ゆらめきの罪

とかげくん

第1話 恋の鎖、解放




 この心を

 貴方の言葉で縛られるたびに

 この肉体の

 鎧が剥がされる

 自分を偽る術を徐々に知っていくたびに

 心の一点の純粋が強く輝きを増すことに

 怯えた

 私は、ただ一つを求めていた

 貴方を



 眠りの浅い夜更けに身体を起こし

 携帯電話のメッセージを素早く確認する

 今夜のメールがなくても

 昨日の文章を読みかえすだけでいい

 私は毎日のように夢を見る

 それを、ひたすらメモ書きする

 最近は、貴方が必ず現れて

 私を自分の方へと引き寄せ

 耳元でさまざまに囁く

 いつの間にか現実が歪んで

 記憶に残る感覚との境目はない

 綴られていく言葉は

 貴方の声の一部でもあるし

 その場に漂う刹那だったりもする

貴方は常に疑問系で私に問う

 その時、私だけ裸体で

 貴方から一方的に辱められる

 ぼんやりとした頭を振り切るように

 顔を覆う

 私は一人、夢を反芻して

 熱にうなされた病人が

 うめき声を止められないように

 ただひたすら

 夢日記を書き続ける



 出逢うはずのなかった二人

 街中の定食屋は昼食時を過ぎて

 私と年配の夫婦だけだった

 貴方と私を

 引き合わせたその店では

 私はいつも食事に夢中になっている

 そして

 毎度のことながら

 美味にしたつづみをうつ瞬間

 ふと顔を上げると

 前の席に着いた貴方の視線にぶつかった

 初対面なのに

 どこか懐かしい面影の瞳が

 とても綺麗だった

 そして貴方は

 定食を注文して私に会釈した

 私は、ゆっくり貴方から視線を外して

 思わずうつむいて箸を置いた

 もう食べられない

 

 私は、知らぬ顔でテレビを見るふりをして

 そうっと貴方を盗み見した

 貴方は

 美味しそうに刺身を

 ゆっくり味わっていた

 しばらく私はテレビを見たり

 水の入ったコップと携帯電話を

 交互に見つめた

 貴方の存在へと神経を研ぎ澄ませる

 胸の奥が軋む

 その音が今にも店中に響いていく気がして

 体温が上がり、身体全体に熱が込み上げる

 水分を補給しても全く足りない

 店内は相変わらず

 キッチンから香ってくる食べ物の匂いと

 テレビの音がよく響いている

 出来る限り

 貴方と視線を合わせないように

 心から配慮する

 決して気付かれないように

 貴方の背後に飾られた

 この店に相応しくないと思える

 ジャズコンサートのポスターを

 遠目で確認している振りを続けた

 しかし

 目線をテーブルに戻して

 携帯電話を鞄にしまい

 私は席を立ってコートを手に取った

 その時

 食事を済ませていた貴方は

 顔を上げて私に声をかけてきた

 その言葉は、私を救った

「食べづらくしてすみません。

 ここの定食は優勝ですね」



 私たちは一緒に店を後にした

 駅まで肩を隣り合わせで歩いている途中

 貴方はたくさん私に語りかけてくれた

 私は貴方の話に少しずつ頷き

 他の美味しい店を教えたくて

 携帯電話を取り出した

 検索した店を貴方に見せると

 貴方も自分の携帯電話を見ながら

 それをメモしていく

 商店を抜けて大通りに出る手前の信号は

 黄色から赤になった

 貴方は私に問うた。

 「彼氏、いますか?」

 私は信号の光に自分の心を重ねた

 戸惑いを隠して頭を小さく横に振った

貴方は少し押し黙った

 夕闇が迫る手前の明るさの中で

 私は目を逸せようとした。

 貴方はすかさず言葉にした。

「そうなんだ。

 ひとりで食事してもつまらないでしょう?

 もしよかったらお誘いしても大丈夫かな?」

貴方の視線が私をはっきり捉えている

 「連絡先、交換できますか?」

と貴方は私に尋ねた。



 初めてのメールが届いたのは

 月の美しい深夜前だった

 「こんばんは。起きていますか?」

何気ない文面に

 心が一気にときめくのを感じた

 貴方のレスポンスは早い

 私は出来る限り頭の中をフル回転させた

 そして会話の中で

 貴方も文章を書いていることを知った

 お互いのやりとりの中で

 貴方のメールには微妙に

 ためらいがあることを私は感じていた

 それでも

 「ご迷惑でなければ、ご馳走させて下さい」

と丁寧な文章を私に届けてくれた

 


