第14話 影

とりあえず、女性物の下着(男2人──私は男装していたので──で行ってしまったので変な空気だったけど)と必要なものを買い、飲食スペースへ行った。

アイスが食べたいと強請ると、うげーという顔をされながらも鬼逸は買ってくれた。抹茶味である。

「……おいしい?」

「……ん」

飲食スペースでアイスを頬張る。食べる?とスプーンを向けると、「いいよ、ゆっくり食べて」と言われた。

本音は「いらねぇよ」だろうが。

なので、美味しくいただくことにする。

ひんやりとした甘味が久しぶりに口に広がり、舌鼓を打った。ふんわり香る抹茶が美味しい。

ふと、視界に見知った顔があった気がして、そっちに顔を向けた。

飲食スペースより奥に進んでいく集団が見えた。

確かこの先は、新しいお店ができるとかで人通りが全くない。

トイレの表示はあったが、人通りのない場所場所だけに利用者もいなそうな雰囲気だった気がする。

ぞろぞろとそこへ歩いていく集団を不審に思いながら見ていると、幸架と璃久もいることに気づいた。

いつも動きやすそうな服を着ているのに、今日は私服のようだ。

割とピッシリと体型がわかるような服を着ている。

ズボンもジーンズだ。

あれでは、隠しナイフは1つ持てるか持てないか、といった程度だろう。

それに動きにくい。

安易すぎる。

仲間なのだろうか。だから安心してそうしたのかな。

それなら、集団の他の人たちもラフな格好をしていてもいい気がする。明らかに2人の他にいる男たちはダボっとした服を着ていて、明らかに何か仕込んでいそうな服を着ていた。

ズボンの裾も膨らんでいる。

推理小説風に推理すれば、あそこに入っているのは拳銃か、爆発物かといったところか。

「………ユウ?」

不思議そうな顔で鬼逸は私に向かって首をかしげた。

彼からは見えない位置だったし、仕方ないか。

「知り合いがいた気がして…。ちょっと心配だから、見るだけ見て来てもいい?」

「いいよ」

アイスのカップを捨てて、男の手首をつかんであの集団が入って行った通路を進んでいく。

なるべくどこからも見えない位置で、彼らの会話が聞こえそうな場所を選んで様子を伺う。

「ーーー、ーーー!!」

「ーーーー、ーーーー」

「〜……ーー!ー!」

言い争っているようだ。

店の音楽がうるさくて会話が聞き取れない。

2人が仲間と合流して話をしているのか。それにしては殺伐としている。おそらく2人の仲間ではない。

だとすれば、あの集団は私の敵ということになる。

──ガッ

唐突に大きな物音が響く。殴られた?

「ゔっあ"……」

幸架のうめき声がした。

それでも会話の内容は聞き取れない。今の幸架の声はとても苦しそうだった。

今すぐ確認しに出て行きたいが、いくわけにはいかない。私はただの足手纏いになるだけだ。

「ーーー、ーー!………やめろ!」

璃久の声?口論はヒートアップしているようだ。

──パン!

銃声…

でも音が小さい。何か仕込んで音を抑えたのか。

それより、冷静に考えている暇も時間もなさそうだ。

彼らの仲間なのか敵なのかわからない。おそらく敵であると考えられるが、2人が危険な状況にあることは変わらなそうだ。

原因はおそらく、私が逃げたこと。

彼らには、凪流と奏多を助けてもらった。

それに、起き上がれなかった私を看病してご飯を作ってくれた。

助けなければ。

それに、2人は湊という人にまだ再開できてない。

きっと生きてると、2人は湊を信じているのだ。

どうする…。

どうやってあの場から、2人に向いている意識を晒すか…。

「……ねぇ」

不審な集団に意識を集中させていたせいで、突然鬼逸に声をかけられた私は、ハッと思考を中断させた。

そうだ、私1人でいるんじゃなかった。

私があの集団に出て行って引き付けている間に、この男に2人を安全な場所に連れて行ってもらえばいい。

その後の私がどうなるかはわからないが、それで2人は助かる。

「…兄さん」

「ん?」

「知り合いがいたんだ。話してきたいから、行ってきてもいいかな?…なんか、2人、体調悪いみたいで、それで揉めてるみたい。連れてくるから、病院に連れて行ってあげてもらえる?」

