第21話 The Past of Blood
〜彼らの過去I 1歳〜
※グロテスク注意
温かい。
ころころと転がる。
お腹から伸びた紐が体に巻きつく。
心地いい。
足で壁を蹴る。
ぽんぽん、と返事が返ってくる。
それが嬉しくて、何度も蹴る。
フフフッとこもった音がした。
それを聞くと、もっと嬉しくなった。
眠っていたら、突然光に晒された。
寒い。怖い。苦しい。頭が痛い。
泣き叫ぶ。
「いやぁぁぁぁ!!」
誰?何?
突然の大きな音にびっくりして、そちらを向いた。
何でこの人は目から水が出てるの?
「さっさと捨ててこい」
「いや!返してっ!いやぁぁぁぁ!!〜〜!覚えてて!あなたは、あなたの名前っ!〜〜!」
「うるさい女だ。今言ったって覚えてるわけないだろバーカァ!」
──パンッ
大きな音とともに、叫んでいた人がガクリと力なく倒れた。
音にビックリして泣き叫んだ。
怖い。
それが、母親の腹から出た私の、最初の記憶だった。
ずっと先の未来でハルカと呼ばれるようになる赤子の、最初の記憶。
たくさん自分のような見た目の人たちが、透明な入れ物の中で目を閉じている。
怖くて何度も泣いた。
その度に知らない人が来て、私を抱き上げて揺らす。
「はぁ、チッ、めんどくさ」
どういう意味かはわからないが、そんなことを言っている。
いつの間にか疲れて、目を閉じていた。
ふっと目を開けた時、自分が死んだのではないかと思ってビックリして泣いた。もう2度と目を覚まさないのではないかと思ったのだ。
「またか、チッ、めんどう」と言われながら抱き上げられ、揺らされる。
泣き止んで入れ物に戻されると、となりの子が目を閉じていた。
胸が上下している。
パッと目を開けると、その子は泣き出した。
そこで、私は眠るということを覚えた。2度と目が覚めないことではなく、目覚めることができるとを。
泣くと、大きな人が来るようだ。
この人たちの顔はいつも歪んでいた。
どうやら私たちが好きじゃないらしい。
でも、全然泣かない子がいると、その大きな人たちはこそこそと、気持ち悪い、嫌だ、なんて言っているのが見える。
ここは、周りと同じようにしていた方がいいに違いない。
私は目覚める度に泣いた。
お腹が空いたり、お尻が蒸れたりする時も泣いた。
周りがそうしていたからだ。
大きな人たちがこそこそ話しているのを聞いて、言葉もだいたいわかるようになった。
どうやら、この大きな人は"大人"というらしい。
私たちは、"赤ちゃん"と呼ばれている。
チッとか、気持ち悪いとか、嫌だとかは、その人が私たちを好きじゃないと思っている言葉。
可愛い、いい子ね、というときは好かれている時。
いい子過ぎても出来な過ぎても嫌われる。
それがわかれば簡単だった。周りと同じ行動をすればいい。
怪しまれれば、出来すぎたか出来なすぎなかったということだ。
出来すぎたならわざと失敗すればいい。
失敗し過ぎればほんの少し成功させればいい。
大人は簡単に騙せた。
だって、"不完全"でいれば疑われないのだから。
それが、私の生まれてから一歳を迎える前の生活だった。
生まれて1年経った。
あの日、透明なケースにいた子たちが全員広い部屋に集められた。
5人の白い服を着た大人が、子供一人一人の腕に筒状に鋭い棘が付いたもので赤い液体抜き取っている。
子供は怖がり、泣いたり暴れたりしている。
私もそうしよう。
赤い液体を抜き終わった子たちは、そのまま別の椅子に座っている。
何か紙に書いてあるものを見せられ、すぐに隠される。
そのあと大人が何か話し、別の紙を見せていた。
右と左に別々の絵が描かれていて、椅子に座った子はどちらかを指差す。
頭を撫でられた子はそのままここに残され、撫でられていない子は部屋から出て行っているようだ。
どっちがいいのだろう?