 私たちは週末の土曜日の午後に

 二人で食事に出かけた

 これまで読んだ本の話

 一番感動した料理店の雰囲気

 いま書いているお互いの小説の話

 会話は途切れない

 貴方の落ち着いた丁寧な声を

 私は何度も頷きながら聴いた

 話の合間に質問を挟んだり

 納得して笑い合った

 私が話し始めると貴方は

 真剣な表情で私を見つめた


 しばらくして

 貴方が海岸に誘ってくれた

 二人で歩く冬の浜辺は

 特別な砂が敷かれたように

 ゆるやかな太陽の陽射しを受けていた


 それ以来

 メールのやり取りは続いて

 会う頻度も多くなった

 私は貴方に会えることが

 とてつもない楽しみになっていることに

 罪の意識を覚えた

 どうしようもない想いのかけらたち

 それでも

 貴方の声を聴くと

 胸の奥がじんわり温まる

 これまで味わったことのない

 不思議な愛おしさを

 自分自身に感じていた


 午後のカフェで

 珈琲片手に私たちは語り合った

 何処にいても

 会話は尽きない


 二人で初めて会った店を訪ねて

 同じテーブルを囲んで

 昼定食を一緒に食べた


 二人の時間が積み上がる

 それでも

 貴方は私の手すら握らなかった



 夕焼けから

 夜の世界の間際に

 肩を並べた

 ブラジル料理店の帰り道で

 貴方は私への想いを口にした

 嬉しい感情と戸惑いが

 私の心を覆って

 決して伝えないと鎖をした

 貴方への気持ちを少しだけ引き出した

 二人の距離は近づきかけた

 私は自分を見失うほどに

 全てを捨てる覚悟さえ生まれた

 それなのに

 とても些細なことで

 私たちは喧嘩をした

 

 私の葛藤が貴方の心に葛藤を生んだ

 これまで穏やかだった水面に

 強い波紋が飛沫を跳ね上げて波立つ

 その亀裂はお互いの心を痛めた

 私に出来ることはなかった

 貴方が語る言葉を否定せずに受け入れた

 ときめきは時に錯覚を生み出す

 お互いの相手への期待が

 すれ違いを一気に育て

 その誤差が別れの足音を鳴らす

 それは恋の終焉と同義だということを

 これまでの経験から察知していた


 

 私たちはメールで

 言葉を探し合った

 貴方は私をカフェに誘った

 その日は晴天で

 待ち合わせ場所で再会した私たちは

 どこか、ぎこちないままだった

 

 平日の店内は空いていた

 貴方は珈琲だけを頼んだ

 私はチーズケーキを一つと

 貴方と同じ珈琲を注文した

 席に着いて

 貴方は言った。

 「ここのケーキは美味しいけど、

 君の手作りが食べたかったな」

私はチーズケーキを見つめた。

 そして躊躇せずにそれを

 フォークで二つに分けた。

 「悲しみは半分ずつ。

  幸せは何倍にもなる」

貴方は、とても静かだった

 そして、私からフォークを受け取ると

 チーズケーキを一口で食べた。

 あなたが食べた後、

 私もゆっくりケーキを口にする。

 沈黙の時間。

 貴方は私をじっと見つめた。

 「君の書いた小説を読みたい」

 貴方の瞳は出逢った日よりも

 私を深く射抜く光を宿している

その言葉に頷くことで、私は返事をした。

 私たちは微笑み合った

 しばらく

 私は黙々とチーズケーキを食べた

 マグカップに手をかける頃には

 貴方が会話を作りはじめた

 その言葉の一つ一つが

 向き合うその存在を際立たせていく

 そのことが、なぜか

 恋とは違う関係性を拒絶した

 私は近づく別れを感じていた



さよならの時

 私の言葉は風に流れた

 お互いの手元に残ったものは

 貴方のPCのブラックホールに埋まる

 私が発した言葉の数々と

 素っ気ない茶封筒の中に収められた

 貴方の言葉が並ぶ手紙

 唯一無二のふたりの言葉たち

 その言霊は絡み合っている

 それは存在しない宇宙に踊りだす


 私は貴方と出逢ったときに

 一遍の詩を書いて

 心に閉じ込めて青いリボンをかけた

 貴方に読んでもらうか考えて、

 届けることをやめた詩。

 随分迷っているあいだに

 リボンは鎖に変化していた

 

 

貴方の汗も涙も体液も

すべて飲み干したい

その心に抱きしめられたい

キスしたい

何度も脳裏に思い浮かべて快楽を貪り

想像の産物の夜を開く

その後には

貴方の心に近づきたい

貴方を遠くから見つめたい

相反する感情に強く支配される

でも…私は…

貴方に伝えられない

平凡な日常を所持している

これまで言葉の山に埋もれてきた

何度も幸せのかけら集めを繰り返した

今は、たった四文字を

いつか貴方に伝えられるように

私は小説を書いている




 貴方と離れてから

 時間だけが確かに通り過ぎた

 いまこの時

 贈り物にさえならなかった恋詩の鎖は

 結び目がゆっくり解かれた

 それは世界のなかへと流れはじめる

 

 いつか

 満天の星空が

 私たちを迎えにくる

 宇宙が許すなら

 その時に世界の狭間で

 新品のふたりの言葉を作ろう




 

 

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ゆらめきの罪 とかげくん @fool727

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