「…………」

キョトンという顔をして、鬼逸は私を見つめた。

「…ユウ」

「なに?」

後方での口論と物音がまだ続いている。

時間がない。

彼にも聞こえているだろうが、私の言うことを聞いてくれるだろう。

この男が私に執着する理由はわからないが、性欲処理がメインだと思う。

私につきっきりなところを見ると、組織にはいらずに本当に単独で動いているのだろう。

私といることで危険な目にあったら、彼ならすぐに私を切り捨ててくれる、はずだ。いや、彼のことだ、私が死ぬのをあんなに引き留めてきた。うまく私の案に乗ってくれるだろうか。

それでもそれに賭けるしかない。

……なんだ。

でも何か違和感が。

そうだ。

なんで2人なんだろう。

レイと一緒にいないのは、なぜだ。

私を誘拐する計画を聞かされた時に、3人の仕事分担はだいたい予測できた。

幸架は、防犯カメラの妨害をためにマンションに戻ったと言ったから、情報担当だろう。

璃久は、レイと一緒に動くことが多いようだし、下見や補助がメインだと思う。

となると、変装が得意で、なおかつ仕事が夜だと言うレイがメインで動く、つまり実行役だ。

ということは、2人は戦闘より別のものにたけている。

この今の状況で1番頼れる存在のはずなのに、レイがいない。

これから助けに来るのか…。

「…来ないよ」

「え?」

私は鬼逸を振り返った。その断言する口調に疑問を持つ。レイが来る来ないはわからないが、断言する彼に違和感を抱く。

「お友達の、もう1人。来ないよ」

「…なん、で」

「15分以上経つけど、来てないよね?来ないと思うよ」

彼のいう通りレイが来ないなら、やはり2人だけであの人数を切り抜けるのは無理だ。

早急に動かなければ。

「行ってくるね」

隠れていた場所から踏み出そうとした。

それなのに、男に抱き上げられる。

「ちょっ!…待っ、ちょっと!」

鬼逸はスタスタとトイレに入っていく。

…もちろん男子トイレ。

そこの、奥から1つ手前に2人で入ると、彼は鍵を閉めた。

「…はぁ」

呆れた、と顔に書いてある。

お説教をされるのか。しかしそんな時間はない。

「…鬼逸。時間がない。…どいて」

「…………」

冷たい瞳。

変装のせいか、震えるほどの恐怖を感じることはないが、空気が冷たくなるのは感じる。

恐怖で震えそうになる足。それでも、絶対に曲げない。曲げてやるものか。

2人の、…人間の命がかかっているんだ。

私は数秒彼と睨み合い続けた。

「…ここから動くな。誰がきても絶対に開けるな。いいな」

「…………」

「それが守れないなら、2人が死ぬまでここから出さない」

「わかったって言ったら、2人は助かるっていうわけ?」

ぎっと男を睨む。

鬼逸は、最初から知っていたのか。

それなのに、何もしなかったのか。

それなら、見殺しにするということだ。

こんな状況になっているのに手伝ってもくれない。

ここでなんと返事をしても、2人が助かる確率は少ないだろう。

それでも、何もしないで待っているだけなんて、絶対に嫌だ。

「……5分後に、隣の個室に2人が来る」

「…………」

「そのあと、俺が戻って来たらここ開けるから、2人連れて帰る。…不満があるなら聞く」

「…私に、できることは」

「無事でいること」

「無事?」

「そう。怪我1つでもしたら、許さない」

「…わかった」

そういうと、彼はふわりと笑った。「いい子だ」と言うように。

鬼逸はポケットから、何かごそごそと出し、私に渡す。

包帯3ロール、ガーゼ、消毒液、ティッシュ、小さな袋。

「隣、来たらそれ渡せ。それだけでなんとか止血くらい自分でやるだろ」

「わかった」

彼は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、トッと静かに跳んで個室の壁を軽々越える。それとともにトイレから出ていく足音がした。

…私は、何か勘違いしている?