ちゃんと今の状況を理解してから動きたい。
順番は、前の方にいる子供からやっているようだ。
私はそろりそろりと移動した。
監視している大人もいなかったので、移動は楽にできた。
部屋には、全て終わってここに残された子だけが残っている。
「ここに残った子が記憶媒体になるんですよね?」
「あぁ、そうだ」
「残らなかった子は殺すんですか?」
「今回はな。でも次からは殺人兵器になるように育てるらしいぞ」
「えぇー!なんですかそれっ!」
「ま、記憶媒体にされるよりは楽だよな。忠誠心を植え付けた後は、命令で誰でも殺せるようにすりゃいい。記憶媒体に忠誠心なんて邪魔だからな。取引とかするときに、組織以外の奴らに情報提供しない、なんてことになったら困る。心を抜かれる記憶媒体になるなんて、ほんと救えねーな、ここに残る子供」
なるほど。
殺人兵器の方が自由があるわけか。
ある程度のイレギュラーもそっちの方が受け入れられやすそうだ。
大人の会話を聞き、ここから退出することを選ぶことにした。
さて、どうやってここから出る方法を考えようか。
椅子に座り、白い服を着た大人に向き合う。
予定通り泣いて暴れる。
大人は私を押さえつけ、二の腕にゴムを巻く。
そのまま筒状に針が付いたもの──注射という器具──を大人が持ち上げる。
チクリとそれに刺されると、体から赤い液体──血液というもの──が抜かれる。
そんなに泣くほど怖くないな、と思いながら怯えたふりを続ける。
スッと針が抜かれる。
ぺたりと四角いものを貼られた後、 別の椅子に座らされる。
「この絵をよく見ていてね」
パッと出された絵は、写真だった。
スクランブル交差点で、大勢の人が行き交っている。
もちろん、当時の私はスクランブル交差点なんて知らなかったので、白線の上を人がうじゃうじゃしてる、としかわからなかった。
すぐにパネルが伏せられる。
見せられていたのは5秒くらいだ。
「さぁ、今見た写真にいた人はどっち?」
別の紙を出され、右と左に別々の人物写真がプリントされている。
どう見ても左の人がいた。
なんだこの問題。ちょろいな。
ここに残された子は当たった方か?外れた方か?
どっちを選べばいいのだろうか。
いつまでたっても指を指さない私に、大人が不思議そうな顔をする。
「どうしたんだい?」
「1歳の子供に何言ったってわかりませんよ、センセ?」
「あはは、まぁそうだが…」
記憶媒体とは、何かを記録するときに使う道具だったはず。
それなら、記憶力のいい子供がここに残されるのだろう。
それなら、外せばいい。
私は右を指差した。
大人は紙を別の大人に渡すと、私の手首を引いて立ち上がった。
そのまま扉を出て、別な部屋に連れて行かれた。
暗くて広い部屋だ。
やっとやっと立っている子。まだ立てなくてハイハイしている子。
私は立てるし、立っている子の方が多いのでよたよたと歩く。
子供の集団に合流すると、大人は退出していった。
大人が退出した瞬間、カーテンで隠れていた壁が現れた。壁の一部にぽっかりと空いた穴に、何かいる。
大きい。なんだ?
「今から犬を放す。死にたくなければ10分耐えろ。犬は飢えてる。人間の子供だろうと、お前らを食うだろうなぁ…。ま、アナウンス入れたってお前らには何言ってるかさっぱりか。ははっ!」
ブツッと通信が切れた音がする。
嘘だろ、と思った。
カシャン、と音がする。犬を引き止めていた柵が外されたのだ。
今動くのは良くない。1人で動けば標的になる。ここにいる子供はさっきの部屋に残った子供より多い。
何人減るんだろうか。
まぁ、ハイハイしてるやつは確実に死ぬだろうな。
犬が5匹、こちらに唾液をだらだらと流しながら向かってくる。
混乱と恐怖で子供がパッと動き出す。
しかし、やっと歩けるようになったくらいの年齢の子供だ。動ける早さには限界がある。
次々に犬が子供の首に噛みつき、集団で食い散らかしていく。
もうすでに半数になっているようだ。
申し訳程度に置かれたタイマーはもうすでに5分経過を示す。時間は半分終わっている。
私は動いていない。
