第五章 03 囚われの身?

 真帆が目を覚ますと、真っ暗だった。しばらく微睡まどろんでいると、暗闇に目が慣れて来た。天井に近い壁に、換気用の小さな窓があった。さらに目が慣れてくると、壁時計が見える。二時過ぎだ。


――牢獄みたいだ。


 真帆は、ぼんやりとした頭を稼働させた。昨日の午後、岸田の家を訪ねた。娘の遺骨の話をしている時、低血糖の症状が出たのだ。


――ここは、岸田家の防音室だ。


 真帆の記憶が甦って来た。岸田小児科医院の住居には、防音室があった。


 岸田には、姉がいた。幼少期からバイオリンを習っており、音大を卒業後、パリに渡っている。岸田の姉も、かつて、この家で暮らした。岸田の両親は、娘のバイオリン練習用に、防音室を造った。


 岸田の姉が渡仏すると、この防音室は、岸田の亡き祖母の個室になった。岸田の祖母は晩年、アルツハイマーの症状がひどかったという。そのため、徘徊予防に、この部屋の外からは、鍵が掛かると聞いた。


 真帆は、ベッドの上にいた。岸田の祖母が使っていたものだ。上質の寝具なのか。肌触りが良い。


 真帆は起き上がると、出入り口に向かった。ドアのノブを回すと、案の定、鍵が掛かっていた。


――私を閉じ込める目的は、何だろう?


 ドアの脇にある電灯スイッチを押すと、部屋の電灯が点いた。バスとトイレ、エアコンが完備されている。


 クローゼットを空けると、リネン類やミネラル・ウォーターが揃っていた。だが、真帆の所持品は、なかった。


 インスリン注射がないと、真帆の命は危ない。岸田は、真帆を亡き者にしたいのか?


 単に、真帆が倒れたから部屋を宛がっただけか?


 スマホもなく、部屋には鍵が掛かっている。防音室なので、叫んだところで、助けは来ないだろう。


 恐怖に怯えても、神経を擦り減らすだけだ。真帆は、頭を切り替え、朝まで眠ろうと思った。


 真帆に部屋を宛がっただけなら、朝になると岸田が様子を見に来るだろう。ベッドに戻ったが、真帆は、寝付けなかった。


 昨日の状況を思い返した。意識を失う前に、ある考察が思い浮かんだ。岸田が赤ワインを飲んでいた。それがヒントとなり、佳乃の息子では? 歳の頃が、該当する。と、仮説を立てていたのだ。


 夜明けまで、まだ長い。今なら、ゆっくりと考察できる。


 佳乃の息子は、裕福なカトリック教徒の家庭に引き取られていた。岸田の両親は、クリスチャンではない。だが、曽祖父の代は、クリスチャンだったと聞く。


 その名残か、岸田小児科医院の建物は、洋館風だ。岸田の両親が住む芦屋の別宅も、異人館風の建物だった。


 岸田の幼少期のアルバムは、見た記憶がある。だが、今のパソコン技術なら、素人でも、色褪せた写真を加工できる。


 今まで、岸田の経歴を疑った過去は、ない。西宮市内の、私立の男子校を経て、芦岡医大に進学している。私立の学校なら、寄付金次第で裏口も、経歴詐称もできる。


――無理のある、考えだろうか?


 真帆は眠れぬ夜の暇潰しも兼ねて、様々な仮説を立てた。


 岸田は真帆にとって、一度は結婚して、生涯を共にしたいと思った相手だ。悪人だと思いたくない気持ちも、強かった。


 だが、真実を確かめる必要がある。


――ここから出られたら。岸田の毛髪を拾えば良い。佳乃先生の毛髪と一緒に、DNA鑑定してもらおう。


 真帆は、穴瀬に連絡したいと思った。だが、真帆の勝手な憶測だけで、警察は動いてくれない。


 他の適任者としては、笹川がいる。だが、コンタクトは避けたい。


 真帆は考えを巡らした。


 内科医の岡倉は、まだ台湾だ。病理医の曽根は、病院のマニュアル通りにしか動かないだろう。救命医の嶋元なら、説得次第で対応してくれそうだ。


 ようやく適任者の見当を付けると、やっと眠気が襲って来た。


――朝まで、もう一眠りしよう。


 真帆は、再び眠りに落ちた。

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