彼がこんな行動をするなんて、思っていなかった。

もう少し、信じてもいいのかもしれない。


〜・〜


「……はぁ」

やっぱり、バカな女だ。

敵か味方もわかってないくせに、そんなやつを助けるために飛び出すなんて。アホ極まりない。

その後どうなるかなんて、想像し続けたってたりないくらいのことが待っているというのに。

「……ほんと、バカなやつ」

さっき隠れていた場所まで戻る。

自分の髪をつかみ、顔の変装も一緒に剥がす。

色素の薄い茶髪に、不健康な青白い肌。

パーカーを脱ぎ、裏返す。

見た目は青に見えていたパーカーが、黒に染まる。

着ていたジーンズも脱ぐ。

もとから二重履きしていたため、下に着ていた黒のズボンになる。

パーカーのフードは取り外し、袋のように表と裏を逆にして付け直す。

ポケットから黒のネックオーマーを取り出し、身につけた。

それを鼻が隠れるくらいグッと持ち上げる。

ナイフと他の武器を隠している場所を確認する。

敵の数は、2人の目の前に8人。

ここの入り口を見張っている2人。

建物の入り口四箇所にそれぞれ2人ずつ。

店員に化けて5人

3階建ての建物、それぞれの階に5人ずつ。

合計38、か。

スタスタと歩き、通路の真ん中に立つ。

壁側に幸架が倒れている。

それを守るように、小さなナイフを構えた璃久。

璃久の足には、銃で打たれた傷があった。

璃久の顔が、俺を見てさっと青ざめる。

それを見た男たちも俺の方に振り返った。

「なっ……こっ…こんばんは」

「どうも」

「昼間は動けないのでは?…お、お体に障りますよ」

動揺が隠しきれていない、集団リーダーらしきオッサン。

「何度も言うけど、別に昼間動けるし」

「そ、そうですか…。こんなところに、何かご用が?」

「………」

後方で、見張りをしていたらしい1人が他の仲間を呼ぼうと、連絡を取っているのが聞こえる。

それで全員来てくれると面倒がなくていいんだが。

「…はぁ」

ざわざわ騒ぎ出す声が聞こえる。

俺の機嫌が気になるらしい。

さらに後方から走って来る音。20人くらいか。

残り10人は遠いところにいたせいでまだ着いていないようだ。

「………おい」

「………っ」

璃久に目を合わせ、目の前までコツコツと足を鳴らして近づいて行く。

以前マンションで会った時は気を失うほど怖がっていたのに、今は幸架を守ると言う強い意志が伝わってくる。

歯を食いしばり、撃ち抜かれているにもかかわらず、足もしっかりと地面を踏みしめてこちらを睨みつけている。

ふっと笑って、袖口からナイフを滑らせた。

それを投げて遊びながら、集団の方へ向き直る。

「こいつら、殺すの?」

「は、はい……任務失敗、さらに一緒にいたと思われる1人が失踪。…2人は即刻処分せよと命令が」

「………へぇ」

「しっ、失踪した1名も、見つかり次第処分しろと、命令が出ています」

「あぁ、そう。…俺に喧嘩売るわけだ?」

「は……?」

ポカン、としてから、みるみる青ざめていく目の前のアホども。傑作な顔をしている。

右手でナイフを投げ、回し、適当に遊ぶ。

左手はポケットに突っ込んでいるフリをして、後ろにいる璃久に見えるようにサインを送る。

そのサインが一度終わると、グーに握り、20秒置く。

そして、全く同じサインをもう一度繰り返す。

サインを送るにも、まだ来たない10人を待つためにも、時間稼ぎをしなければならない。

最悪だ。面倒すぎる。

時間稼ぎに適当に話をするが、暇だ。

「いっ、いや!我々は!あなた方に喧嘩を売るつもりなどっ」

「あなた方?喧嘩を売るつもりはないって?」

「………っ」

「…俺が言った意味、そろそろ理解できた?」

サインが終わると同時に遅れて10人ここに来る。

ずいぶん遅かったが、おそらく外回りをしていた人物たちだからだろう。

びっしり汗をかいているから、外部から新しい指示をもらって来たとは考えられない。報告を受けて慌ててここに着たのが丸わかりだ。

わかりやすい奴等。

もっと隠せよ。脳無しが。

「さて、と」

今までで一番高くナイフを放り投げ、パシッと音を立てて掴む。

──カラン

璃久が、持っていた小さなナイフを落とした。

俯き、震え、幸架の方へ後退する。

その動作を"確認"し、持っていたナイフを幸架めがけて投げる。

