

国松は、丁度近づいて来た小林誠司に話を振る。


「俺も専門じゃないからなあ。

石膏って硫酸カルシウムだろ?


化学反応で硫化水素が発生するというのは、ちょっと違うような気がするなあ。

硫黄酸化物だったら分かるが。


まあ大学の専門家にでも、訊いてみるのが早いんじゃないかな。

鏡さん、知り合いがいるんだろ?」


小林のその言葉に、鏡堂は思わず顔をしかめる。

咄嗟に緑川蘭花みどりかわらんかの顔が思い浮かんだからだ。

その心中を察した天宮は、俯いて笑いを嚙み殺すのだった。

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