第132話


〜・〜



向かい合うように置かれたソファにそれぞれ腰掛ける。


泣き止まない私に、幸架はココアを入れてくれた。

その優しさに、やっぱり涙が止まらなかった。





「………どうして、泣くんですか?」


「(………っ、…っ…)」





困ったように、幸架は微笑む。

1番苦しいのは幸架だろうに。






会話中、違和感があった。

それが何かを考えて見ると、声が出ない私の方を…唇の動きを見ていないのに、幸架は私と会話をしていたことに気づいた。





だから、パクパクと適当に口を動かして、会話は心の中で返してみた。


やっぱり、幸架は私の口の動き何て見ていなかった。

ずっと動揺したように視線を彷徨さまよわせていたから。





筆談もしていないのに、どうして会話が成立しているんだろう。

幸架は私の方を見ていないのに。


どうして?







答えは、1つしかなかった。







「………隠して…はいたんですけど、怒られたり嫌がられるとは思ってたんですけど、

……泣かせてしまうとは思いませんでした」


「(…っ、だ、って…っ、)」




そしてもう1つ、気づいた。




「(幸架っ、…お前、っ、嘘つき…っ、)」


「えっ…」


「(なんで、……なん、でっ、…)」


「………」





言葉にならない。


そんな思いは全部涙に変わってこぼれていく。





そんな私を見て、幸架はやっぱり、困ったように笑う。






どうして、そんなに優しいのか。

どうしてそんなに苦しんで、

どうしてそんなに自分を否定するのか。




今になればわかることがたくさんあった。





彼はいつも、湊や私からの指示がなければ動かなかった。


自分で何か発言したり、助言したりすることもほとんどなく、淡々とやるべきことをこなしていた。




でも一度だけ、幸架が自らことを進めた瞬間があった。



それは、あの湊でさえ気づかなかったもの。

そして、幸架が気付けるわけのないはずのもの。





ゼロからの、湊へ宛てた手紙の場所だ。





あれは桜柄のあの箱を分解しなければ見つけることができなかった。


微かな歪みは確かにあったが、本当によくよく見ても気づかないような、それほどに微かな歪みだった。




そんな微々たる歪みに気づいた幸架は、

一度もあの箱に触れていないはずだった。



目にしたのも遠目で、近くで見ていたわけでもない。




それなのに、箱の歪みに気づき、木田に箱を貸して欲しいと頼んだ。





箱を解体したいと言った、あの一度しか、

幸架は箱に触れていなかったのだ。






つまり、これは。


幸架の知能が並外れていいということ。




それを隠したがっていた理由はわからない。

でもたぶん、ゼロは確実に知っていた。


知っていて、気づかないふりをしていた。

だからこそ、箱の仕掛けはあんな風に微々たる歪みにしたのだ。




そんなことをした理由はたぶん、

幸架のことを誰かに気づいて欲しかったから。



ゼロには湊がいたから。



だから、幸架に手を貸すことはあっても、

誰よりも味方になってあげるということはするつもりがなかったのだろう。


だからこそ、誰にでも気づくきっかけになるやうに、箱にあんな仕掛けをした。




湊にだけ渡したかったのなら、ゼロは確実に湊だけにわかる場所に手紙を残したはずなのだ。





今更気づくなんて…。



あれからどれほどの時が過ぎた?

どれほど幸架を追い詰めた?










「(ごめん…っ。

謝られても、困るだけ、だな)」


「あ、いや…」


「(でも、ひとつだけ謝らせてくれ。

………一人で悩ませて、ごめん)」


「え…」






どれほど苦しかっただろう。


あんなに平然とした表情をしていても、人の心がわかる湊は苦しそうだった。


人を殺す仕事をするからこそ、

人を騙す仕事をするからこそ、

人の欲望がぶつかり合う裏社会だからこそ、



苦しそうだった。








それを、幸架はずっと一人で、誰にも打ち明けずに隠し続けて。


サインはくれていたのに。

痛そうに、苦しそうに笑っていたのに。




「(今、ちゃんとわかった。

だから、もしまだっ、私が気付けてないことあんなら、教えてっ、くれないか?)」


「……なん、で…」


「(なんでって、…むしろなんでだよ)」


「…………ダメですよ。ダメです、璃久さん」


「(何、が?)」


「私のことなんて、…受け入れちゃダメですよ。そんなあっさり受け止めちゃ、ダメです」


「(あっさりなんて、してねーよ。

ぜんっぜんあっさりできないから、こんな醜態しゅうたいさらしてんじゃねーか」


「私のためを思うなら、私を拒絶してください」


「(は…?なんだ、それ)」






幸架はやっぱり、笑っていた。


いつもの悲しい、笑顔だった。






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