ザッと音を立てて幸架の肩に刺さる。

それを見たオッサンが、ハハハッと愉快愉快と笑った。

「………っ」

その傷を確認しようと璃久が俺と集団がいる方に背を向ける。

それを待ってましたと言わんばかりに、リーダーらしきおっさんが璃久に銃を向けた。

「いやぁ〜、なんですか。今回は私たちの補助を依頼されてたんですね。それならそうとおっしゃってくださればよかったのに」

璃久の肩が震える。

幸架に刺さったナイフの柄を掴み、抜くか抜かないか迷っているようにその手を動かさない。

俺は、フードを深く被り直す。

ネックオーマーを顎の下まで下げ、ニッとオッサンに笑い返した。

オッサンの顔は勝利への確信で満面の笑みだ。

オッサンの様子から、他の部下らしき奴らから緊張した空気が消える。

ほんと、バカだな。

「…璃久。3秒やろう!」

オッサンがカウントダウンを始める。

「3!」

璃久が、幸架を抱き寄せる。

「2!」

さらに歯を食いしばり、幸架の肩を抑える。

「1!」

ふぅ、と吐き出し、鋭く息を飲んだ音がする。

俺はネックオーマーを鼻の上まで引き上げた。

「お疲れさん!!」

オッサンが引き金を引こうと璃久に狙いを定める。

──ガッ

俺と璃久が動いたのは同時だった。

璃久は幸架を担いで集団に突っ込む。

何が起きているかわからないバカ供は動けなかった。

不意をついた動き。

璃久は幸架を担いでナイフを振り回して集団の真ん中を堂々と切り抜け、"伝えたルート"でトイレに向かう。

あっけにとられた顔のアホ面を並べた奴等が俺の方に向き直ったのを見て、笑ってやる。

そいつらの目の前で、"それ"を放り投げては掴み、また放り投げては、掴む。

「う…ああああああああぁぁぁああ!!!」

オッサンの叫びが響く。

ショッピングモールにいるって忘れてんのか?

「何。…これ、返して欲しい?」

ほらよ、と投げて返す。

拳銃が握られた手首を。

「さて、と」

血でぬめったナイフを捨て、新しいナイフを袖口から滑らせる。

それを放り投げると宙で回り、手元に戻ってくる。

「……俺に喧嘩売ったらどうなるか、お前らのお仲間さんにちゃんとわかってもらわないと。

なぁ?」

あぁ、面倒だ。

待っている彼女を思い浮かべる。

いつも、満足するほどはしないでやめてやってるし。…終わった後の欲求不満はタバコで誤魔化してるけど。

これだけ働いてやったんだから、今夜はしっかり褒美をもらおう。

帰宅後を考える。

あぁ、楽しみで楽しみでたまらない。


〜・〜


璃久は困惑していた。

見たことないハンドサイン。

何やってんだ…?

それをじっと見つめていると、途中でそれが指示だと気づく。

後半はそれに気づいて解読できたが、最初の方はあっけにとられて解読できていない。

どうするか…と考えていると、男のサインが終わる。

グーに握られた手を見つめる。

後半しか解読してないせいで、最初に取るべき行動がわからない。

と、男の人差し指が立てられ、2度振られる。

もう一度やる、というサインだと気づき、今度こそ見逃さないように見つめる。


《サイン内容》

俺がナイフを大げさに投げて掴む。

その音が作戦開始の合図だ。

今持ってるナイフだと切り抜けられないから捨てろ。

幸架に近寄れ。

幸架に刺さったように見える位置に、今持っているナイフを投げる。

たぶんオッサンがお前を打つときにカウントダウンをする。

それが始まるまで、不自然に思われないように動け。

カウントが0になったら、ナイフを取って、幸架を担げ。

そのまま集団に突っ込め。

ナイフを振り回しながら。

その長さのナイフなら、不意をつかれたバカ供は動けないだろうし、簡単に切り抜けられる。

そのまままっすぐ行け。

そのあと。

最後に、ここから1番近いトイレの二番目の個室に入って鍵をかけろ。

その個室の隣には信用できるやつがいる。

止血できる道具を渡してくれるはずだから、お前とそいつ、止血しとけ。

俺が開けるまで、絶対に開けるなよ。

以上。


目の前の人物──真っ黒でほとんど何も見えない。裏の界隈では有名な"影"──は、本当にその通りに動いた。

オッサンも、こいつの予想通りに動いている。

もしかして、この人もこいつらの仲間か?