死体と死体の間に横になっている。
体に死体の血をつけておいた。
食われて腕が取れた子供からその腕を借りて自分の近くに置いておいた。
近づいた犬はそっちに夢中だ。
子供の数が3分の1になった。
タイマーが鳴るが、大人がこない。子供はこの間にも次々に食われる。
最初5匹だった犬は、いつの間にか15匹になっていた。
生きている子が少なくなったせいで死体を漁る犬が多い。
生き残っている子をちらりと確認した。残り6人。
大人は来るつもりはないのだろう。
つまり、ここにいる子供は元から殺される予定だったわけか。
ここにいても助からないとわかった私は起き上がった。
残った子供は私だけ。立ち上がっている子供は私だけ。
腕のない子。
足のない子。
頭がない子。
もうすでに骨がむき出しな子。
それでも息をしている子。
それを横目に起き上がった私に気づいて、15匹の犬が私を囲む。
私はドーム状の天井を見た。
一部だけ、壁と天井の境目が妙に他と色が違う。
あそこで見てる大人がいるのだろう。
そっちを向いて右手で手を振った。
これでいい。これで大人は私を放置できない。
にやりと、小さく私は嗤った。
しばらく振った後、腕を下ろす。
犬が唸る。
その口からは、子供たちの血液が滴っていた。
ゆっくりと狙いを定めようとする犬たち。
ぐるりと見渡す。
犬は集団で生活するらしい。その中にいる1匹のリーダー。
犬は自分より格上だと判断したものに従う。
それなら簡単だ。
その1匹を"私に従う"ようにすれば良い。
見渡す。いた。
ひときわ大きくて、他の犬が自分が確保した"餌"を譲っている。
そいつと見つめ合う。
ヴーと唸るリーダー格の犬。
私にそろりそろりと近寄って来る。
私は、スゥッと瞳を細めた。そのまま睨みつける。一度も目を逸らさない。顔は下げず、見下すように睨みつける。
しばらく睨み合うと、リーダー格の犬が怯え始めた。
他の犬たちが後退し始める。
それでも私はその犬から目を逸らさない。
またしばらくして、そのリーダー格の犬が私に近寄ってきた。
そろり、そろりと。
そのまま首を垂れた状態で私の前で座った。
その頭をゆっくりと撫でる。
他の犬が私を囲んだ。
まるで、俺たちのリーダーはお前だというように。
それと同時にバタンッとこの部屋に連れてこられた時に使ったドアが開く。
子供の死体。
私を囲む犬。
リーダー格の犬を撫でる、子供の私。
血まみれの服を纏い、嗤って大人を振り返る。
真っ青な顔の大人。
あぁ、その顔いいね。
初めて退屈が満たされたような気がした。
その顔をもっと見せてよ。もっと青くなって、震えて、叫べばいい。
だからもっとこの退屈を満たして。
大人は私をこの部屋から出そうとしたが犬が私を守るように、大人に向かって唸り始めた。
大人は長方形の薄い何かを耳に当ててなにか話してる。あれは確か、スマートフォンなんて名前の道具だ。
ここにいない大人と話ができる便利道具だ。
しばらくすると、かなりの人数の大人が部屋に入ってきた。
黒い何かをこっちに向けている。
確か、あれは拳銃というもので、生き物を殺すために使う道具だ。
私に向けられている。
犬たちの唸りが大きくなった。
私はリーダー格の犬の頭に手を置いた。
パッとその犬が私を見る。
目を合わせ、その頭をグッと抑え込むと、臨戦態勢だったリーダー格の犬が渋りながら座ってくれた。それを見て、他の犬も次々に座る。
全ての犬が座ったのを確認し、リーダー格の犬の目の前に手を突き出して"ここで待て"と指示する。
よたよたと歩き、今度はここにいる人間のリーダー格の大人に向かって歩いた。
拳銃は私に向けられたままだ。
まだ歩きなれないこの体は重い。
よたよた、よたよたと歩く。
リーダー格の大人の前まで来て見上げる。
「ねえーねえー、じゅっぷん、すぎてるよ」
パンッと誰かが私に向かって撃った。
恐怖で震えたのか、大外れな場所に銃痕がつく。
「……言ってることがわかるのか」
「わかるよ。ねえ、やくそくはまもらないとダメだよ。うそつきは、はやくしぬらしいよ?」
