第23話



ずいぶん走った。

どこかの裏路地で立ち止まる。



ズルズルと壁にもたれて座り込んだ。

雨足は酷くなる一方だ。




雨を含んで服が重く、冷たくなっている。

体もキンキンに冷えきってしまった。



体に塗ってある色素代替色はこの程度では落ちない。

ウィッグも固定してあるから大丈夫だろう。



目を閉じると、コンクリートを叩きつける雨の音だけが聞こえる。


風が吹くたび、濡れた体はますます冷えていった。




心に鍵をかけなければ。

取り乱してはいけない。




全てを騙して、…。






この気持ちは、なんていうものなのだろうか。





温かで、柔らかくて、苦しい。


これを人はなんと呼ぶのだろう。






今は、こんなに寒い。

満たされない。


なんでこんなことをしているんだろうか。



そうだ。

別にこんなことを私がしなくてもいい。


もうやめてしまおうか。

そうだ、やめてしまおう。


死んでしまったところで、作戦に支障はないのだから。

なんて。





できるわけない、か。



苦笑が漏れる。

どうせ何もしないでいるのは退屈なのだ。


今だって、次にどうなるかも、自分がするべきこともわかっている。




ただ、その通りに動けばいい。




──嫌だ。




なんで生まれてきたのだろうか。

どうして私が生まれて来なければならなかったんだ。


別な人でよかったのに、どうして私なんだ。


私は普通になりたかった。


佐藤悠のように、普通に就職して、友人とランチを食べて、笑いあって、会社帰りに飲みにいって。



それだけでよかった。



それ以上は望まない。

望まなくなっていい。




そんな普通さえ、手に入らない。


温かい家庭も、父と母の温もりも知らない。

愛されることも愛することも知らない。




私にも、もう時間がないのだろう。

他の記憶媒体と同じだ。


どうせ破綻するなら、盛大に巻き込んでやる。





ゲホゲホと咳き込む。

頭が痛い。

胸が苦しい。


呼吸もうまくできないし、寒くて震えが止まらない。




苦しくて涙も止まらない。





──帰りたい


どこに?


──会いたい


誰に?


──満たされたい


何を?


──苦しい


何が?






わからない。

わからないけど、それがいい。


わからないというのが、当たり前なのだ。



この"わからない"という感覚が好きだ。

この"未知"が、きっと私の予想を超えてくれる。




気づかれてはいけない。

でも、気づいてほしい。


私がここに生きて存在していたことを、誰かに…。






ふぅ、と息をつく。






騙せ。






この感情も、自分も。



──ザッ




足音がする。

50人程度、か。


やっと来た。


待ってたよ。









すぅっと肺いっぱいに息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。








今度こそ、しっかりと扉を閉めて、鍵をかけよう。


私は記憶媒体No.000。

実験体No.0。




組織の最高傑作、そして欠陥品。







よし、大丈夫。









「……付いて来てもらおうか」






最近よく囲まれるなぁ。

そんなことしなくても、ちゃんと付いていくよ。



待っていたんだから。







「誰?」




うっすらと笑みを浮かべて尋ねる。

指揮官らしき男が目を細めた。

知ってるくせに、とその瞳が告げている。



「……お前に教えることは一つもない」


「酷いね。まるで私が悪者みたいな言い方じゃない?」


「……この騒動を起こしているのはお前だろう」


「そんなわけないでしょ。

AIなんて、そんなもの放流したら自滅だよ」


「お前にはAIなんて敵じゃないだろう」


「そうだね。瞬殺されちゃうと思うよ」


「ほざけ」




嫌悪感剥き出しの表情で銃口をこちらにむけられる。



「抵抗すれば撃つ」


「抵抗しないけど撃っていいよ」


「……連れて行け」




6人ほどが前に出てきて私の腕を強引に引っ張る。

無理やり立たせられ、引きずられるように担がれた。




「ねぇ」


「……なんだ。無駄口ならその口を縫ってやる」


「酷いなぁ…。せっかく教えてあげようと思ったのに」


「………言え」


「私を捉えても、使っても、未来は変わらないよ」


「……………」





にぃっと、口元を歪めた。




もう迷わない。





私は決めたのだ。






全て捨てて悪魔になるのだ、と。

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