仕留めやすいように信用させるつもりか…。

何にせよ、もう俺と幸架の状態は詰んでいる。

どうせ死ぬなら、何もしないで死ぬより動いて死ぬ方がマシだ。

カウントダウンが始まった。

俺の動きに不自然さはないはず。

オッサンーーー"蜘蛛"の上官に気づかれた様子はない。

「お疲れさん!!」

俺は言われた通り、幸架の肩に刺さったように見せかけたナイフを引き抜いて幸架を担いだ。

それと同時に"影"も動いた。

話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。

躊躇いなく上官の手首をナイフで切りとばす。

そのままだるそうに、飛んだ手首をキャッチする。

俺がたった三歩走った間にそれらが終わっていた。

状況を理解できてない組員なんて、楽に切り抜けらる。実際、誰も俺を追いかけては来なかった。

俺は教えられた通りに集団に突っ込み、記憶したルートを走り抜けた。


〜・〜


私は祈るように両手を握りしめながら、ひたすらに待っていた。

鬼逸がここから出て3分たった。

永遠に思えるほど長く感じる。依然静かなままだ。

しかし今は耐えるしかない。

私が1つでも怪我をしたら、あの男が何をするかなんて予測できない。

許さない、なんて言われたのは初めてだったのだから。

「う…ああああああああぁぁぁああ!!!」

な、何?悲鳴?誰の?

いや、聞き覚えはないが、男性の悲鳴。

声質的には中年くらいか…。

3人は無事なんだろうか。

耐えろ。耐えるんだ。動いてはいけない。

じっと待っている時だった。

ダダダダダダ!ガッ!バタン!…ガチッという音が聞こえたのは。

それからすぐ、2分ほどのことだった。走ってきた音と、ドアを強引に開閉し、鍵を閉めた音。

「……はぁっ、はぁ、はぁ、はっ…」

荒い息遣いが聞こえる。

本当にジャスト五分に2人が隣のトイレに入ってきた。

カバンからペットボトルの水を取り出す。

先程鬼逸が買ったものだが、まだ口をつけていない。

渡す手段は、床を転がすしかないだろう。

汚いけどごめんなさい、と思いつつペットボトルを隣の個室へ転がす。

「はぁ、はぁ……」

拾う音、開ける音。

警戒しているのか、すぐには飲んでいる様子ではない。

ほんの少しして、水を飲んだ音がする。

それを確認した後、今度は男にもらった手当て道具をどうやって渡すか考えた。

流石に床に置くのはよくない。

うーん、うーんと考えていると、ぬっと下から手が伸びてきた。

ビックリして思わず立ち上がってしまった。

その手にもらったものを次々に渡していく。

血のついた手は、とても痛々しかった。

「…おい、しっかりしろよ!」

小声で呼びかける声がする。

これは、璃久?

