第3話 New Memory

眠る女は、まるで死んでいるかのようだった。

森で見た時と同じ、痩せ細って落ち窪んだ瞳と手足、腕。

血の気のない青白い肌と、目元に深く刻まれた隈。

窓から差す月明かりに照らされ、髪はその光を弾くように輝いている。

まるで、眠り姫。愛情を待つ、孤独な姫。

一度部屋を離れ戻ってくると、起き上がっていた。

綺麗な瞳でまっすぐ空を見つめている。

また食べ物さえうまく食べれない女。

言葉を話さない女。

命も未来も捨てた女。

一般的に見て美しい女ではない。

髪の色や瞳意外の顔立ちは普通で、行動は幼い。

命も未来も捨てようとしたのに、今はもうその瞳に闇はない。

強さと強い意思のあるような、そんな瞳。

女を見て愛おしいとは思わない。欲情も愛情も同情も親近感も湧かない、はずだ。

ただの気まぐれ。

そう、気まぐれだ。

気まぐれだけだと、自分に言い聞かせている。


〜・〜


「……起きたか」

目を開けると、"男"がいた。

私はその顔をじっと見つめる。

起き上がろうとすると、手伝ってくれた。

もうすでに窓の外は暗い。

「飲めるな?」

少しなら飲めるかも。

「…持ってくる」

うん。

男が冷蔵庫を開けて、私のご飯代わりの液体をコップに入れて持ってきた。

男は躊躇いがちに、いつものように口移しで飲ませてくれた。

「…そろそろ固形物も食えんだろ」

少しならいけるかも?

