第3話 美桜と椿


 三人姉妹の父親である弥兵衛が旅に出てから三月が経った。美桜が庄屋の屋敷で女中として働き始めてふた月である。


 美桜の懸命に頑張る姿は数人の下女の心を打ち、徐々に手伝いを申し出てくれる者まで出て来るようになった。

 けれどもマツを前にすると皆一様に口を噤み、美桜を庇う者は居ない。


「椿さん、美桜、今日は二人でキノコを取ってきておくれ」


 朝の用事を済ませてからすぐ、珍しく機嫌が良さそうなマツに言われた二人は、籠を手に集落のはずれから登る事が出来る裏山へと向かった。

 

 椿は屋敷を出てからずっと、休みなく文句を口にしてノロノロと歩いている。


「どうして私が山になんか入らないといけないの⁉︎ マツさんって本当に意地悪よね! 百合姉さんにはペコペコしている癖に、私には用事を言いつけて辛く当たるなんて」

「百合姉さんは庄屋さんの家のお嫁さんだし、仕方ないわよ。それに、おととさんが居なくて困っていた私達に、下女の仕事をさせて貰っているのだから……」

「それが納得いかないの! どうして私じゃなくて百合姉さんが寛司さんに嫁ぐのよ! 百合姉さんより先に私が寛司さんに出会っていたら、絶対に私の方が選ばれていたはずなのに」


 椿の我儘は今に始まった事では無い。

 

 三姉妹の中では一番目鼻立ちがはっきりした華やかな顔立ちで、幼い頃から男達に持て囃されて育った椿。彼女は甘え上手で我儘で、そして誰よりも残酷な性格であった。


「百合姉さんなんか嫌い」


 いつも椿はそう口にして愚痴を終える。じっと黙って聞いていた美桜が口を開こうとした時、ガサガサと音を立てて近くの竹林から男が現れた。


「椿さんじゃないか。何処へ行くんだい?」


 男は無精髭を生やしているがまだ百合と同じくらいには若いらしく、竹を肩に担いだ太い腕の筋肉で、細身の寛司とは違って男らしく逞しい体つきをしているのが分かる。


「あらぁ、シンさん! 私、あの山でキノコを取って来いと言われたの。今日も朝からこき使われて足首を痛めたっていうのに、ひどいと思わない?」


 椿は先程愚痴を口にしていた時とは打って変わって甘ったれたような声色で、シンという男に話し掛けながら足が痛いとしなだれかかる。

 シンは椿の頭を撫でてやりながら「可哀想になぁ」と口にして、どうするべきかと困惑する美桜の方へと視線を向けた。


「なぁ、あれが椿さんの妹かい?」

「ええ、そうよ。ガリガリで幽霊みたいでしょ。あの子は生まれつき身体が弱いの。だから私と百合姉さんが守ってやらないと」

「ふうん、そうか。妹……ねぇ」

「百合姉さんは庄屋さんところの嫁になった途端私達に冷たいし、病弱なあの子の分まで私が仕事をしてるから、どうしたって辛いのよ」

「そうかそうか、そりゃあ辛いなぁ」


 嘘ばかり平気で並べ立てる椿は、竹林で他から見えにくいのをいい事に、いつの間にやらシンのはだけた胸元へと自分の手を差し入れている。


「そうでしょう? ねえ、シンさん」

 

 自分はともかく百合の事まで偽りを口にされるのが辛かった美桜は、何かを言い返そうとして淡い色の唇を震わせた。

 そんな美桜を艶やかな流し目で見つめながら、椿は何事かをシンの耳元で囁く素振りを見せる。シンはニヤリと無精髭の生えた口元を歪ませ、頷く。


「美桜、私はシンさんに竹林にしか生えないキノコの在処を教えて貰うから、アンタは一人で山を探しに行きな」

「え……でも……」


 なかなか行こうとしない美桜を睨みつけた椿は、シンの胸元からスルリと手を抜くと、美桜の方へと歩いて来る。そしてシンに聞こえない程度の声量で美桜を怒鳴りつけたのだった。


「いいから! 早く行きなって! 太陽が真上になったらここに帰って来るのよ!」

「……分かったわ」


 こうなっては椿の言う事を聞くしかない。

 

 普段なら椿は美桜に仕事を押し付けてさっさと居なくなってしまうけれど、今日は椿だって一応キノコを探してくれるのだと言っているし、美桜はその場を離れるしか無かった。


「さあシンさん、行きましょ」


 当初の目的地だった裏山へと歩く美桜の後方で、椿がはしゃいだ声を上げる。二人はそのままガサガサと竹林の方へ行ってしまったようだ。


「仕方ないわね。一応椿姉さんの分も……なるべくたくさん探しておかないと。また前みたいに『遊びに夢中になっていて』なんて言われたら困るわ」


 年頃の男と女の事情など未だ知らない純粋な美桜は、椿がそうやって言う時には本当に言葉のまま受け止めて、何かしらで遊んでいるのだと思っている。


「ごほ……っ、ゴホッ!」

 

 やがて裏山の急な山道をひどく咳き込みながら進む美桜は、涙目になりながらも必死でキノコを探す。ひたすら懸命に険しい山道を進んで行った。


 無理をして激しく動いたので、美桜は息が出来ない程咳が出てしまう。喉が切れて痛む、鉄のような嫌な味が口の中に広がった。


「ゴホ! おととさん……、大丈夫……ハァ……はぁ、私は大丈夫……ッ、ゴホッ……ゴホ!」


 その辺に落ちていた枝を杖代わりに、父親が向かった青峰山の半分もないくらいの高さしか無い裏山でキノコを探す。

 ひっきりなしに続く咳でそこかしこが辛くても、痛くても、決して美桜は止まらなかった。

 

 こうしているうちに身体が丈夫になったなら、いつかは無事に旅から戻る父親も安心するだろうと考えていた。

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