ということは、幸架の意識がないんだろうか。

「湊さんに会うんだろっ!お前が、あの人は生きてるって言うから、俺はまだお前と組んでやってんだろうがっ!」

──お前が先に逝くなよ…

弱々しい声がする。

自分の無力さを痛感して、とても苦しかった。

「……何難しい顔してんの?」

ストッと目の前に足が落ちてきた。

ビクーッ!と馬鹿みたいに体が反応した。

いきなり出てくるのが好きなのかあなたは。

出て行った時のままの姿で戻ってきた。

声も、ふわふわ優男だ。

ガチャっと鍵を開けると、隣の個室にも同じように侵入していった。

とりあえず様子を見守る。

「……っ!誰だ!……って、なんでお前、っここ、…は⁉︎」

「はいはーい、帰るよー」

ガチャっと鍵が開き、3人が出てくる。

こんな狭い個室に、男3人が出てくる光景…。

一言で例えられる。

ムサい。

けれど、血だらけの2人。そんなこと言っていられない。よく走ってこれたなと思うほど、璃久も幸架もボロボロだ。

璃久は訝しげに私を見て、鬼逸に尋ねる。

「…鬼逸さん。こいつは?」

「ユウだよ」

「…ユ、ウ?」

「うん」

璃久から幸架を奪うように担ぎ上げると、鬼逸はスタスタと歩き出した。

「…君、1人で歩けるよね?」

そう彼はニッコリと笑って璃久に話しかける。

その瞳にはうっすらと鋭さが滲んでいた。

「ユウに触ったら許さないよ」

「っ……了解」

この緊迫した状況の中、私はどうしても心の底から言いたいことがある。

なんであなたは機嫌がいいんだ?なぜルンルン?お花と音符が見えそうなほど、鬼逸がルンルン歩いてる…。

…背筋に悪寒が走った気がする。

おかしいなぁ。

インフルエンザかなぁ。

背筋が寒くて寒くてたまらないよぉ〜

あは、あはは、あは…はぁ…。嫌な予感がして怖気が走った。


彼は幸架を担いだまま堂々とショッピングモール内を歩いて外へ出た。

車にも普通に乗る。

こんなに怪我人連れてるのに、怪しむ者が1人もいなかったのが不思議だ。

さらに不思議なのは、警察ともすれ違った時。

明らかに何かあった感のある私たちを、まるで存在しないかのように素通りしていったのだ。

男は終始ニコニコしている。

後部座に幸架を寝かせ、隣に璃久を座らせると、私を助手席に押し込み、これまたルンルンで運転を始める。

「……兄さん」

「ん〜?」

「なんか……好きな人に会ったとか、いいことがあったとか、これから何か約束があるとか、なの?」

「好きな人はいないし、いいことどころかお出かけ邪魔されたし、これから何にも約束なんてないけど、なんで?」

「えっと……なんか、すごく幸せそうだなって、思って?」

「だってさぁ〜」

フフフッと楽しそうに男が運転している。

それがさらに気持ち悪さと恐怖を煽る。

その様子を、バックミラー越しに璃久が観察していた。

「俺は、ユウのために面倒くさいことしたわけだよ?」

「うん?」

あの状況、面倒くさいで済む状況でしたか?

私がおかしいの?

え?なになに?えー?

「だから、きっと今日はユウからご褒美貰えるんだろうなぁって思ってさー」

…やばい。やばいぞ。

汗が止まらないのはなぜかなぁ〜?

暑くないんだけどなぁ〜?

あれれぇ〜?

「ごっ、…ご褒美?」

「うん!」

「それは、…い、いかような?」

「そうだねぇ…」

男が、チラッと後ろを見た。

璃久が目をそらす。

それを見て、フフッとまた笑った。

「俺が満足するまで、付き合ってもらおうかな?」

「…いつも満足してなかったんですか?」

「……あんなので?」

「……………」

あ、あんなの…?

あんなにやって、満足してない、だと。

思わず頭を抱える。

漫画みたいなこんなことをする日は一生ないと思ってた。

「………ゔ、ぁぁぁぁぁ〜………はぁ…」

「嫌なら、2人のこと放り出してもいいんだよ?」

「…わかりましたよ。わかりました。はいはい、わかりましたとも。」

「ん。知ってる。あと敬語」

こいつ…

脅してきやがった。

璃久が一瞬怯えてたじゃん。怪我人なんだと思ってんの!