「…夕飯は雑炊な」

うん

「…お前、」


──ピンポーン


男が何か言いかけた時、インターホンが鳴った。

男は眉間にしわを寄せて顔を歪ませ、渋々といった体で玄関へ向かう。

男が開ける前に扉が開く。

「よぉー」

「………」

「おっひさー」

にこやかに立つ男が…いた。

…いや、"私"は知っている。

男が2人になったので、後から来た男Bと呼ぶことにしよう。

男Bは男を押しのけて部屋に上がり込んできた。ドカッとソファーに腰掛けると、コーヒー持って来いと男に言う。

男Bはやや長めの茶髪で、右耳にピアスが3つ。

服は黒のズボン、黒いシャツの上に黒い長袖のパーカー。色白でもない普通の肌色。

瞳は髪と同じ、明るい茶色。

男Bは深くため息をついた。

「はぁ〜。もー参るわー。人使い荒いんだよ」

「お疲れ様です」

男は男Bの前にコーヒーを置くと隣に座った。

「ほんと、嫌になるわー。………は?」

男Bと目があった。男Bは目を見開いてこちらを見ている。

「おい。こいつ誰だ。あんた、誰に許しもらったわけ?」

「……いや、その…」

男Bは鋭い瞳で男を睨みつける。

男は口ごもり、目線が泳いでいる。

そんな男を、男Bはいきなり殴りつけた。

ガッという音とともに男がソファーから落ち、仰向けに倒れこむ。

それを男Bが蹴り続ける。

「こいつの名前は?どこの女だ。どこから連れてきた?……おい。早く吐け」

「……ゴホッ……ゔっ……グッ……ア"ッ……し、知ら、なっあ゛っ……」

「知らないだと?ふざけてんのか?」

男Bは男の髪を鷲掴み自分の顔の前にぐっと持ち上げた。

男は痛みで顔を歪ませている。

「このままあんたのこと、痛めつけてもいいんだけど?」

男が目を見開き、わずかに震えている。

それと対照的に愉快だというような笑みを男Bは浮かべている。

男Bが右袖から右手に何かを滑らせ、握る。

ジャキッという音とともにその小さなものから刃が出てくる。折りたたみナイフらしい。

それを男の首に当て、にたりと嗤う。

「なぁ、あんたさぁ、さっさと言えよ」

「し、知らないっ、んです!私も朝起きたらベッドに女が……。そのあとは、」

「あ゛?んだそれ。嘘つくにしてももう少しまともなやつにしろよ」

男Bは鼻で笑うとナイフを男の首に強く当てる。

男の首が少し切れ、血が流れた。

真っ赤な血が、燃えるような紅が流れる。

男の顔色は真っ青になった。

必死に何かを言おうと口をもごもごと動かす。

「ほ、ほんとに、知らないんですよ」

振り絞ったような弱々しい声で、精一杯答える男。

「あー。あんた、やっぱ痛い目でも見れば?」

男Bは、男の首に当てていたナイフを外すと、男の胸ぐらを掴んで床に強く打ち付けた。

グッと言う男のうめき声が聞こえた後、狂気的に笑う男Bの右腕がその喉に向かって振り下ろされる。


「……相澤璃玖(あいざわりく)。26歳」


男Bの右腕が止まる。

ナイフは、男の喉紙一重で止まっている。

男Bと男は数秒動かないままだったが、ゆっくりと驚愕の眼差しをこちらに向けた。

「……接触回数、243回。いわゆる何でも屋稼業。拳銃をパーカーの内側に3丁、足首に2丁、計5丁常に携帯。さらに両袖にナイフを2本ずつ、踵に1本ずつズボンで隠し、パーカーに30本。口には含み針を5本。幼少から毒に慣らされ、ある程度なら耐性がある。"表向きは"ーー幼稚園、ーー小学校ーー中学校ーー高等学校、ーーー大学ーー大学院卒業」

男Bは男からナイフを離し、立ち上がる。男も呆然としている。

「両親は暗殺依頼遂行中に見つかりそのまま死亡。その日から自暴自棄になり依頼をこなすうちに殺害への罪悪感、恐怖等が消え、快楽殺人が多発。仲間からも疎まれるようになり、常に孤独を感じ、殺害行為がエスカレート。現在、神奈川県の──に在住。携帯番号は──、メールアドレスは──、パソコンのパスワードは──………」

男Bは私のところまでゆらりと歩いてくると私の首に左手を添える。

そして、その手でいきなり私の首をジリジリと締めあげた。

「……黙れ」

そう言われ、”私”は口を閉ざした。

「お前…、一体なんだ」

男B──相澤璃久は鋭い視線で私を射る。

ギリギリと締められる首。

苦しさはあるが、パクパクと口を動かし、答える気があることを示す。

それを察したのか、璃久はその手を少しずつ緩めた。

「ゴホッ…あ、なた、の、ゴホッ、主が、私を拾いました。……そちらの男性は私のことを知りません。

どこで拾ったかに関することは、その男性は知っていますが、なぜ拾ったのか、なんのために拾ったのかは伝えられていないようなので、知らないはずです」

璃久は私の首から手を離さずに、目線だけ男の方へ向いた。

男はそれにビクッとしたが、璃久が視線を外すとホッと体の力を抜いた。

「……女ぁ。俺のこと、知ってたなぁ?…こいつのことは知ってるかぁ?」

「……斎藤幸架(さいとうさちか)。26歳。」

男──斎藤幸架がこちらをハッと振り向く。

「接触回数、4回。いわゆる何でも屋稼業の助手。家族構成不明。武器所有、なし。"表向き"──小学校、──中学校、──高等学校卒業。──大学卒業」

璃久と幸架の顔が険しくなっていく。

「極めて温厚な性格で、殺人ができず助手に。璃久が所属する何でも屋稼業、LUNA──ルナに所属。武器の密売、密輸、依頼場所の確認とターゲットの顔写真などの詳細を調べ、伝えるなどの補佐を主にしている。