にっこり嗤ってやる。
声を出さずに話す練習をしていた。
思ったより上手く話せる。
目の前の大人の顔が歪む。
あぁ、それそれ。もっと歪ませて。
「やくそくしたのにこないから、きてーってあいずしてみたの。ちゃんとつたわったみたいだねえー?」
「……おいで」
その大人に手を引かれ、部屋を出る。
部屋を出た瞬間に、銃声が響く。
犬の鳴き声もする。
人の味を覚えた犬なんて、どうなるかは一目瞭然だ。
私はにっこり嗤った。
最初に連れてこられた広い部屋に連れてこられた。
何やらかちゃかちゃと足に付けられた。
ブレスレットで、中央にプレートが付いている。
そこに書いてある数字は、0。
「…これから0(ゼロ)と呼ぶ」
「うん」
そのまま大人は去っていった。
それと入れ違いに別の大人が入ってくる。
服と濡れたタオルを投げつけられ、大人は無言で出ていった。
部屋をぐるっと見渡すと、本や針金、ナイフなどいろんなものが置いてある。
監視するために使うらしいカメラは仕込まれていないようだ。
つまり、ここで何をしようがわからないわけか。
大人ってやつは、子供を侮っているらしい。
なんてちょろい。
投げつけられたタオルで体を拭き、着替えた。
脱いだ血のついた服とタオルは、大人が出入りしていた扉の前に畳んでおいた。
さて。
これからどうやって退屈を凌ごうかな。
〜・〜
──さっき刺された腕がまだ少し痛い。
半分以上の子供がここから出されていった。
さっき最後の1人がここを出ていった。
「君たちは選ばれた子供なんだ!俺たちは、君たちを歓迎する」
何をいっているかわからないが、そんなことを白い服の男が言った。
そのまま大人は片付けをしてこの部屋から出ていった。
俺──遠い未来で湊、鬼逸と呼ばれる──は何もすることがなく、ここに残った子供たちはぼーっと座り続けた。
いつまでそうしていたかはわからない。
さっき、大半の子供が出ていった扉の先がざわざわしていることに気づいた。
なんだろう?と思いながらその扉を見つめ続けていると、大人と1人の子供がその扉から出てきた。
大人は子供の足に何かつけると出ていった。
それと入れ違いに別な大人がその子供にタオルと服を投げつけて扉を閉める。
入ってきた子供は部屋をチラッと見渡すと、服を脱ぎ、体を拭いて新しい服を身につける。
扉の前に赤く染まった服とタオルを置くと、口元を歪めた。
その顔が、やけに頭に焼きついた。
いつまでたっても大人がこない。
お腹が減ったと子供が泣き始める。
怖かった。
誰もこない。
今までとは違うとわかっているが、ここまで人が来ないとどうしていいかわからない。
さっきの子供は壁際に横になって寝ている。
そろりそろりと近寄ると、その瞳がパッと開いた。
じーっと見つめ合う。
その子は、コクリと首を傾げた。
「あ…ぅ…」
言葉は知らないし、自分が何を言いたいのかもわからない。
ただ、気になって近寄っただけなのだ。
じーっと見ていると、キラリとその子供の瞳が紅く光った。
深い紅で、光に当たらなければ黒にしか見えない。
綺麗だと思った。
他の子供は黒か薄い茶色だ。
何人か青い子もいるが、少し濁ったように見える。
こんなに鮮やかな紅はいなかった。
「い…え…え?」
なんて言えば伝わるかわからない。
ちょこん、とその子の前に座り込む。
その子はむくりと起き上がると、フフッと笑った。
さっき見た笑顔とは違うその笑みに、心がほっこり温まった。
「ありがとう」
その子が何か言った。
瞳が綺麗だと思ったことが伝わったのだろうか。
それに、大人が話している"言葉"というものをこの子も使っている。
何を言ったのだろうか。
でも、言われて嫌な言葉ではなかったので、笑って返した。
「おいで」
その子に手を引かれ、よたよたとついていく。
何か、四角い形のものがたくさん入っている棚の前に来た。
そこにその子が座ったので、それを真似して座った。
その子は適当な物を取り出すと、開いた。
「君、一回で覚えられるんでしょ?これ読むから、聞いて覚えて。字と音、ね」