朝、この車を止めていたマンションに着くと、駐車する。

男は、幸架を担ぎ上げ、私と璃久が車から出たのを確認して車の鍵をロックする。

るんるる〜ん♪

なんて、怪我人担いで鼻歌歌うこの人を見ていると、無性に思う。

この人、本当に頭大丈夫なのだろうか。

璃久も、途方にくれたような顔をして、男について歩き出す。

撃ち抜かれた足を、ほんの少し引きずって。


マンションに入り、玄関脇の扉を通って広い部屋にはいる。鬼逸はベッドに幸架を寝かせると、璃久が傷の手当てを始めた。ちなみに鬼逸はルンルンで部屋を出て行った。

璃久は部屋にあった救急箱を使って、幸架の服を裂いては傷を押さえつけ、止血を繰り返す。

「……出血が、多すぎた」

璃久が顔を歪めながら、それでも止血圧迫をする手を離さない。

私も出来る限りのサポートをするが、肩の動脈を貫通したらしい銃傷からの出血が止まってくれない。

そこで鬼逸が部屋に戻ってきた。

「何してんの?」

「見てわかるでしょう。止血です」

「ユウ…。敬語」

「あ…って、今はそんなのどうでもいい」

どんどん幸架の顔が青ざめていく。

それでも璃久は諦めない。

「…アフターピル置いてあったってことは、他にもあるよね」

「何が?」

「輸血するために使う採血道具とか」

「何に使うの?」

「見てわかるでしょ!」

「こいつの血液型わかるの?」

「わからない。でも問題ない」

璃久が私と男の顔をチラッと覗き見る。

自分にも傷がある上に、出血だって相当あったはずなのに。

一心不乱に幸架の止血をしている。

「…僕の血液型はO型。Rhはnull(ナル)。血液検査も半年に一度受けていて、異常はないし、健康ってお墨付きをもらってるから問題ない

あなたなら、この意味がわかるはず」

鬼逸が私を鋭く睨む。

私も負けじと睨み返す。

絶対に譲(ゆず)らない。

「……敵か味方もわからないって言ったのはユウだよ」

「そうだね。でも、そんなの関係ないくらい助けてもらった」

「バカなの?ユウを助けたんじゃなくて、必要だったからとは考えないの?」

「考えない。そんなのどうでもいい」

「………」

「僕には今できることがあるんだ。それをしないで見殺しになんてできない」

そう言っている間にも、幸架の出血は止まらなかった。全体重をかけて止血をする。

「……いーよ。元はと言えば、俺と幸架の失態なんだ。ここまで助けてくれただけで、十分、」

「黙って」

璃久の言葉を途中で遮る。

「璃久さんと幸架さんがどう思っていても、僕が嫌だ。僕がしたいからそうする」

鬼逸と睨み合う。

璃久は黙り込む。

こうしている間にも、血が流れていく。

間に合わなくなる前に、早く。

「…この部屋の向かいの扉。ここよりは狭いけど、部屋がある。そこで待ってて」

「でも、」

「いいから。俺がなんとかする」

そういうと、鬼逸は私から視線をずらして璃久を見た。

「璃久」

「はい」

「……ユウに手、出したら、死んで楽になれると思うなよ」

最後の言葉は、地声に近い声だった。

それでも誤魔化すことを忘れずに低く発したあたり、まだ理性は保っているのだろう。

「…幸架は、助かるのか?」

「君の行動と誠意次第じゃない?」

さ、早く行け行け、と払われ、私と璃久は部屋を追い出された。

言われた通り、向かいの扉を開いて入った。

やっぱり広い部屋。

こんな広いところに1人で住んでいて、鬼逸は寂しくないのだろうか。

「……璃久さん」

「……何ですか」

「敬語じゃなくていいですよ」

「……あんたもな」

「手当てするから。来て」

「……いい。殺されそうだし」

「大丈夫。寝てる間にかってにやったって言うから」

早く来いと手招きする。

璃久は、ためらいながらも渋々いうことをきいてくれた。

「…あんたの兄貴、すごい人だな」

「僕に兄はいないよ?」

「え」

「あ……まぁ、うん。あの人は僕の兄じゃないよ」

太もものジーンズを少し切らせてもらい、手当てをしていく。

貫通していたおかげで弾を取り出す作業をしなくて済んだ。

幸いなことに、大事な太い血管を傷つけたりもしていないようだ。

消毒して、包帯を巻く。

他にも裂傷や打撲がたくさんあったので、それも手当てしていく。

「…怖くないのか」

「あの人?」

「そう」

「怖い」

「……全然そー見えないケド」

「だって、明らかに誰が見てもおかしいでしょ」

一通り終わって、顔にも傷や痣を発見したので、そっちにも手を伸ばす。

「なんで、あの人は俺たちを助けてくれたんだろ」

「なんで、って?」

「知らないのか?あの人、"影"の一員だって有名だぜ」

まぁ、まさか鬼逸が…。それは俺も今日知ったけど。なんて璃久が言う。

「影?」

「そう。どう探しても痕跡も情報も掴めない。

どうやって情報仕入れてるのかもわからない。でも、必ず成功する」

ぼーっと、自分の包帯が巻かれた手を見ながら、璃久は続ける。

「構成員が何人いるかも不明で、でも昼間は絶対に動かない。一夜にして全て終わらせる。

そんな"組織"を、裏社会で"影"と呼んでる」

「組織?あの人はどの組織にも入ってないって…」

「まさか、…1人で全部やってるっていうのか?湊さんでもないくせに?」

璃久は考え込むように口元に手を当てた。

「なんで影って呼ぶの?」

「どんなに追っても追いつけない。触れられない。でもそこにある。

気づけば夕暮れ時に濃くなってる。最後には、日の落ちた暗闇に溶けて消えて、朝がくればその現場が明かされる」

だから、"影"

夜とともに終わらせ、その知らせを知ることができるのは、日が昇ってから。

"影"が動いたと知るのは、日の出を待たなければ知ることさえできない。

だからそう呼ばれている。

「なるほど」

大体の手当てが終わり、救急箱を元に戻す。

横になってと、璃久を無理やりベッドに行かせて、布団をかける。

「噂は聞いていたし、今言った情報も流れてるけど、その他には何も知らない。でも服装は一貫しているらしい。黒で上下揃えられてて、上はパーカー。フードを深く被っていて、真夏でも黒いネックオーマーで鼻上まで覆っているらしい」