……その他詳細について聞きたいことがあればお訊きください。」

「………」

「……それ、どこで知った」

黙り続ける幸架に代わって璃久が問いかける。

「……その情報にはロックがかけられています。暗証番号を提示してください」

「「…………………は?」」

見事にハモッた。

あんなに仲悪そうだったのに。

「……以上ということでログアウト致します。それでは、おやすみなさい。」

「……は?え?…あ、おい!待て!寝るなぁぁ

ぁぁぁ!!!」

半ばヒステリックになりながら私を起こそうとする璃久と、何が起こっているのかわからず唖然とする幸架。

そんな中、私はすやすやと眠りの世界へ出発した。

あぁ、疲れた。


〜10時間後〜


「……やっと起きましたね」

目が覚めると、げっそりした顔の幸架がベッド脇にいた。

璃久もソファーに横になっていたようだが、私が起きたことを知ると起き上がって近寄ってきた。

「……どうしても1つ聞かなければならないことがあります」

深刻そうな顔で2人は私を見つめる。

私も2人を見つめ返した。

はい、なんでしょう?と。

その意を汲んだ幸架が答える。

「いつから気づいていました?」

私は首をかしげた。主語が、ない。

何が訊きたいのか、一つもわからない。頭の中はハテナでいっぱいだ。

それだけで疲れたので、もう少し眠りたいなと考え始める。

それに幸架が気づき、慌て始めた。

「あっと、その、…あのですね、えっと、、、いつから私があなたを拾った人とは違うって、気づいたのですか?」

あぁ、と寝る体制になっていた体を起こし、森にいた時から今に至るまでの回想をする。

「……もしかして、それも、ロックとやらがかけられてんのか?」

璃久が絶望的な顔で訪ねてきた。

おそらく、これは”私”にされた質問。

それならば、答えなければならない。

「私がこの部屋で目を覚ました時です。」

2人は、ポカーンという効果音がお似合いの顔をした。

あまりにも口が半開きなので、何かそこに突っ込んでやりたい衝動に駆られた。

「え、えっと?」

よく意味がわかっていないようなので、丁寧に説明を始める。

「森で男性に会い、拾われました。しかし、私はそこで意識を失い、ここに来るまでのことは知りませんし、どの道を通ってきたのか、ここがどこにあるのかを知りません。」

私が丁寧に話し始めたのをなんとなく察した2人は、聞く姿勢を取る。

「ですが目覚めた時、私を拾った男性ではなく、そこにいらっしゃる幸架様が私の看病をなさっていました。

私を拾った男性であるかのように振舞っていましたので、わざとそうしているのだと判断し、気づかないふりをしました」

2人はまだこちらを見ている。

「接触回数4回は、1度目は私が眠っている時に私を拾った男性が幸架様に私を預けた時。眼が覚めた時。その後一度出かけたあと帰ってきて私がお風呂で倒れているのを発見した時。今日で四回です。

私が眠ると幸架様はお仕事に出られるようなので、接触回数が4回となっています」

「私とあの人は、何が違いましたか」

「幸架様と私を拾った男性、──以下男性と呼ばせていただきます。の、違いは、次のように考えられます。

1つ、顔立ち。幸架様ははっきりした瞳。

男性は切れ長の瞳です。輪郭は男性の方がはっきりとし、幸架様は男性より少し柔らかい印象です。

2つ、私への接し方。

幸架様は私とフレンドリーにお話をされます。私は無言でも何が言いたいのかを汲むあたり、読心術がお得意なのでしょう。

男性の方は私との会話はありません。

私が寝ている時に来て、帰るようなので。

3つ、筋肉。

幸架様は上半身の筋肉が男性よりもありません。下半身は動き回っていることもありかなり筋肉質ですが。

その違いは抱き上げられた時にわかりました。

その他にもいくつかありますが、1番わかりやすいのは以上3点です。」

2人はその場で固まっていた。

その後は考え込むように無言になる。

時間だけが、静かに過ぎていく。

あっという間に夜になり、

その日は夕食、お風呂を済ませ、寝ることになった。

そして。

次の日から、私の生活が劇的に変化することになる。

…嬉しいような、あんまり嬉しくないような、微妙な感じに。


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@odio_pueri

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