身振り手振りをしながら、その子は俺に話しかける。
本はびっしりとなにかの模様が書かれている。
これの音を覚えろ、と伝えたいらしいとわかった。
縦に首をブンブン振った。
にこっと笑うと、その子は小さな声でそれを読み始めた。
この本を読み終わる頃には、俺は言葉を理解し、自分で使うことができるようになった。
この子が読んでいたものは、本というものらしい。
タイトルは、この部屋での過ごし方。
「話してごらん。
あ、い、う、え、お」
「あ、ぉ、う、ぃ、う?」
「文字を浮かべながら話すんだ。あ、い、う、え、お」
「あ、い?、う、え、お?」
しばらく練習すると、たどたどしくだが話せるようになった。
「そうそう。君は賢いから、話せるってことらちゃんと隠すんだ。みんなが普通に話せるようになったら、普通に話していいよ。文字がわかるのも、話ができるのも秘密。いい?」
「うん」
「よしよし。あ、俺は0って呼んで」
「わかった」
さっき読んだ本に書いてあった。
この部屋には、3日に一回だけ食事が来る。
時間は、壁に一つかけてある時計でわかる。
その時計に日付も書いてあるらしい。
見に行くと、10月25日と書かれていた。
0──ゼロが言うには、すでに2日たっているらしい。
ということは、明日食事がくる。
人のものを奪おうとすれば、罰を下すらしい。
奪われた者には食料を増量してくれるらしい。
ゼロは、今日はみんな奪い合うだろうから、わざと奪われればいい。そうすれば人より多くもらえる、と言っていた。
近くに袋が隠されていたから、大人が出て言った後にそれに入れる。
それで、大人がこない間はそれでしのげばいい、と言っていた。
ゼロは頭がいい。
いつもつまらなそうにあくびをしては眠り、起きてはぼーっとする、を繰り返している。
ゼロの言う通り、時計の日付が変わってすぐ、大人が何かを持って入ってきた。
子供がしがみつくように大人に近寄る。
大人は一人一人に何か渡して行く。
パンの耳とペットボトルの水。ペットボトルなんて初めて見た。
どうやって中の水を飲むのだろうか。
ゼロと一緒に食料と水をもらう。
もらった直後、奪い合いが始まった。
ゼロの言った通りだ。
すごい。どうしてわかったのだろうか。
大人が怒鳴り始めた。子供を殴る。
俺とゼロはほんの少し離れて泣くふりをする。
泣くふりをしろと言ったのはゼロだ。
奪われたら、奪ったやつを少し目で追ってから泣け、と。
その通りにする。
子供を容赦なく殴ってた大人が、周りを見渡す。
泣く俺たちを見つけると、頭を撫でてパンの耳をほかの子供の倍渡してくる。
それを受け取る。
大人はにっこり笑って出ていった。
大人が全員に部屋から出て言ったのを確認し、俺とゼロは壁際に戻った。
袋があった場所に行き、パンの耳を入れる。
袋の口をしっかりと握る。
ストンと座ると、部屋の真ん中で泣き叫ぶ子供を見た。
床に散らばったパンの耳。
開けられないペットボトル。
お腹すいた。
寂しい。
痛い。
言葉を知らない子供達は、泣くことしかできない。
隣を見ると、ゼロは眠そうにあくびをした。
俺は、ペットボトルと向き合う。
どうやって中身を取り出すのだろうか。
じっと見つめて考えるが、わからない。
本には書かれていなかった。
考えている俺を、ゼロはじっと見ていた。
逆さにしたり、降ったり転がしたが、中身が出てくる気配はない。
それに、今まではドロドロの食べ物しか食べたことがなかった。
目の前にあるパンの耳は硬そうだ。
これは、食べられるものなのだろうか。
言葉は、舌をうまく動かせば話すことができた。
だが、歯というものがまだ生えそろっていない自分に、噛むことはできない。
「……ほら」
ゼロは、ペットボトルを貸して、と手を出す。
その手にペットボトルを渡すと、一番上にある丸い部分に手を当てた。
「手、貸して」
そう言われ、両手をゼロの手の上に置いた。
「俺の手に力込めてね」
ゼロは、足でペットボトルを固定すると、体をひねりながら手に力を入れた。
その手を手伝う。
ゼロの真似をして体をひねったりして必死に力を込めた。
