第61話




「……っ、…」






ウソ、だろ。

誰か嘘と言ってくれ。


これは、悪い夢なのだと。






絶望感に飲み込まれそうになりながら、顔を上げた。








「おい、どうした?こんなところで。

……って、おい!なんでこんな怪我…っ」



「……………」







必死の形相ぎょうそうで近寄ってくると、止血しようと手を伸ばしてくる。


華奢で細くて、白い腕。





もう、耐えられそうに、ない。








伸ばされた手を掴んだ。


それと同時に、必死に保ってきた理性を、

手放した。













「……………………璃久、…」























「は?お前、何言って…」



掴んだ手を強く握った。

それと同時に"リク"が痛みに顔を歪める。





「おい!幸架っ、何して、」


「なんでここに、いるんですか」


「は?なんでって、用事が、」


「あれだけ逃げろってメッセージ残したのに、俺の目の前にのこのこ現れて…」


「おい…、さっきから何言ってるか全然わかんねぇよ」


「それとも何ですか?

自暴自棄にでもなりましたか?」


「おい!聞けよ!」








ギリギリとリクの手首を握る力を込めていく。


リクが、その痛みにどんどん顔を歪ませていくのも構わずに。







「……っ…。痛ぇんだよっ。

幸架!いい加減にしろ」


「あぁ、そっか…。そういうことですか

…"俺に喰われてもいい"って、ことですね」


「お、い……。本当にどうした…?

何言って、」






リクの手首を強引に引いた。

予測していなかったリクは、よろめいて俺に倒れ込んでくる。





「ちょっ、」






リクの襟元を無理やりやぶった

リクは慌ててはいるが、この状況がよくわかっていないらしいく、現状に何の対応もできていない。







でもそんなことは別にどうでもいい。


もう、手遅れだ。










「さち、…っ!い"っ!」












無遠慮に、容赦もなくそこを噛んだ。



否。

噛み切った。








リクの悲鳴が響く。

それと同時に通行人も次々に悲鳴をあげる。












リクの首元から唇を離し、血のついた自分の唇を手の甲で拭う。


リクは、信じられないものを見るように目を見張っている。




その首元は、大量の出血によって赤く染まっている。







「さ、ちか…。

お前、今、……喰ったのか…?」





ゆらりと立ち上がり、リクの首を掴む。


とっさのことで反応できなかったリクは、俺の手から逃げようと必死でもがく。




でも、俺にとってはそんなものは微力だ。


リクの首を掴んだままゆっくりとその腕を上に持ち上げる。






そしてついに、リクの足が地面から離れた。










「さっ、ちかっ!お前、正気に、戻れよっ」





とても苦しそうで、

とても痛そうで。





そして、今のリクの瞳には俺しか映っていない。








そのことが、心を満たしていく。











もっと触れたい。


もっと見てほしい。


他のものなど、何も知らなくていい。

関わらなくていい。










口元が緩んだのがわかる。


リクが、俺を見ておびえたように視線を彷徨さまよわせる。

それでも視線は俺から離さない。







「さち、か…っ」


「………腕、治ったんですか?」


「は…?」




俺を止めようと右手を伸ばしてくるリク。


その右手を、リクの首を掴んでいない方の手でそっと触れた。

一瞬ビクリとするものの、リクは拒絶してこない。






「……ハハッ」


「幸架…?」


「逃げないんですか?」


「逃げ、られんなら、とうに、

逃げてる、わっ!」


「いつもそうですよね。

何したって俺を止めようとするばかりで、あなたはいつも拒(こば)んではくれない」


「は…?」


「優しいんだか甘いんだか。

…ダメですよ。

そうやって優しすぎるから、こういう風に俺みたいなバケモノに執着されるんです」


「ゔ、あ゛あああぁぁっ!」






触れたリクの手首から手を滑らせ、上腕部を掴んだ。

そのまま手に力を込め、骨を折る。



華奢で細い腕を折ることなど容易たやすい。




それに。




俺から逃げようとして抵抗するなら、そんな腕はいらない。








リクの悲鳴が響く。


痛みに歪むリクの顔を見て、俺は嗤った。








今この瞬間だけは、リクの思考は俺が与える痛みだけに支配されている。


そのことが、なによりも心を満たしていく。








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