璃久は目を閉じて、ふぅー…と息を吐きだす。

そしてさらに言葉を紡ぐ。

「初めて見たけど、聞いてたのなんて無意味だったって痛感したな…」

「……………」

私は部屋の奥に冷蔵庫とポットを見つけたので、ココアを入れた。

甘いものが苦手でも、甘い香りは気持ちを和らげてくれる。

「…幸架は、俺を庇って撃たれたんだ」

璃久にココアを渡すと、彼はベッドの淵に上半身をよりかけて座り、外を眺めていた。

「俺は逃げられない。逃げる術も戦い方も知らない。お前ならできるはずだって。俺に、俺を置いて走れって言ったんだ」

璃久が俯く。

ポタポタと、雫がココアのカップに波紋をつくる。

「バカ、だよなぁ」

声を殺して中その姿に、私は少しの間何もいえなかった。かけるべき言葉が見つからなかった。

「…そう、ですね」

やっと言えたのは、そんな一言だけだった。

あぁ、雨が降る。

遠くで雷鳴が響いた。もうすぐ近くで雷が落ちるかもしれない。

璃久は、ココアを一口含むと、そのまま横になって糸が切れたように眠った。

その様子を、私はずっと見ていた。


〜・〜


ーーーーーピリリリリリリリ…

ーーープツッ

「………なんだ」

「あ、もしもーし」

小さな女の子の声が携帯から流れてくる。

戦闘特化集団──蜘蛛の最高司令官、如月(きさらぎ)はそれに訝しむ。

携帯の番号を確認すると、今日"掃除"をさせに行ったやつの携帯からだ。

「お嬢ちゃん、誰だい?」

「んー?私はねー、まみ」

「まみちゃんか。…その携帯貸してくれたおじさんに代わってくれるかな?」

ふざけた子供にとられたのか、迷子に貸したのか。

それともそういう性癖があったやつだったのか…。

呆れながら、女の子と話す。

話し方や声のトーンからして、5歳くらいか?

「おじさんはねー、真っ赤だよー!きれーい」

「…………」

「あのね、おじちゃん、おまわりさん?」

蜘蛛の最高司令官している俺をおじちゃん、と呼ぶその声。

真っ赤なおじさん。

あいつ、ついにドジ踏んだか。

「そうだよ?今から現場見に行くから荒らしたりしないで待っててくれるかな?」

まぁ、相手は子供。それも女だ。

見られたなら消すしかない。

「ねぇ、おじちゃん。私ねー、今、すごく綺麗なもの持ってるの」

「綺麗なもの?なんだい?」

「おとーさんがね!パソコンにさして、よくお仕事してるやつ!黒いやつで、ちょっと傷はあるけど、綺麗なの!」

もらったんだー、いいでしょー?と楽しげに女の子──まみは話す。

パソコンにさしてお仕事をする…USBか。

まみの父親からもらったのなら、俺には関係ない情報がはいっているものだろう。……いや、待て。

まみ、だと?

確か、携帯の主であるこいつの娘もまみじゃなかったか。そんな子を父親であるあいつが現場に連れて行くはずがない。

「ねぇ、おじちゃん」

「…テメェ、誰だ?」

「えへへっ!おじちゃん、おじちゃん。今日はこれ、置いていくね!でも、おじちゃんダメだよ?」

──こんな大事なもの、簡単に見れるようにしてたらさ、危ないよ?

組織の情報は厳重にロックしてある。

それを、簡単な管理と言うのか。

「早くしないと、おまわりさん達が来て、これ、持ってっちゃうよ。綺麗だから、みんな欲しがっちゃう」

俺は携帯をすぐに切り、こいつが行ったはずのショッピングモールに向かって車を出すよう命令をした。

数分後、到着したそこにあったのは、

今回の掃除をさせた38人。その、死体。

そして、誰も持ち出せないような厳重管理をされた機密情報の一部。

そのUSBの中身は徹底的に探らせたが、相手の痕跡1つ見つからなかった。

だが、最後に一言だけこう添えられていた。

《知っているのはこれだけではない。

その意味がわかっているなら、ご自由に》

己の失態を呪った。

まさか、意図せず"影"に喧嘩を売ってしまうとは。

これ以上逆鱗に触れれば、今すぐにでも"蜘蛛"は"世界から絶滅"するだろう。

俺は早々に"あの3人"に手を出すことを辞めることにした。


〜・〜


──ツー、ツー、ツー…

通話が切れた携帯を折り、投げ捨てる。

目の前には紅、赤、朱、赫、アカ…

ニィッと笑う。

それから、その場をゆっくりと歩き、後にした。

その後ろ姿を見たものは、誰もいない。

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