パキッと音がすると、ゼロの力がふっと抜けた。
どうしたのだろうかとゼロの手から手を離す。
丸い突起がクルクルと回り、外れた。
丸い突起──フタを外した部分にあったのは、穴だ。
これで中身を取り出せる。
「ぜろ、すごい!」
「ありがとう。じゃ、こっちも手伝って」
今度はゼロの方を手伝った。
一度やった作業なので、最初より簡単に開いた。
ゼロはもう一つ袋を出すと、パンの耳を一つそこに入れた。
そこにペットボトルの水をほんの少し入れ、なんと、そのまま放置した。
ゼロのやることに失敗はない。
俺は真似をした。
しばらくすると、パンがふやけてくる。
すると、ゼロは袋ごとパンを潰し始めた。
そのまま袋から取り出し、ちぎり始める。
俺も真似した。
細かくなったパンは、濡れて柔らかく、食べやすくなった。
これなら食べられる。
ゼロは本当にすごい。
部屋の中央にいる子たちはまだ泣き叫んでいた。
痛い、痛い、お腹すいたよ、喉が渇いたよ。
ゼロは水を飲まない。
だから、俺も水を飲まなかった。
ちぎったぶんのパンを食べ終わると、ゼロは一口水を飲んだ。
だから、俺も一口水を飲んだ。
「……ねぇ、お前、なんて呼べばいい?」
「…?」
「足首見せて」
ジャラリと足に付けられたものが鳴った。
絵を見せられて指差した後、他の子供がやっている間につけられたものだ。
そこには、1234と書かれたプレートがつけられている。
「1234って…。すごい綺麗に並んでるな」
「綺麗?」
「んー、じゃあ、ジュンって呼ぶね」
「ジュン?」
「そう」
ゼロはそのまま眠そうにあくびをすると、横になって眠った。
俺もそうしようと思ったが、泣き叫ぶみんなの声で眠れなかった。
仕方なくそのまま起き上がり、壁に寄りかかる。
じっとみんなを見ていた。
お腹すいたよ。
痛いよ。
寂しいよ。
助けて。
ゼロは手を貸さない。
ゼロは、初日に、俺がどうしていいかわからずにぼーっとしてる間にここにある本全部読んだらしい。
俺は、ゼロに全部読んでもらった。
中身は全部覚えてるから、もう一度読もうとは思わない。
引き出しにあった袋は信じられないくらい多かった。
足りなくならないようにするためだろう。
全員に行き渡っても足りなくならことはなさそうだと思う。
ゼロは、誰も助けない。
だから、俺も誰も助けない。
泣き叫ぶみんなを見る。
どうして、絵本の中の人は人を助けるのに、ゼロは助けないのだろうか。
何か考えがある?
俺は、ゼロをずっと見ていた。
日付が変わり、7時を示す。
ゼロが起き上がり、眠そうにあくびをして伸びる。
泣き疲れた子供はぐったりと横になっている。
ゼロはそれを無表情で眺めていた。
「……助けたいの?」
「助ける?」
「寝てないでしょ」
「……うん」
はぁ、とため息をつくと、ゼロは食料と水を置いて立ち上がり、俺に手を出した。
俺はその手に惹かれるままついていく。
疲れてぼーっとする子供の近くに行くと、適当に落ちていたパンの耳を拾って5個ずつ袋に入れ、一人一人に渡して行く。
俺はゼロの真似をした。
全員に渡し終わると、ゼロは適当に落ちていたペットボトルを拾い、俺に手伝って、と言ってそれを開けた。
みんなは近寄ってそれをじっと見ていた。
そのあとはパンの食べ方も全部見せ、ペットボトルを持ち主に返すと、ゼロは元の位置に向かって歩き出した。
俺もそのあとについて行く。
壁際に寄ると、昨日は泣き叫び続けていたみんなが力を合わせて見たものを再現して行く。
みんなゼロを見ている。
ゼロは、昨日と同じように一つだけ別の袋に移して水を入れ、しばらくして潰してからちぎって食べた。
みんなも一つだけをそうして食べた。
食べ終わると、ゼロは一口水を飲んだ。
みんなもそうした。
俺もそうした。
ゼロはすごい。
でも、ゼロはみんなを睨む。鋭い紅の瞳に睨まれると、みんな怖がって目をそらした。
「なんで睨むの?」
「俺が教えたって、大人にバレるだろ」
「なんで?」
「みんなできてなかった。それなのに次大人が来た時に全員大人しく従う。おかしいだろ?
しかも、みんなが俺を見てたら俺が何かしたって大人が気づく」
「ゼロは頭がいいんだね」
「別に。むしろ、なんでわからないのかがわからない」
そのまま2日過ぎた。
また、大人が来る。
ガチャ、と扉が開く。
食料と水を持った大人が入ってきた。
みんな、ビクッと肩を震わせた。
大人は、全員を見渡す。
沢山の大人が入って来ると、俺たちにつけられていたオムツとやらを交換していく。
ついでに体も綺麗に拭かれる。
「おい。全員ペットボトル開けてるぞ。パンの耳なんて渡してるのに、吐いた跡もない」
「どうなってるんだよ」
大人がブツブツ話している。
前は何を言っているかわからなかったが、今はわかる。
ゼロの言った通り、大人は気味悪がっている。
みんなゼロの方は見ない。
睨まれ続けて怖かったからだ。
大人はパンの耳と水を俺らに渡した。
誰も、誰かのものを奪おうとはしなかった。
大人はそのまましばらくいた。
俺たちは誰も動かない。
ゼロが立った。
みんなゼロを見る。
俺はゼロについて立った。
壁際に向かう。
壁際に着くと、そのまま座った。
ゼロが座ると、みんな動き出した。
2人1組でペットボトルを開ける。
もらったパンは袋に入れ、それと別の袋に一つ入れると、そこに水を少し入れて待つ。
大人は、信じられないと言った顔で俺たちを見ていた。
水でふやけたパンをちぎって、それを食べる。
食べ終わったあとは一口だけ飲む。
大人は真っ青な顔でそれを見ていた。
そんな大人の顔を見て、ゼロがほんの少し口元を歪ませた。
初めて見た時と同じ顔だ。
俺は口を開かない。ゼロも口を開かない。
大人は全員、慌てて立ち上がると、扉をあけて走っていった。
俺たちは、ご飯を食べて眠くなったため寝た。
ゼロが寝ていたから、安心して眠れた。
トントン、と肩を叩かれる。
眠気が抜けないまま顔を上げると、ゼロが俺を覗き込んでいた。
「またなんかあるらしい。俺はここから出される。お前は、自分のことだけ考えて動け」
今は言われている意味がわからない。
でも、ゼロが言うことは絶対に信じられる。
俺は、しっかり頷いた。
あのあとまた眠ってしまっていたらしい。
起きた時、ゼロは隣にいなかった。
みんながいる場所を見て探したが、ゼロはどこにもいなかった。
仕方ないので、俺はそのまま壁際に行ってパンを食べ、水を飲んだ。
カシャン、と音を立てて扉が開かれる。
昨日食べ物を置きに来たのに今日も来た。
やっぱりゼロの言うことは外れない。
初めてこの部屋に来た時と同じように机と椅子を並べ、大人たちは俺たちを一人一人呼んだ。
また、出ていく組とここに残る組に分かれていく。
ここにいれば、ゼロが帰って来るかもしれない。
そう思った。
でも、どうやったらここに残れるかなんてわからなかった。
そういえば、ゼロが言っていた。
最初は2300人ここにいた、と。
それで、絵を見せられてここを出て言った人数は1268人。
今ここにいるのは、ゼロを抜いて1032人。
お前が1234って番号なのは意味わかんないな、と言っていた。
次々に出ていく者と残る物に分かれていく。
みんな終わって、俺だけになった。
用意された椅子に座る。
「はい。これ読んで」
紙の束を渡される。
それをパラパラとめくっていく。
12月25日、計画書
タイトルはそう書かれている。
5枚目が最後だった。
5枚目に到達して3秒ほどで取り上げられた。
「さて、四つ答えてね。一つ目」
別の紙が出される。
暗殺日は?
a.12月52日 b.21月45日 c.12月24日
答えがない。
俺は首を横に振った。
「どうしたんだい?」
俺は問題を指差し、首を横に降る。
男は問題を見て、答えのa〜cに目を通す。
それから俺を見た。
俺はもう一度首を横に振った。
四つ答えろと言ったのに、俺は1問目でここに残ることに決められた。
残った子供の数は573人。
出て行ったのは459人。
ゼロは帰ってこなかった。
部屋を出て行った459人も戻って来なかった。
その日から、大人たちは毎日この部屋に来た。
そして、毎日資料を見せては問題を出される。
また、言葉の練習も始まった。
周りの学習スピードに合わせて、俺も少しずつ話した。
できなければ殴られるが、出来ることは隠せとゼロに言われていたので、俺は絶対に人よりできるそぶりを見せなかった。
その他にも、いろんなことを大人が俺たちに教えてくれる。
集められた俺たちは、言葉を覚えても会話をしなかった。
禁止されていたわけではない。
それでも、誰も、誰かと会話なんてしなかった。
そんな毎日を続ける。
いつの間にか、この部屋にいるのは160人になっていた。
その間にこの扉から出て行った299人は、いつまでたっても帰ってこなかった。
その間に、俺は5歳になる。
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